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三菱航空機、スリーダイヤを使用できず…三菱グループが商標権管理にこだわる歴史的必然

文=菊地浩之
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三菱航空機、スリーダイヤを使用できず…三菱グループが商標権管理にこだわる歴史的必然の画像1愛知県の県営名古屋空港で撮影された「三菱リージョナルジェット」(写真:アフロ)

「三菱」から「スペース」へ

 2019年5月、三菱航空機株式会社が、国産ジェット機「三菱リージョナルジェット」(略称:MRJ)の開発戦略を大幅に見直すことが報じられた。2008年に事業化が決定したMRJ(90席)の開発と併行して、新たに70席級の新機種開発を進め、両機種の名称を「スペースジェット」に変更するというものだ。「スペース」の意味として「機内の広さ」をアピールする狙いがあるという報道もあるが、MRJの度重なる納期延期で、「ミツビシ」ブランドを取り上げられた……と考えるほうが筋が通っているだろう。

 MRJならば機体にスリーダイヤを使用する可能性もおおいにあったろうが、スペースジェットではまず無理だろう。意外に知られていないが、三菱自動車工業は創業時にスリーダイヤを使うことが許されず、しばらくはMMCマークを車体に付けて販売していた。ミツビシおよびスリーダイヤ・ブランドは海外で抜群の知名度を誇っているので、それが使えないとなると、海外販売戦略はきわめて苦しくなる可能性が高い。

三菱とスリーダイヤは勝手に使えない

 三菱航空機の社章は「スリーダイヤ」である。自社製品に社名のミツビシや社章のスリーダイヤが使えないのはおかしいのではないか。そう思う向きもあるだろう。しかし実は、製品にミツビシやスリーダイヤを付ける権限を三菱航空機は持っていないのである。それを決めるのは、三菱社名商標委員会という社外の組織なのだ。

 そもそも、戦前の三菱財閥では、新設会社に社名を付けていたのは創業者・岩崎家だった。三菱重工業、三菱化成工業(現・三菱ケミカル)の「重工業」「化成」という、いまではポピュラーな社名も、元はといえば、三菱財閥四代目・岩崎小彌太(こやた)の造語だったという。

 ところが、第二次世界大戦で日本が敗戦を迎え、財閥解体が進められると、その一環として三井・三菱・住友などの財閥商号(社名)、スリーダイヤなどの商標は使用禁止とされてしまう。実際、三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)は千代田銀行、三菱化成工業は日本化成工業などと社名変更していた。

 しかし、商号・商標の使用禁止に猛反発した三井・三菱・住友の経営者たちは、知恵と資金を出し合い、米国の弁護士や吉田茂総理大臣などに掛け合って、最終的にはこの法令を骨抜きにすることに成功した。そこで三菱グループでは、各社が集まって三菱社名商標委員会という組織を立ち上げ、商号・商標管理を開始したのである。

三菱航空機、スリーダイヤを使用できず…三菱グループが商標権管理にこだわる歴史的必然の画像2三菱財閥の創設者、岩崎弥太郎。幕末から明治前期の動乱期を生きた(1835〜1885年)。(写真はウィキペディアより)

商号・商標管理はグループ運営の基本?

 我々は解体された三菱財閥の各企業が三菱グループに再結集したことを知っている。だから、その動きは歴史的な必然のように考えがちだが、当時の経営者には、グループを解散したりグループから離脱する選択肢もあったはずだ(たとえば事実、浅野財閥は財閥解体後、おのおのの道を進んで再結集していない)。

 三菱グループでは、戦時中に三菱本社常務だった石黒俊夫という人物が、グループ再結集に積極的だった。戦後の財閥解体においては、戦時中の経営者や財閥家族が互いに接触することは禁じられていたのだが、石黒はそんなことはお構いなしで、秘かに岩崎家や財閥本社の重鎮だったOBと私的に会合を重ね、その一方でグループ各社の首脳を集めて指示を飛ばしていた。そこで石黒は、三菱財閥から離脱して独立性を高めつつあるグループ各社を引き留め、三菱グループを再結集する手段として、ミツビシおよびスリーダイヤの使用権を使ったらしい。

 ここからはかなりの推測が入るのだが、終戦後もしばらくの間は、ミツビシおよびスリーダイヤの使用権利は財閥家族・岩崎家に帰属していると考えられていた。だから、岩崎家を抱え込めば、その威光を使って各社にミツビシおよびスリーダイヤの使用権を制限することができ、各社に経営介入することも可能だと踏んだのだろう。石黒は岩崎家と旧財閥本社OBの発言を代弁する形で、三菱商号およびスリーダイヤ商標の使用権をちらつかせ、グループ各社を統轄しようとした。

