番付を見ると、当時の世相が浮かび上がる
–ところが、田中角栄元首相が72年に「日本列島改造論」を唱えるなど、狂乱地価の時代を迎えていくと、また番付に変化が生じます
菊地 意外に思われるでしょうが、日本経済新聞が一面トップで長者番付の記事を報じたのは69年度が初めてです。そもそもは闇業者の脱税防止でしたし、その後に松下氏や石橋氏がランクインしても誰も驚きません。社会面で小さく扱われることも珍しくありませんでした。取り扱いが雑だった証拠に、終戦直後の番付は新聞記事でも間違いがありました。ところが、有名企業の経営者より土地を売った人のほうが上位に位置するようになると、ニュースバリューが出てきたのです。05年に公示が終了したのは個人情報保護という意味ももちろん大きいですが、ニュースとしての社会的役割を終えたという視点も重要だと思います。
–かわいそうな印象もあった“土地成金”も登場します
菊地 79年度には渋谷駅近くの商店街でタバコを販売していた小売業者が2位になりました。土地の急騰で固定資産税が上がり、まかないきれずに売却したのです。しかし高額の所得を得ても、所得税、住民税などが重なり、手元に残ったのは4分の1程度だったそうです。日本の税制の歪みを一身に背負ったような話ですが、この時代は類似のケースが続出しました。
–「大衆社会」の到来でマスメディアが発達すると、作家の森村誠一氏や赤川次郎氏、作曲家の小室哲哉氏がランクインしました。価格破壊の元祖としてダイエーが躍進した際には中内功氏、バブル期にゴッホの落札で話題を集めた大昭和製紙(現・日本製紙名誉会長)の齊藤了英氏も名を連ねました。消費者金融(サラ金)やパチンコ企業の経営者、ゲーム業界の興隆に乗ってゲーム制作企業の創業者、「デフレ時代の寵児」と呼ばれたファーストリテイリングの柳井正氏など、番付が世相を映し出す鏡となっているのには、あらためて驚きました。
菊地 巨大企業の創業者など、表の経済史を担った人々だけでなく、裏に近い世界も現れるのが面白いですね。80年度には暴力団組長が5位に入っています。その一方、日本経済団体連合会(経団連)会長などの要職を務めた、いわゆるサラリーマン社長としての財界人は出てきません。一流企業の社長は、もちろん私たち庶民にとっては資産家ですけれど、十傑に入るほどではないのです。高額納税者公示制度でも、フォーブスの調査でも、創業者一族の「株長者」や不動産売買による「土地長者」が大多数です。大金持ちで有名な鳩山由紀夫元首相は「株長者」の一人で、60年度に祖父の石橋氏が長者番付トップになった時、14歳にして北陸銀行常務より所得が多かったくらいです。