かつて国は毎年、長者番付を発表していた。「高額納税者公示」「納税者番付」などと呼ばれる制度で、1947年から2005年まで実施されていた。一昔前に新聞で全国ベスト10などが紹介されていたのをご記憶の人も多いだろう。
この長者番付の歴史が、このほど1冊の新書にまとまった。それが『日本の長者番付 戦後億万長者の盛衰』(菊地浩之/平凡社新書)だ。
今回は、同書著者の菊地氏に
・長者番付の歴史
・長者番付の社会的意義
・長者番付にみる当時の世相
などについて話を聞いた。
長者番付の歴史
–そもそも企画は、どのようにして思い浮かんだのですか?
菊地浩之氏(以下、菊地) 雑誌の取材が元です。2009年に『日本の15大財閥』(平凡社新書)などを出版したところ、財閥や富豪関連の取材が増えました。やや畑違いな企画も頂くようになり、13年に「週刊東洋経済」(東洋経済新報社)から長者番付の取材を申し込まれました。私は原則、オファーは受ける主義なので、「企業集団の研究家であって、納税者番付の蒐集家ではありませんよ」と留保しながらお受けしたところ、「過去の新聞記事を集めてウラを取ってください」と編集部から指示されました。情報を集めたところで本にならないかと考え、終戦後から公示廃止の05年まで、上位十傑が一挙掲載された本というものはないのではないかと気づき、新書の担当編集者に打診したところ、出版が決定しました。書き上がった時点で、ページ数がやや足りなかったので、米経済誌「フォーブス」が特集する『日本の億万長者』のベスト10も98年度から現在まで収録しています。結果的には05年以降の最新状況が紹介できて一石二鳥でした。
–副題に「戦後億万長者の盛衰」とあるように、本当に多彩な富豪が登場しては消えていくという面白さを感じました。
菊地 そもそも公示制度には、脱税防止という目的がありました。事実、戦後の混乱期の上位十傑は、どさくさに紛れて急激に資産を築いた「新興成金」が多かったのです。当時は超インフレでしたから、物品を隠蔽し闇市に流して高値で売りさばくといった違法な商売で高い所得を得た者が多かったので、その摘発に公示制度が有効だったわけです。
–それが復興期を迎え、やっと普通の経済人がランクインするようになります
菊地 50年に朝鮮戦争が勃発。重工業が復興し、エネルギー需要を支えた炭鉱業者が長者番付に名を連ねました。54年から高度経済成長が始まりますが、同年から68年までを扱った第二章は『松下幸之助の時代』という章題にしました。戦後の新興巨大企業の創業者が株式公開によりキャピタルゲイン(創業者利益)やインカムゲイン(配当金)を手にします。パナソニック創業者の松下幸之助氏のほか、ブリヂストン創業者の石橋正二郎氏、大正製薬創業者の上原正吉氏、出光興産創業者の出光佐三氏といった顔ぶれが番付の常連となっていきます。