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ノンフィクション作家 清泉亮インタビュー(3)

日航機墜落ドキュメンタリー番組のウソ シナリオに沿った撮影、感涙を誘うための編集

文=編集部
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日航機墜落ドキュメンタリー番組のウソ シナリオに沿った撮影、感涙を誘うための編集の画像1墜落した日本航空123便の機体の一部
 1985年8月12日、日本航空123便が群馬県上野村に墜落し、乗客・乗員520人が死亡した。単独の航空機事故としては、いまだに世界最悪の死亡者数だ。

 今年は事故発生から30年。現場近くに住むノンフィクションライター・清泉亮氏は7月に『十字架を背負った尾根』(草思社)を上梓、これまで言及されることがほとんどなかった上野村民の姿を描いている。前回は事故現場を私利私欲に利用する村民がいることや、村民と日航の軋轢などについて、清泉氏に話を聞いた。

 今回は清泉氏に

・日航機墜落現場の実情
・報道と現実の違い

などについて話を聞いた。

–事故から今年で30年を迎えましたが、50年、100年と風化させないために、何が必要でしょうか。

清泉亮氏(以下、清泉) 日航と村の齟齬のなか、ある特定の政治的思想を持った人間が「遺族をないがしろにする日航」などと、「遺族のため」を装い、遺族へ近寄ってきます。彼らは政治的、思想的思惑から組織や企業を攻撃することが目的です。高齢化する遺族のもとに「日航はそんなに悪いのですか。大企業は問題ですね」などと吹き込むような、メディアを装った活動家もいるようです。かつて成田闘争、三里塚闘争で活動した元闘士らが、あたかも遺族らの気持ちを汲み取るかのように接近する状況も、将来にわたる村民・日航・遺族ら三者の円滑な関係性の構築に複雑な種を蒔かないかという観点からも考えなければならないでしょう。日航、墜落現場を管理する公益財団法人「慰霊の園」、遺族の三者が本質的なコミュニケーションと、心理的齟齬を常に解消させつつ交流して、ぜひ現地を守っていってほしいと願っています。

–8月12日は多くの人にとって大きな意味を持っています。

清泉 尾根はすでに遺族の方々の思いを越えて、日本人全体の大きな記憶になりつつあるようです。戦後世代にとっては、終戦体験は持ち得ないけれども、8月12日、墜落事故の夜の自身の置かれた記憶は鮮明です。ちょうど、結婚の許しを得るために奥さんの実家にいくところだったとか、予備校から帰って来てホッと一息ついていた、船の出港準備をしていた、など本当に銘々の「あの日あの瞬間」があるのです。

 そうした人たちが今も山に登って来ます。そこで死者を思い、生者である自身の30年間を振り返っておられます。尾根はそういう意味で、ひとつの巨大な事故という意味を乗り越えて、自身が生きてきた道を立ち止まらせ、振り返らせる、人生のしるべになっているのはないでしょうか。

 それぞれの瞬間において、生者は常に縁のある人、ない人を含めた死者という存在を乗り越えて、今をつないでいきます。航空機事故という惨劇の地は、30年を経た今、多くの人たちに開かれた人生の道標としての意味を果たそうとしています。

–現場に寄り添うと、テレビ新聞がまったく伝えていない風景が拡がっていることが『十字架を背負った尾根』を読むと見えてきます。

清泉 現場では春になると、大量といっても過言ではないほど墜落機体の部品が地表に出てきます。10~20センチにもなる霜が表土を持ちあげ、朝陽に解ける。それが繰り返されると、徐々に土中深くに埋もれた機体の一部が、自然の摂理によって発掘されていくのです。春の雪融けと共に斜面に現れますが、それを拾い集めて供養する村の人がいます。これが人の心や企業の思惑をも超えた、四季が育む墜落現場の30年の、覆い隠されざる唯一の真実だと思います。その景色を、誰よりも遺族の皆さんに届けたかったのです。墜落事故が起きるまで、ほぼ前人未踏だった尾根が育んできた四季の中にこそ、偽りの一切ない、素直な、正直な、現場の風景があります。その四季こそが、墜落現場を30年間にもわたり、守り続けてきた、まさに主人公ではないでしょうか。

