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江川紹子の「事件ウオッチ」第31回

非難轟々の【元少年Aの手記『絶歌』】で軽視される「言論の自由」と出版の意義

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被害者遺族の反発もあり、その出版が批判されている『絶歌』。販売を自粛する書店もあるが、出版流通大手のトーハンが発表した週間ベストセラーでは総合1位を記録した(16日時点)。

 神戸の児童連続殺傷事件の加害者である「元少年A」(32)=事件当時14歳=が出した手記『絶歌』(太田出版)に、轟々たる非難が起きている。本に対する評価は人それぞれだし、「こんなものは読みたくない」という人がいても当たり前。私が気になるのは、「遺族の許可なく出版すべきでない」「印税収入はすべて被害者に渡すための法律を作れ」などと出版に対する規制を求める動きや、行政が本の販売や購入の自粛を求めたり、貸し出し制限をする図書館も出るなど、表現の自由にもかかわる動きが出ていることだ。

置き去りにされた「表現の自由」

 被害者の1人である土師淳君(当時11)の父親、守さんは、手記の出版に強く反発し、報道を通じて憤りのコメントを発表。出版社にも回収を求める書面を送った。土師さんは、出版によって「重篤な二次被害」を受けているとし、加害者による手記などの出版は「被害者の承諾を得るべきである」と主張している。

 以前、Aの両親が手記『「少年A」この子を生んで』(文藝春秋社)を出版した時も、土師さんは事前に了解を得なかったことなどを強く批判している。今年4月、月刊誌「文藝春秋」5月号に、医療少年院送致にした神戸家裁の決定全文が掲載された時にも、土師さんは抗議の声を上げた。むごい事件だったこともあり、自身がコントロールできない形で愛息の殺害にかかわる情報が発せられることに、強い警戒心を抱いているのだろう。

 そういう被害者の心情を考えれば、遺族が報道機関から出版を知らされて驚くことがないよう、少し前には本の概要などを伝えておいたほうがよかった。Aがやらないなら、出版社がやるべきだったろう。それは、遺族への配慮であると同時に、出版社が著者の立場を守るためにも必要だったと思う。

 ただ、事前に伝えたとしても、土師さんは出版に納得しなかっただろう。その心情や自身の見解を、土師さんが述べるのは自由だ。だが、「加害者の出版には被害者の承諾を得るべき」との見解を、「表現の自由」に敏感であるべきメディアの多くが、きちんとした解説や論評もないまま報じたことには疑問を感じる。

 もちろん、「表現の自由」とて、絶対ではない。名誉毀損やプライバシーの侵害に当たるとして出版が差し止められたり、法律で禁じられたわいせつ図画に当たるなどとされた場合には刑罰まで科せられる。その判断を下すのは裁判所、最終的には最高裁だ。

 罪を犯した者といえども人間であり、その人から「表現の自由」という基本的人権を取り上げるか否かという最高裁裁判官のような重い役割を、遺族に担わせることが果たして適切なのだろうか。こういう理性的な問いを、メディアはもっと発するべきだろう。

 一口に「被害者」「遺族」といっても、考え方や感じ方は一様ではない。メディアでは、土師さんの発言が盛んに伝えられているが、やはりAによって殺害された山下彩花ちゃん(当時10)の母親、京子さんもコメントを出している。京子さんは、突然の出版に戸惑いながら、「なんのために手記を出版したのかという彼の本当の動機が知りたいです」と述べていて、土師さんとは違った思いがあるように受け取れる。

同じ被害者でも異なる受け止め方

 これまでも、加害者が手記を書いた事件はいくつもある。連続ピストル射殺事件の永山則夫は、手記『無知の涙』(合同出版、のち河出文庫)を発表して注目され、以後、死刑が執行されるまで獄中作家として執筆を続けた。文学賞も受けている。遺族が出版を批判したという報道に接したことはないが、永山は日本文藝家協会への入会を拒否された。そのことに抗議して、柄谷行人、中上健次、筒井康隆、井口時男らが同会を脱会している。

 オウム真理教の地下鉄サリン事件では、最初に事件への関与を告白し、裁判では自首が認められて無期懲役となった林郁夫が、手記『オウムと私』(文藝春秋社)を執筆している。

 林がまいたサリンによって夫を殺害された高橋シズヱさんは、その出版を報道で知った。林本人からはもちろん、弁護人や出版社などから、事前に連絡はなく、事後に手紙や献本もなかった。