小松天皇はいないのに後小松天皇
諡(おくりな)とは「贈り名」から来たことばで、本来は死後に贈るものなのだが、生前に自ら名乗ってしまった場合もある。後醍醐天皇(96代)は、「醍醐(60代)や村上(62代)の頃の時代は摂関政治もなく、天皇親政が行われていた理想の時代だ」と評し、みずから後醍醐を名乗り、子どもには後村上を名乗らせた。以後、「後○○」という追号の天皇は27人を数える(北朝の1人を含む)。
筆者が高校生の時、同級生の小松君が「南北朝の統一の時の天皇は後小松天皇だけど、小松天皇はいたのか?」と尋ねてきた。教科書や教材に掲載されている歴代天皇一覧には掲載されていないが、実はいた。平安時代には諡号と追号を両方贈られた天皇が何人かいて、光孝天皇の追号を小松天皇というのだ。
・後深草天皇(89代) 54代・仁明天皇の追号が「深草」
・後小松天皇(100代) 58代・光孝天皇の追号が「小松」
・後柏原天皇(104代) 50代・桓武天皇の追号が「柏原」
・後奈良天皇(105代) 51代・平城天皇の追号が「奈良」
・後水尾天皇(108代) 56代・清和天皇の追号が「水尾」
・後西天皇 (111代) 53代・淳和天皇の追号が「西院(さいいん)」
明治以前は生前譲位が多く、退位した天皇(上皇=太上天皇の略)は「○○院」と呼ばれていたので、生前譲位した天皇を「○○院天皇」と呼んでいた。「○○天皇」と呼ぶようになったのは、1925年のことだという。どうやらその時に、後西院天皇は後西天皇と誤読され、そのままになってしまったらしい。
もちろん、明治以降は「一世一代」の元号を追号としているので、「後○○」という天皇はもう誕生しない。しかし、筆者はふざけて「次の元号は後平成に違いない」と発言し、失笑を買っている。
(文=菊地浩之)
●菊地浩之(きくち・ひろゆき)
1963年、北海道札幌市に生まれる。小学6年生の時に「系図マニア」となり、勉強そっちのけで系図に没頭。1982年に國學院大學経済学部に進学、歴史系サークルに入り浸る。1986年に同大同学部を卒業、ソフトウェア会社に入社。2005年、『企業集団の形成と解体』で國學院大學から経済学博士号を授与される。著者に、『日本の15大財閥 現代企業のルーツをひもとく』(平凡社新書、2009年)、『徳川家臣団の謎』(角川選書、2016年)、『三井・三菱・住友・芙蓉・三和・一勧 日本の六大企業集団』(角川選書、2017年)など多数。