 たとえば、三菱重工業は戦後、3社に分割されていた時期があるのだが、うち2社には早々と三菱商号を認可したものの、残り1社は経営不振だったことを理由に、三菱商号の使用ををなかなか認可しなかった。社長が引責辞任して、グループ各社から役員を受け入れる条件が整うのを待って、初めて三菱商号の使用を許したらしい。商号認可をバーターとして、経営介入したわけだ。

 ところが、石黒と岩崎家の間に立場の違いが表面化する事件が起こる。

 戦後、石炭から石油へのエネルギー革命が起こり、石炭採掘・販売を主力としていた三菱鉱業(現・三菱マテリアル)の経営が危ぶまれる事態が起こる。そこで、三菱鉱業はグループ各社にも出資を仰ぎ、1954年1月にセメント会社、三菱セメント(三菱鉱業への合併を経て、現・三菱マテリアル)を設立することになったのだが、未経験だったセメント事業に三菱商号を付与することに、岩崎家が反対したのである。

 セメント事業を軌道に乗せるには三菱商号が必須と考えたグループ各社の首脳は、各社が財閥解体時の商号・商標防衛問題の解決に尽力したことを挙げて、岩崎家を説得したらしい。三菱社名商標委員会の設立が1954年(月不明)であることも、三菱セメントの設立と深くかかわっているのであろう。誤解を恐れずにいうなら、岩崎家に対して、三菱商号・スリーダイヤ商標がきちんと管理されていることの証しとして、三菱社名商標委員会を設立したいう側面もあったのではないか。

三菱航空機、スリーダイヤを使用できず…三菱グループが商標権管理にこだわる歴史的必然の画像3「三菱金曜会」の会員企業27社(「三菱金曜会」公式サイトより)

昔は社長会が三菱グループの仮想本社だった

 さて、旧主・岩崎家を説得するには格好の人物がいた。三菱商事次期社長と目された、荘(しょう)清彦である。荘は三菱財閥重役の息子で、当時の岩崎家当主・岩崎彦弥太(ひこやた)の東京高等師範学校(現・筑波大学)附属小学校の同級生。岩崎家からの信頼は絶大だった。

 以来、荘は三菱グループ内で徐々に台頭していく。石黒は三菱社名商標委員会の設立と同時期に、三菱グループの社長会・三菱金曜会を設立してそのトップとなるのだが、荘は石黒の2代後のトップ(世話人代表)に就任する。

 日立グループのトップは日立製作所、トヨタグループのトップはトヨタ自動車であるが、三菱グループはグループ会社の連合体で、トップの企業がない。ただし、石黒が戦前の財閥本社を念頭に置いて三菱金曜会をつくったので、世話人代表はグループ間企業の調停など、かなりの権限を有していた。いわば、三菱金曜会は三菱グループの仮想本社で、世話人代表が三菱グループのトップに当たる。世話人代表が積極的にグループ運営の主導権を取ることが、三井や住友にはない、三菱グループ固有の特徴だった(1990年代頃から、世話人代表は行使権限を振るわなくなっているが)。

 荘は世話人代表に就任すると、リーダーシップを発揮して、三菱グループの結束強化に動く。ミツビシ・スリーダイヤのブランドイメージを最大限に利用すべく、三菱金曜会の下部組織として三菱広報委員会、三菱マーケティング研究会を設置して、グループを挙げて営業推進に取りかかった。

 そして、「BUY(バイ)三菱」(=三菱製品を買いましょう)運動を推進し、「あなたの三菱、世界の三菱」をグループの共通宣伝標語として掲げ、三菱グループ企業13社の従業員27万人、その家族約100万人を対象とした「三菱ファミリー・ショー」を開催した。三菱グループの従業員がキリンビール以外のビールを飲まなくなったのも、この頃からのようだ(最近はそうでもないらしいが)。

 これらは、すでに自立したグループ各社が、あたかも戦前の三菱財閥のような単一資本の集団であるかのごとくに錯覚させるイメージ戦略でもあった。ある座談会で、荘は以下のように語っている。

「(三菱)グループ内で別々な動きをしていたんじゃ駄目だ。自分たちだけの力では、各個撃破されてしまう。外国じゃ現に、三菱一本だと思われている。(中略。グループ各社が)お互いの力で育っていく。僕が“バイ三菱”というのは、その辺からなのだ」(「丸の内だんぎ」)。

 荘は三菱商事会長(前社長)でもあったから、特に海外から三菱グループがどう見られるかを考えてのことだったのだろう。その成果もあって、ミツビシとスリーダイヤは海外から高い評価を得ることに成功したのである。
(文=菊地浩之)

菊地浩之

菊地浩之

1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)、『織田家臣団の系図』(角川新書、2019年)、『日本のエリート家系 100家の系図を繋げてみました』(パブリック・ブレイン、2021年)など多数。

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