YORK YANKEES」より
「イチローがいなくなってから、マリナーズがめっきり強くなったよね。どうしちゃったんだろう」
とはシアトル在住の、ある日本人女性の弁。
日本人にとっては、シアトルといえばイチローのいる街。シアトル・マリナーズの本拠地セーフコ・フィールドは、シアトル観光の目玉でもある。イチロー効果の甲斐あって、昨年シアトルを訪れた外国人観光客は、日本人が最も多かった(米商務省調べ)。
だから7月23日(現地時間、以下同)の「イチロー、NYヤンキースへの電撃移籍」はシアトルにとって大打撃――。
と思いきや、シアトルのメディアは「イチロー放出は正解だった」と大騒ぎなのだ。というのも、当のマリナーズがイチロー移籍後、憑き物が落ちたといわんばかりに、絶好調なのである。
イチローの抜けた7月23日から1カ月余り、8月29日までの勝率は6割を超えている。開幕から7月22日までは、わずか.433だったのだが。順位こそ今もアメリカンリーグ西地区最下位ではあるが、「イチロー不在」マリナーズの勝率は、同リーグ首位、ダルビッシュ有投手のいるテキサス・レンジャーズの通算勝率をも上回っている。
イチロー・バッシング
日本ではあまり報じられていないが、今期、シアトルでの「イチロー・バッシング」は、目を覆いたくなるほどひどかった。
とりわけ、シアトル唯一の日刊紙「シアトル・タイムズ」はすごかった。連日のように、野球担当のコラムニストや記者たちが、イチロー批判を展開した。
「マリナーズは、落ち目のイチローをどうするんだ?」(6月20日掲載)
筆者のコラムニスト、スティーブ・ケリー氏はイチロー批判の最右翼。選手の入れ替わりの激しいチームにおいて、いつも右翼、一番に据えられたイチローの存在は「自然の法則のようだった」。けれども「それはもう、何百打席も昔の話。僕らが思っていたよりずっと急激な衰えが、彼を襲う前の話だ」とばっさり。
「どんな偉大な選手でもキャリアの末期はそうであるように、彼は今38歳、坂を転がり落ちている。そして今シーズン、チームにとって彼の価値は小さすぎる」
舌鋒は打撃のみならず守備にも及ぶ。
「彼は10年連続でゴールド・グラブを受賞した。でも今や、チームで一番の右翼手ですらない」
6月22日には「マリナーズはイチローをどうするのか?」とのタイトルの記事。ジェフ・ベイカー記者は、今期末で5年契約を終えるイチローの処遇を、監督ははっきりさせるべきだと迫る。
メジャー全球団の右翼手では最低
ベイカー記者は、イチローに取材し、高まっている批判をどう受け止めているか、聞いていた。
これまでもメディアの批判をバネにしてがんばってきた、とイチローは答えている。
しかしながら、近年の出塁率、長打率とも「メジャー全球団の右翼手では最低」で、「野球殿堂入りの有資格者といわれるほどの選手ではあるものの、打撃では軽量級のブレンダン・ライアン(今期絶不調の遊撃手)より出塁率が低く、リードオフ役まで追われてしまったこの38歳にとって、今後のマリナーズに居場所を見つけるのは簡単ではない」と手厳しい。
実際、今期のマリナーズでのイチローは、打撃、守備ともに衰えが明らかだった。3番を打ったり、1番に戻ったり、2番に下がったりと打順が安定せず、あおりを受けたほかの若手の調子を狂わせた。守備でも、信じられない悪送球が目立つようになった。
7月に入ると、自己最悪の25打席無安打を記録した。守備では、チーム記録だった12試合連続無失策を、自らのエラーで途絶えさせた。
大リーグでは、シーズン中の正式トレードは、7月末に締め切られる。7月に入ると、イチロー・バッシングは嵐のような様相を呈してきた。
7月17日には地元のラジオ番組で、「もしイチローが今期末、3年の大型契約をマリナーズと結んだら?」と聞かれたマリナーズの元外野手が、「吐き気がするよ」とコメント。
イチロー批判キャンペーン
シアトル・タイムズも連日、スポーツ面、ウェブサイトでイチロー批判キャンペーンを展開した。
