『絶歌』と版元の太田出版は、ただの外道である いまだに悲劇の主人公ぶる幼稚な酒鬼薔薇
『絶歌』(太田出版/元少年A著)
1997年に発生した「神戸児童連続殺傷事件」の加害者である「酒鬼薔薇聖斗」こと「元少年A」による書だ。もともと幻冬舎から出版される予定だったが、「週刊新潮」(新潮社)がそれをスッパ抜いたため、幻冬舎社内で出版化に関して議論が発生し、結局頓挫。「よりゲスい出版社」を求めるべく太田出版から出たということである。
内容については「出来損ないの村上春樹ワナビーが殺人者を主人公にしたら」といったものだ。東京保護観察所の監察官3人組を「ゴクウ」「ハッカイ」「サゴジョウ」とあだ名をつける点や以下のような記述に、そのワナビーさがうかがえる。
「僕はもともと食べることに興味がなかった。もし食事の代わりにガソリンでも飲んで動けるのなら、僕は間違いなくもう二度と“食べる”という行為には従じないだろう。冗談に聞こえるかもしれないが至って本気だ。それほど僕には、“食べる”という行為が煩わしいったらない。うまく言えないが、僕が“食事をしている”というよりも、僕が“食事という行為に食べられている”という気がするからだ」
以上。これ以上、内容については詳しくは述べない。いろいろと書評やメディアで感想は登場しているのでそちらを参考にしてください。今回は「書評」の体を取るこの連載で極個人的な話を長々とさせていただく非礼を許していただきたい。しかしながら、私はこれを言わない限りは、この本が流通している2015年の日本に絶望するしかないのだ。本当に、こんな本が出ているこの世の中にいることさえ嫌悪感をもよおし、自殺したくなるほどである。今、モノカキの仕事をしているが、急激にこの仕事もやめたくなり、読み終わった後、同業者に電話をかけて精神を落ち着かせた。
版元である太田出版と担当編集者である同社の落合美砂氏が、同書の意義と正当性についてはいろいろと語っている。それは読んだ。まぁ、そう言うしかねぇよな、ということは理解できる。ここではオレの体験と落合氏との個人的な接触について語ろう。
『完全自殺マニュアル』
その前に落合氏が編集し、太田出版から発刊されたミリオンセラー『完全自殺マニュアル』(鶴見済著)の同社HPに掲載された紹介文を見てみよう。
「世紀末を生きる僕たちが最後に頼れるのは、生命保険会社でも、破綻している年金制度でもない。その気になればいつでも死ねるという安心感だ! 自殺の方法を克明に記し、さまざまな議論を呼んだ、聖書より役に立つ、言葉による自殺装置。」
なるほどね。まぁ、キツいこの人生、自殺をよりラクにできるのであれば、最後のセーフティネットにはなるよね、自殺っていう選択肢があるのを知れ、さらに、ラクに死ねる方法が首吊り自殺であることがわかって本当にうれしいです! 私は救われました! 本当にこの本があるお陰で、私の人生は選択肢が増え、幸せに生きられます! この本に出会え、私の人生、開けました! ありがとうございます! 鶴見さん、落合さん、太田出版さん、ありがとうございます!
なんて言うと思うか、バカ野郎。
オレが落合氏と会ったのは10年の春だ。とある雑誌の創刊記念パーティに呼ばれ、そこで落合氏がスピーチをした。この時、「あぁ、こいつか……」と嘆息した。その雑誌の創刊号にはオレも寄稿していたのである。だからこそ創刊記念パーティに参加したのだが、まさかこいつが関わっているとは……、と思い、もはやこの雑誌に関わったことを後悔し、オレの書いた原稿はなくしてほしいと思ったほどである。
理由は一つだけ。
オレの婚約者は、落合氏が編集した『完全自殺マニュアル』のもっとも推奨した通りの方法で自殺したからである。
死んだ後、書棚を整理していたらこの本が出てきた。遺書には「私が仮に脳死状態だった場合は延命措置などしないでください」と書かれていた。『完全自殺マニュアル』では首吊りについては「首吊り以上に安楽で確実で、そして手軽に自殺できる手段はない。他の方法なんか考える必要はない」とあり、苦痛が少ないと記述されてある。
数日間彼女を探し続けた末に、とある大学のキャンパス内の朽ちた小屋で彼女の首吊り遺体を見た瞬間、オレは悶絶した。しかし、消防・警察を呼ばなくてはいけないので呼んだ。そこからの事情聴取と第一発見者ならではの殺人者扱いに加え、警察署での司法解剖も含め「なんで死ぬのをオレは避けられなかったのだ」という痛恨の後悔と、最も愛した人間を失ったこの絶望感。本当に後追い自殺をするつもりになり、彼女が愛読した『完全自殺マニュアル』を再度読んだほどである。
しかし、連日誰かが私の元を訪れて徹底的に酒を飲ませグデングデンにさせ、そのまま寝させるという展開を施してくれたがゆえに、なんとか一人で絶望する時間は減らすことができた。
