長谷部教授は、東京大学教授時代に、特定秘密保護法の原型を作った「秘密保全法制に関する有識者会議」のメンバーの一人であり、国会でも特定秘密保護法に賛成の意見を述べた。この時、同法に反対する人々の一部からは「御用学者」のレッテルを貼られるなど、決して反政府の立場の人ではない。
憲法学の泰斗であり、安全保障の分野とも密接に関わる政府の法案づくりに協力した学者から見ても、今回の法案は、内容については「憲法違反」であり、そのプロセスにおいては「立憲主義にもとる」ということなのだ。この指摘は重い。
自民党内からは、こうした発言がでたことについて、「人選ミスだ」と、船田元・憲法改正推進本部長の責任を問う声が挙がり、佐藤勉・同党国体委員長が、船田氏に厳重注意した。だが、これは「人選」の問題ではない。
菅義偉官房長官は、その日の記者会見で「違憲との指摘は当たらない」と述べ、「全く違憲でないと言う著名な憲法学者もたくさんいらっしゃる」と強がってみせた。「たくさん」という言葉に、とりわけ力が込められていた。
しかし、集団的自衛権行使については、多くの憲法研究者が反対の声を挙げている。すみやかな廃案を求める声明に署名をした憲法学者は170人を超えた。一方、「全く違憲でない」という学者は、いろいろ聞いてみても、せいぜい3人ほどの名前が挙がる程度だ。それも「著名かどうかは分かりませんが」という注釈付きで。単なる「意見の対立」というレベルではなく、よほど異端の学者を連れてこない限り、「憲法違反」とする評価は免れまい。
翌日の記者会見でも、この問題について問われた菅氏は、行使容認を提言した安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)に言及し、「有識者の中に憲法学者がいる。その報告を受けて決定した」と述べた。安保法制懇には、憲法学者が1人しかいない。この点を指摘されると、「(憲法学者ではなく)憲法の番人である最高裁が判断することだ」とはぐらかした。
日本の最高裁は、法案や法律の合憲性を直接判断することはない。具体的な事件が起きた時に、初めて判断を行う。たとえば将来、集団的自衛権を行使するために自衛隊が海外に派遣された際、その差し止めを求める裁判が起きたり、あるいはそうした活動中に自衛官が死亡する事態が起きて、遺族が国家賠償を求める裁判を起こした場合などは、法律の合憲性は争点になるだろう。だが、こうした訴訟が起きるとしても、地裁から始まるわけで、最高裁の判断が出るまでには、相当の時間がかかる。今回の法案を最高裁が判断するとしても、それはずっと先のことだから、それまでは政府のやり方でやらせてもらう、というのが、現政権の姿勢と言えよう。
果たして、それでいいのか。
安部政権は批判を謙虚に受け止めよ
参院選挙制度改革を巡る自民党の対応と、安保法制を巡る政府の対応は、憲法が邪魔ならその内容を変えてしまえばいい、という発想において共通している。自民党はいつから、こんな「立憲主義にもとる」ことを平然とやる政党になってしまったのだろう。
安倍首相は、最近、対外的な発信の際に、しばしば「法の支配」という言葉を使う。