「シアトル在住のスーパー・スターといえば――。イチ…。オー、ノー。今さら。やめてくれ」(7月12日、コラムニストのジェリー・ブルワー氏)
「悲惨なほど成績の悪い38歳が、将来を担う若い選手を犠牲にして試合に出続けるのを見たくない」(7月19日、ベイカー記者ブログ)
「年末には、どう見ても技術的に衰えが明らかで、不相応な年俸をもらっていて、若手の台頭を阻んでいる、ある選手の契約が終わる」「(イチローの年俸)1800万ドルを使って、チームの穴をいくつか埋めれば、チームはかつてなく幸せになる」(7月22日、ラリー・ストーン記者)
「最近のイチローは打てないだけじゃない。守備では、突然、20歳のルーキーのような送球ミスをする」(7月22日、ベイカー記者ブログ)
こうしたバッシングの強さは、シアトル在住日本人の1人として、正直なところ不思議なほどだった。いくら今期、振るわなくても、2001年から11年半、10年連続200本安打をはじめいくつもの歴史的偉業を成し遂げた選手である。
愛されなかった偉大な選手
でも、なぜイチローはこれほど偉大な選手でありながら、シアトルで、「愛される選手」にはなれなかったのだろう?
移籍が決まってからの報道を目にするうちに、イチローが愛されなかった理由は、だんだんわかってきた。
一つは、チーム内で突出した高年俸。
イチローが、シアトルの球場でヤンキースの選手として試合に登場するというイキな演出で、電撃的移籍を発表した7月23日。この期に及んでも、まだシアトル・タイムズはイチローに手厳しかった。
「イチローの5年契約のうち、意義のあったのは最初の年、08年だけだった」(7月23日、ベイカー記者ブログ)
同紙によると、イチローの契約は08年から5年間で9000万ドル。しかし10年には、イチローともう1人の高報酬選手の合計で、チーム年俸のほぼ3割を占めていたのだ。
もう一つは、リーダーシップのなさ、つまり「チームの顔」としての意識の欠如。
「準備に黙々と専念する姿は『自分勝手』ととられたし、チームのリーダーたろうとしない姿勢はプロフェッショナリズムというより、大きな問題だと受け止められた」(7月24日、ブルワー氏コラム)
批判を買った独自のスタイル
また、成績が下降してくると、独特のプレースタイルにも、文句がつけられた。
「イチローは彼のルールでプレーをしていた。彼がバントをするのは、自分がしたい時。バントのサインが出ているのに、しないことも多かった。盗塁のサインも頻繁に無視、彼が走るのは彼が走りたい時、走りたくない時は走ろうとしなかった。イチローは、イチ『ノー』であることが多すぎた」(8月3日、ケリー氏コラム)
ほかの若手選手と話をしない、英語がかなり話せるのに、アメリカの記者会見では必ず通訳を使って日本語で話す、といったイチロー流のスタイルは、アメリカの野球ファンにも理解されなかったようで、シアトル・タイムズ読者欄にも厳しい意見が載った。
「かなり完璧な英語を話すらしいのに、一貫してインタビューや会見では日本語しか話さなかった。これもリーダーシップ欠如の表れだ。最後の挨拶くらい、英語でやってくれてもよかったんじゃないか。がっかりした」(7月29日)
「イチローなき後、チームは18勝9敗だ。チームは今、リラックスした、団結力のある状態になっている」(8月25日)
さてイチロー移籍後、マリナーズでは1番バッターを固定、外野は複数の若手の競争を経て、右翼手はトレードで最近やってきた選手が使われている。
最近のマリナーズの好成績の理由が「イチロー不在」のせいだ、とまではメディアも証明できないものの、「選手のパワーバランスが変わり、若手がやりやすくなったことは間違いない」との見方が支配的。
一方のイチロー本人はといえば、NYではメディアとも英語で話し、チームに打ち解けようとしている様子。新天地で、今度は、地元に愛される選手になれるのだろうか?
(文=長田美穂/シアトル在住ライター)