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天皇のお名前の秘密 裕仁、明仁、徳仁…なぜ「○仁」が多い?

文=菊地浩之
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天皇のお名前の秘密 裕仁、明仁、徳仁…なぜ「○仁」が多い?の画像12016年8月8日、生前退位の“お気持ち”を表明する今上天皇(写真:アフロ)

 2019年5月1日に改元する新元号が、4月1日に発表されることが決まった。今上天皇は今後、「上皇」と呼ばれるそうだ。元号に関するウンチクはおそらく数多く語られるだろうから、ここでは天皇のお名前に関するウンチクを述べていきたい。

 意外に知られていないような気がするのだが、今上天皇のお名前は「明仁」(あきひと)である。父の昭和天皇が明治天皇を尊敬していたので、「明」の字がつけられたらしい。そういえば昭和天皇も、在位の間は『天皇ヒロヒト』(英国人レナード・モズレーの著書名)などと呼ばれた。お名前が「裕仁」だったからだ。

 将来「昭和天皇」と呼ばれることと、みんな薄々感づいてはいたが、厳密にはそうでないことも知っていた。なぜかといえば、「昭和」というお名前は、諡(おくりな)といって死後に贈られるお名前だからだ。いうならば、坊さんにつけてもらう法名「○○院」と同じなのだ。なぜ、そんなことをするかといえば、実名は呪術の対象になるので呼んではならないという古代中国の考え方が、天皇家に残っているからだ。

カタキであっても礼を失しない忠臣蔵

 現代日本の人名は苗字と実名(諱:いみな)から成っているが、明治以前は通称(ミドルネーム)があった。明治以前は、実名である諱で呼ぶことは失礼にあたるので、ミドルネームで呼んでいた。

 たとえば、赤穂浪士の討ち入りだと、
浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)の遺恨を晴らすべく、
大石内蔵助良雄(おおいし くらのすけ よしお)率いる旧赤穂藩士47名が、
吉良上野介義央(きら こうずけのすけ よしなか)の屋敷に討ち入った。
となる。

 それぞれ、内匠頭、内蔵助、上野介がミドルネームで、長矩、良雄、義央が諱だ。1999年のNHK大河ドラマ『元禄繚乱』では、良雄を「よしたか」、義央を「よしひさ」としていた。諱は普段呼んではならないものなので、正確な呼び方が伝わっていないことがままあるのだ。

 確か、大石内蔵助は「めざすは上野介の御首級(みしるし)」とか言っていたような気がする。カタキであっても、決して「義央の~」とは言わないのだ。失礼にあたるから。

 そして、死後も諱では呼べないので、法名で呼んでいた。たとえば、江戸幕府の公式文書では、「家光」「綱吉」などとは決して書かれず、「大猷院殿」(たいゆういんでん)「常憲院殿」(じょうけんいんでん)などと書かれている。もっとも、幕府と関係のない人物を記す場合には敬意を払う必要がなかったので、(足利)尊氏、(明智)光秀などと、諱をそのまま書いていたのだが。

 そういった日本の伝統が、天皇家のお名前には今もまだ適用されているというわけだ。死後に諡号・追号をつけて、諱を呼ばないようにしているだけではなく、生前もなるべくミドルネームを使って諱を呼ばないようにしている。

 現在の皇太子のお名前は「徳仁」親王(なるひと しんのう)なのだが、昔は「浩宮」(ひろのみや)様と呼ばれることが多かった。「○宮」というのは、いわば、ミドルネームなのである。みんなあまり知らないだけで、今上天皇も昭和天皇も、そして明治、大正天皇も、○宮という名前を持っていたのだ。

・明治天皇 祐宮 睦仁(さちのみや むつひと)
・大正天皇 明宮 嘉仁(はるのみや よしひと)
・昭和天皇 迪宮 裕仁(みちのみや むつひと)
・今上天皇 継宮 明仁(つぐのみや あきひと) 
・皇太子 浩宮 徳仁(ひろのみや なるひと)

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