–墜落現場のそばに住まいを移され、山に通われたそうですね。恥ずかしながら、墜落現場に木製の墓標が並んでいるなど、まったく知りませんでした。

清泉 木製ですから、当然、傷みは激しいです。それを、自らの墓標であるかのように、慈しみ、目で見て、手で撫でて、小さな傷みをも見逃さないように守っている村民がいます。状況や環境はまったく異なりますが、航空機の整備の現場と非常に似た緻密な作業ではないのかと思う瞬間もあります。何事もそうですが、漫然と眺めているだけではない、ささやかな気づきには、常に神経の張りと、触診の蓄積が必要なのだということを、墓標を守る村民の姿から、私自身が気づかされました。その墓標が、御巣鷹閉山中の冬の間も、村民によって守られている光景があります。ここに、村民のひとつの真実の姿があります。経済的欲求に縛られない、心根の誠実さによって30年にわたって墓標が守られてきたのだと思わされました。

–事故では4人の生存者がいらっしゃいますが、現場でお会いになられたことはありますか?

清泉 私自身は生存者の方々にお会いしたことはありません。ただ、生存者のご遺族の墓標を直すのを見守ったことがあります。当時、12歳で救出された川上慶子さんのご家族の墓標でした。遠方から来られないご遺族のため、村の人々が汗を流して、墓標を建て直していました。最後に、故人らの郷里である島根県から届いた真新しいお守りをそっとお供えする村民の背中がありました。

 そんな作業のかたわら、東京から来た民放キー局の取材クルーが、慰霊登山に訪れた遺族や関係者を追って登っていきます。白いタオルで汗をぬぐいながら上がって来る遺族の姿を撮る。それは番組構成上必要な、ドラマ性を含んだ映像なのだと思います。メディアはとかく、生存者の証言を売りにして追いかけますが、シナリオに沿った映像しか撮りません。その場その瞬間で起こっていることに対して、シナリオ外の出来事には目を向けないのです。「もう必要な画は撮りましたから」と言わんばかりです。

–撮影前からストーリーは出来上がっているわけですね。

清泉 そして8月12日が近づくと、真実だ、真相だ、と銘を打ち、視聴者の感涙を誘うのです。それが悪いとは言いませんが、真実ではありません。必要な場面しか切り取られていないものは、あくまでもシナリオでありドラマです。つまり、報道とて一部分であり、全体ではないという現実を認識したうえで、遺族もさらには読者も視聴者もメディアに接してほしいと思うのです。泣かせよう、感動させようというストーリーが決して全体を表してはいないのです。現実は実に愚直で、素直で、そして地味なものです。実際、必要だという画だけを撮って行くクルーのすぐ近くでは、生存者がメディアの目を避けるかのように、密やかに慰霊の作業を村民に頼み、村民が引き受けているといった知られざる現実の光景があるのです。

 生存者がテレビの画面には映らなくとも、生存者の方々の想いは常に山へ届き、それを受け止める地元の人々がいます。メディアが報じないそんな風景を知ってもらい、ぜひ生き残った人々の気持ちにも想いを馳せていただきたいと、切に願っています。

–ありがとうございました。
(取材・文=編集部)

●清泉亮(せいせん・とおる)
1974年生まれ。人は時代のなかでどのように生き、どこへ向かうのか――。「ひとりの著名人ではなく、無名の人間たちこそが歴史を創る」をテーマに、「訊くのではなく聞こえる瞬間を待つ」姿勢で、市井に生きる人々と現場に密着し、時代とともに消えゆく記憶を書きとめた作品を発表している。前作に『吉原まんだら―色街の女帝が駆け抜けた戦後』(徳間書店)。

第1回:『【日航機墜落30年】御巣鷹の村、日航の「下請け化」=経済的依存が深まる歪んだ関係』

第2回:『日航と航空機墜落の村、陰で罵声浴びせ合う現実 剥き出しの村民たちの私利私欲』

第4回:『日航機墜落30年、想像を絶する地元民の苦悩 極寒の地で、520人の墓標を守る老夫』

BusinessJournal編集部

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