とにかく友人達はオレを自殺させないようにすべく、毎日何らかのかたちで接触を仕掛け、時間をつくらせてくれた。その期間、本当に仕事はできなかった。毎日毎日自殺されたことを悔い、なんでその予兆に気付かなかったのかを悔恨し、最寄駅のホームに立つとやってくる電車に飛び込んで死ぬことしか考えない。ないしは、自宅のドアノブにタオルをかけて首吊りをすることだけを考え続ける。
なんでこんなに美人で性格がよくかわいいだけの彼女が死ななくてはいけなかったのだ――毎日このことを考え続けては、彼女への思いをキーボードに打つ。しかし、この作業はわずか半年で終わった。理由は、オレと彼女の5年間の思い出をすべて書き尽くしてしまったからだ。最も愛する人が死んだ場合、それまでの共通体験を書き尽くしたらもはやそれ以上は書けない。もはや思い出は増えないからである。
彼女が死んだのは鬱病のせいである。それは間違いない。『完全自殺マニュアル』があったから死んだワケでもないのはわかっている。だから落合氏と鶴見氏に文句を言うのは筋違いであるのはわかっている。だが、死なれた人間としては、自分を責めるのに加え、なんらかの外的要因にも文句を言いたくなるものだ。
そんな状況での前出のパーティだった。新雑誌創刊を高らかに宣言する落合氏。皆が祝福の声をあげ、敏腕編集者である落合氏の周囲にはさまざまな人が寄ってきて祝福をする。その輪が途切れたその時、オレは落合氏の元に寄り、こう言った。めでたい席での非常識な行為であることは認識している。
「創刊おめでとうございます。でも、『完全自殺マニュアル』、オレの婚約者、あれを参考にして自殺したんですよね。なんか複雑な気持ちッスよ、今日」
すると落合氏は「あぁ、まぁ……、そうですよね、あぁ……」と言い、どこかへ行った。以後、オレと顔を合わせることもなければ、喋ることもなかった。
恐らく、この手のツッコミは相当経験しているのであろう。「はいはい、またこの文句ね。もう、飽きたのよ。私だって仕事でやってるんだし、批判に対してだってマジで向き合ってるんだからさ……」と思っているのだろう。売れる書籍を世に送り出す編集者としては実に優秀で、見習うべき「あっぱれ」なスタンスである。『絶歌』も同様に「はいはい、この本に対する批判は想定の範囲内よ。あぁ、わかってるわ、私は」と思っているのかもしれない。あの時のオレに対する態度を見ると、まぁそこまで肝の据わった敏腕編集者であることは充分理解してる。
「自殺する自由はある」
「苦しい時の選択肢として、自殺もあっていいのでは」
「命の大切さを伝えたい」
こういった大義名分は『完全自殺マニュアル』発刊にあたってはあったのだろう。
『絶歌』出版の社会的意義
で、今回も太田出版と落合氏は酒鬼薔薇の書籍の意義については散々説明している。そこには当事者の感情はさておき「社会全体を考えると意義がある」ということにいきつく。
まぁ、構わん。それが見解なのであればいいし、ガンガン『絶歌』を売ってくれ。感動した人もいたらしいな。素晴らしい作品だわ。どんどんがんばってくれ、太田出版と落合美砂氏。
今回「酒鬼薔薇が更生しているのであればまぁ、意義はあったのでは」という擁護論も出てきたが、酒鬼薔薇は結局何もわかってねぇな、と思うくだりがあった。十代の少年から「どうして人を殺してはいけないのですか?」と聞かれた場合、今の彼ならこう答えるという部分である。
『「どうしていけないのかは、わかりません。でも絶対に、絶対にしないでください。もしやったら、あなたが想像しているよりもずっと、あなた自身が苦しむことになるから」』(註:原文では「あなた自身が」の部分に傍点あり)
そしてこう続く。
「哲学的な捻りもない、こんな平易な言葉で、その少年を納得させられるとは到底思えない。でも、これが少年院を出て以来十一年間、重い十字架を引き摺りながらのたうちまわって生き、やっと見つけた唯一の、僕の『答え』だった」
あぁ、何もわかっていない……。どうしてこうも自分本位なのか。「あなた自身が苦しむから殺人はいけない」と言い、まるで自分が悲劇の主人公かのように「重い十字架」というエセ文学的表現を使う。人を殺してはいけない理由は、これである。
「誰もが他人の人権を蹂躙することはできないから」
「殺された人に近しい人が悲しむから」
酒鬼薔薇は被害者とその遺族よりも、自分自身(加害者)の側の論理でいまだに語っている。そしてこれがやっと見つけた唯一の答えとは、非常識かつ幼稚もはなはだしい。
良書を紹介するこのコーナー、こんな展開になってしまい、読者の皆さまには謹んで謝罪したい。だから、命について考える大義名分、自殺について考える場合は、オレとしては『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社/吉永嘉明著)をお勧めする。この本にしても、登場人物の麻薬使用や、著者に対しては「お前が情けないだけだろう」といった批判はあるだろうが、少なくとも「命の大切さ」については『絶歌』、そして『完全自殺マニュアル』よりはセンシティブに論じている。
一応、最後にこの本が出る意義については説明しておこう。
何もない。まさに外道。
(文=中川淳一郎/編集者)