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食の定番メニューは、いかにして“定番化”したのか?焼肉、中華まん…嘘だらけの歴史

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食の定番メニューは、いかにして“定番化”したのか?焼肉、中華まん…嘘だらけの歴史の画像1『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)
 普段、なにげなく口にしているカレーやコロッケ、ラーメン、アイス、メロンパン……といった大衆食。これらの食べ物はどこの国から来て、ビジネスや文化と接しながら、いかに日本人の口に合うように変化を遂げてきたのか。そんな身近なメニューの変遷にライターの澁川祐子氏が迫ったのが『ニッポン定番メニュー事始め』(彩流社)だ。

・「カレー」は日本初の「あんかけご飯」
・元祖「牛丼」はなんと味噌味だった
・「コロッケ」は「がんもどき」だった!?

……などなど、気になるコピーが表紙に並び、自ら「食探偵ノンフィクション」と評するこの本について、著者の澁川氏に話を聞いた。

–今回の本はJBpressの連載「食の源流探訪」を基にしたもので、テーマは“身近な食べ物のルーツ”です。食べ物の話題が好きな人は多いですし、一家言持っている人も多いと思います。

澁川祐子氏(以下、澁川) そうですね。今回の連載でも、食の話が好きな人は多いんだなと実感しました。定番メニューや普段口にしている食べ物のルーツは、テレビなどでもたびたび取り上げられますし、ネットにもいろいろな情報が氾濫しているので、ただ単にそれらをなぞったり、一般的に元祖といわれているお店へ取材したりすることはしませんでした。

お店の取材をする良さはもちろんありますが、取材をすることで聞いた話に引っ張られてしまう部分があるので、文献を調べ、冷静に見て明らかにしようと。また、「この店が元祖です」とか「こういったルーツがある」と断言することで、視聴者としてもスッキリするので、メディア側もそう言い切ってしまっていた側面もあります。しかし、実際にはどこのお店が元祖かというのは曖昧なことが多く、今回の本では現時点でわかったところまでしか書きませんでした。

 いざ文献を調べてみると、一般的に流布しているルーツとは違うこともありました。

●焼肉の意外なルーツ

–それは、どんな料理でしょうか?

澁川 例えば、焼肉です。「焼肉の起源は朝鮮半島に決まっているじゃないか」と思うかもしれません。これまでの焼肉のルーツといえば、敗戦後、在日朝鮮人によって考え出されたとされる「ホルモン焼き起源説」が王道でした。これは第2次世界大戦後の食糧難の際に、日本人が食べずに捨てていた牛や豚の内臓を、在日朝鮮人が直火で焼いて食べさせる屋台を闇市で始め、それが人気のロースやカルビを取り入れ、現在の焼肉屋の形になったというものです。

 これに対し、食文化史研究家の佐々木道雄氏は、明治以前から日本人が主に山間部で猪や鳥などの肉を直火で焼いて食べていたことや、戦前から牛や豚の内臓を使ったモツ煮込みやモツ焼きがあったと指摘しています。また、1933年の「東京朝日新聞」には「焼肉と心臓」というレシピが紹介されている。この2つの例があるだけでも「ホルモン焼き起源説」には無理があります。

 要するに、戦前からあった焼肉が、戦後の普及に伴い徐々に日本にローカライズされ、現在のような焼肉のスタイルができたんです。

–何が焼肉の戦後の普及に大きな役割を果たしたのでしょうか?

澁川 ひとつは、68年にエバラ食品工業が「焼肉のたれ」を商品化したことで、素焼きの肉をたれにつけて食べるという日本独自の「つけダレ文化」を生みました。また、「無煙ロースター」の登場により、焼肉屋は家族連れの取り込みにも成功します。さらに最近では、ネギを胡麻油と塩コショウで味付けしたネギ塩や、分厚い肉を塩だけもしくはわさび醤油で食べるなど、現在でもローカライズの途中にあります。

●中華まんが現在の形になるまで

–日本へのローカライズという面では、日本に最初に中華まんが入ってきた14世紀の南北朝時代には、羊肉を使った中華まんが和菓子の饅頭になってしまったと。

澁川 江戸時代から明治に入る頃、つまり鎖国が終わった頃に肉食が解禁されるのですが、その前と後では、海外から入ってきた食べ物の日本での受け入れ方も大きく違うんです。ですから、肉食解禁前の南北朝時代に禅宗の僧によって羊肉を使った饅頭が伝わってきたときには、羊肉の代わりに小豆が使われ、中華まんとはまったく違う和菓子の饅頭になってしまったんですね。

–それがどのように、今よく目にする中華まんになるのでしょうか?

澁川 この和菓子の饅頭が、2通りの進化を遂げます。一方は饅頭にパンという要素が加わり、あんぱんになります。他方は正統な点心が入ってきて、27年に東京・新宿の中村屋が「天下一品支那饅頭」という日本風に食べやすくカスタマイズした中華まんを発売します。それ以前にも、中華料理店では包子をアレンジした中華まんを提供してはいましたが、以後、中村屋の中華まんが各メーカーの手本となり、日本中に広がることになります。

–戦後に、山崎製パンや井村屋が進出してくるのでしょうか?

澁川 戦前に、中村屋の支那饅頭が発売された頃には、中華まんは高級品でした。しかし戦後になり、山崎製パンが中華まんの生産を開始すると、気軽にお店で買えるようになります。そして64年、夏場のアイスクリーム用の冷蔵ケースを持て余していた井村屋は、冷蔵ケースを冬に活用するために肉まん、あんまんの発売に乗り出します。そして、翌年に店頭のスチーマーを導入したことで、爆発的なヒットになります。

–それは意外ですね。そしてコンビニとともに中華まんも普及し、今やコンビニには欠かせない商品になったと。

BusinessJournal編集部

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