政府といい、与党といい、これほど憲法を軽々しく扱う政治が、戦後70年の間にあっただろうか。そう嘆息せざるをえない出来事が相次いでいる。
本末転倒な自民草案
一つは、「一票の格差」が問題になっている参議院の選挙制度について、自民党憲法改正推進本部が、選挙区を都道府県単位とする規定を、同党の憲法改正草案に加えることを決めた問題だ。
現行の参院選挙制度は、「一票の格差」が最大4.75倍に達し、鳥取県に比べて北海道の有権者は0.21票しか持っていない状況だ。最高裁は、これを「違憲状態」と判断。都道府県を単位として各選挙区の定員を決める現在の仕組みを維持しながら、投票価値の平等を実現するのは「著しく困難」と指摘し、一部の選挙区の定数を増減するにとどまらず、都道府県単位の選挙区を改める抜本的な改革を求めた。
ところが、多くの1人区選出の議員を抱える自民党では、都道府県単位の選挙区維持の声が根強い。「6増6減」案をまとめたが、4.31倍もの格差が残り、これでは各党の合意は得られない。公明党は選挙区統合による「合区」を提案するが、自民党は否定的。そんな中で出てきたのが、このたびの憲法改正案だ。
憲法で、国会議員は「全国民の代表」と定められている。制度上は、参議院の場合、都道府県単位の選挙区と比例代表によって選ばれているが、選挙区から選出された議員も、決して「都道府県代表」ではない。だからこそ、どの地域に住んでいる有権者も、一人ひとりが平等な1票を行使できる公正な選挙にしなければならないのだ。
ところが、最高裁からの改善勧告を無視し、現状の不公正な選挙制度を維持したい人たちには、この規定が邪魔だ。参議院は「全国民の代表」ではなく、「都道府県代表」と憲法で決めてしまえば、1票の格差がどれほど広がっても、憲法違反ではなくなる。要するに、自分たちが議席を失う可能性のある制度改革はやりたくない人たちが、最高裁に違憲を指摘されて、そのたびにマスコミからは批判されて改革を求められるのもイヤだから、この際、憲法を変えてしまえ、ということだ。
これには、心ある(と自認する)改憲派も憤慨している。改憲派の旗振り役であり、日頃は自民党に好意的な論調の産経新聞も、社説で次のように厳しく批判した。
<広がる格差に対し、司法から繰り返し警告を突き付けられたのではかなわない。いっそのこと、批判の根拠をなくしてしまえ、といわんばかりの手法にあきれる>
かくも手前勝手な憲法改「正」案が世の中をあきれさせた2日後、衆議院憲法審査会で、参考人として呼ばれた3人の憲法学者が、国会で審議中の安全保障法案に関し、そろって「憲法違反」と批判した。その中でも、ひときわインパクトが強かったのは、与党が推薦した早稲田大学の長谷部恭男教授の発言だ。
「人選ミス」の問題ではない
長谷部教授は、集団的自衛権の行使容認について「憲法違反だ。従来の政府見解の基本的な論理の枠内では説明がつかず、法的安定性を大いに揺るがす」と明言。憲法解釈を変更した閣議決定についても、「どこまで武力行使が許されるのかも不明確で、立憲主義にもとる」と批判した。
高校の「政治・経済」の授業で最も多く使われている教科書(東京書籍)は、「立憲主義」について、次のように説明している。
<近代憲法は、基本的人権の実現を目的とし、国家の権力が人々の人権をみだりに侵害することがないよう、国家による権力行使に枠をはめる。この考え方を立憲主義という>
たとえ、どんなに政府が「必要だ」「適切だ」と考える政策でも、それはあくまで憲法の枠内で行わなければならない。その枠を超える政策を行おうとするなら、まずは憲法を改正する必要がある。しかし憲法、とりわけ9条の変更は、反対する人が多く、簡単ではない。ならば、解釈改憲で事実上の憲法改正に等しい効果を上げてしまおうというやり方は、憲法学者たちから「まるで裏口入学だ」「立憲主義に反する」との批判を浴びてきた。