「どうせ選挙に行っても変わらないよね」
「どの党や候補者に投票したらいいかわからない」
「自民党も問題だが、野党もねえ……」
こんな声がよく聞こえてくる。選挙にマイナスイメージを持つ人が少なくない。第一に、選挙がつまらない。第二に、選挙をやっても生活や社会がよくなっている実感がないからだ。
こういう人々が増えると、政府をはじめ権力者や支配層は、とてもうれしい。現状に不満を持つ人たちが選挙に行かず、立候補もしなければ、支配層は自分たちのやりたい放題を今後も続けられるからである。
このような政治的不信を拡大・再生産させている法律が、公職選挙法だ。国政選挙なら選挙区1人300万円、比例区1人600万円という途方もない供託金を選挙管理委員会に納めなければ、立候補すらできない。
また、政治活動の規制や言論表現活動の規制をしているのが公職選挙法だ。禁止事項の多さから“べからず選挙”と揶揄される。戸別訪問禁止、一般人による電子メールの選挙運動禁止、ビラまきや文書等配布の大幅制限、告示前の事前運動の禁止など。
カネがないと立候補できず、選挙運動も自由にできず、守らなければすぐに警察に捕まってしまう。日本では、いまだに自由な普通選挙が実現できていないのだ。
このような状況で、供託金が憲法違反であるとして、埼玉県の近藤直樹氏が2016年5月27日に東京地裁に提起した裁判が、クライマックスを迎えている。
この裁判では、憲法違反だけでなく、日本も批准している国際人権自由権規約25条違反だという視点が提起されている。この点については後述するが、その前に「世界の非常識」ともいえる日本の公職選挙法および供託金の“出生の秘密”を確認してみたい。
労働者層を排除する目的で供託金制度を導入
供託金制度ができたのは、1925年に25歳以上すべての男子に参政権を与える普通選挙の実施が決められたときである。「衆議院議員選挙法」を改正した結果だ。
それまでは納税額によって選挙権が制限されていたが、少しずつ基準納税額が下げられ、ようやくすべての男子が選挙権を得たのである。
そうなると無産者(労働者階級出身者)が大量に国会に進出する可能性があるため、当時の支配層はそれを阻止するため、供託金制度を導入した。表向きの理由は、売名行為の立候補や泡沫候補の濫立を阻止するためだった。
同時に治安維持法を制定して、あらゆる政治運動や社会運動を弾圧したのは周知のとおり。
「ミニ政党・新しい政党は泡沫候補が所属」という国の主張
第二次世界大戦後は、女性参政権も認められるなど一時的には政治的自由が拡大したが、公選法改正のたびに供託金の額が上げられ、参政権を縮小している。
いま東京地裁で争われている「供託金違憲訴訟」で驚くのは、供託金制度を導入(同時に治安維持法が成立)した93年前と同じことを被告の国が主張していることだ。
国が出した準備書面(3)によると、供託金を高くしないと「泡沫候補が濫立」するとして、供託金値上げの正当性を主張している。