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キヤノンの悲劇…84歳・御手洗氏が“3度目の社長就任”の異常事態、広がる経営悪化懸念

文=有森隆/ジャーナリスト
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キヤノン本社(「Wikipedia」より/Centpacrr)

 キヤノンは5月1日、御手洗冨士夫会長兼最高経営責任者(CEO、84)が社長を兼務した。御手洗氏の社長登板は異例中の異例の3度目となる。真栄田雅也社長兼最高執行責任者(COO、67)は健康上の理由で退任した。「病気の治療に一定期間を要する」として真栄田氏から退任の申し出があり、同日の取締役会で決議した。真栄田氏は非常勤の技術最高顧問に就く。新型コロナウイルスの影響で主力の事務機器やカメラの販売が落ち込むなか、御手洗氏は事業環境が落ち着くまで社長を兼務し、陣頭指揮に当たる。

 キヤノンは2016年、指名・報酬委員会を設置しており、後任社長は社外取締役を中心とした同委員会で決める。同委員会は御手洗CEO、社外取締役の元大阪高検検事長の齊田國太郎氏(77)、元国税庁長官の加藤治彦氏(67)、社外監査役の田中豊弁護士(76)の4人で構成。齊田氏と加藤氏は「元顧問」で独立性が求められる社外取締役として適格かどうか疑問視する向きがある。社外取締役、社外監査役は事業に精通していないから、結局、後継社長は御手洗氏の一存で決まることになろう。

 再び「ポスト御手洗」課題になるが、後継者を育ててこなかった大きなツケが回ってきた。

最初の社長時代は名経営者と賞賛される

 御手洗氏は1935年大分県佐伯市の出身。大分県立佐伯鶴城高校から大学受験のため東京都立小山台高校に転校。61年、中央大学法学部を卒業。同年4月、叔父の御手洗毅氏(元産科婦人科医)が創業者の1人だったキヤノンに入社。同社が本格的に米国に進出するに当たり米国に渡った。23年間米国に駐在し、後半の10年間はキヤノンUSAの社長を務めた。

 95年、第5代社長を務めていた毅氏の長男の肇氏(マサチューセッツ工科大学大学院で電子工学を修めた技術者)が急逝したため、第6代キヤノン社長に就任。2006年までの11年、社長として経営を主導した。

 社長時代の実績は申し分ない。米国仕込みの「事業の選択と集中」を実践。パソコンなど赤字事業から撤退し、プリンター向けのインク、カートリッジなどオフィス機器とデジタルカメラに経営資源を集中した。デジカメでは世界ナンバーワンになった。

 社長在任中に連結売上高は1.5倍、営業利益は2.6倍に拡大。売上高営業利益率は15.5%と欧米の有力企業に引けを取らない水準に到達した。この間、株価は4倍強に跳ね上がった。製造業の株式時価総額ではトヨタ自動車に次いで第2位になったこともある。米ビジネスウィーク誌の「世界の経営者25人」に選ばれ、御手洗氏は名経営者と賞賛された。

地元人脈を優遇

 06年5月、IT業界初の日本経団連会長に就任するとともにキヤノンの会長になった。このあたりから経営がおかしくなった。第7代社長には内田恒二氏が就任した。内田氏は京都大学工学部精密工学科を卒業した技術者だが、佐伯鶴城高校の後輩。財界活動に軸足を移している間に実権を奪われないように、同郷で高校の後輩の内田氏を起用したといわれた。

 名声が地に堕ちる出来事があった。09年2月に火を噴いたキヤノン大分工場の建設を巡る裏金事件だ。コンサルタント会社大光の大賀規久社長が大手ゼネコンの鹿島建設の裏金を手にし、法人税法違反(脱税)で逮捕された。

 鹿島はキヤノンの子会社から大分工場の土地の造成や建設工事を請け負ったほか、川崎市のキヤノン研究所工事を受注した。総額で850億円のビッグプロジェクトである。大賀氏は、これら事業を鹿島が受注できるように仲介した見返りに、大光などグループ会社3社を受け皿に34億円の資金を受け取っていた。これら脱税資金を元手に親族名義で30億円相当のキヤノン株式を購入していた。

 大賀氏が巨額の裏金を手にできたのはなぜか。経団連会長の御手洗氏の後ろ盾があったからではないのか、と取り沙汰された。御手洗家と大賀家は親の代からの付き合い。御手洗氏と大賀氏の実兄は佐伯鶴城高校の同級生で親友。弟の規久氏は同窓生だった。御手洗氏は「キヤノンも私も事件には関与していない」と完全に否定した。経団連会長を2期4年務め10年に退任した。

隣町出身の真栄田氏を社長に起用

 リーマンショックやタイの洪水被害により業績不振に陥る。12年3月、内田氏が社長を退き、御手洗氏がキヤノン社長に復帰。会長と社長を兼務した。

 株主の反応は厳しかった。13年3月に開催された定時株主総会で御手洗氏の再任の反対票が3割近くに達した。前年は9割以上の賛成があった。賛成率が7割にとどまったことは、かなりの株主が御手洗氏の社長復帰に「反対」との意思表示をしたことになる。

 16年3月、第9代社長に真栄田氏が就任し、御手洗氏は会長兼CEOに戻った。真栄田氏は九州大学工学部卒のカメラ技術者。大分県佐伯市と県境を挟んだ隣町の宮崎県延岡市の出身だ。同郷とほぼ同協といえる出身者を社長に起用したと揶揄された。

カメラも事務機も成長力を失う

 御手洗氏は焦っている。かつて、利益のほぼすべてをカメラと事務機(複写機とプリンター)が稼ぎ出していた。ところが、リーマンショックで環境は一変。世界トップシェアを誇ったデジタルカメラはスマホに浸食されて売り上げが落ち込み、プリンターの販売は低迷した。カメラも事務機も成長力を失った。ビジネスモデルを転換しなければならない。

 16年、6600億円の巨額資金を投じて東芝メディカルシステムズ(現キヤノンメディカルシステムズ)を買収した。これまでにM&A(合併・買収)に累計1兆円を投じてきた。だが、果実をもたらす以前にカメラと事務機がへたってしまった。

 19年12月期連結決算(米国会計基準)の純利益は10年ぶりの低水準となった。期初に純利益を2400億円と予想したが、これが前の期比49%減の1251億円に目減りした。売上高は9%減の3兆5933億円、営業利益は49%減の1746億円だった。売上高営業利益率は4.8%まで急降下した。目標に掲げる5兆円の売り上げには、ほど遠い数字だ。売上高営業利益率15%超を叩き出し、エクセレント・カンパニーと呼ばれたキヤノンは、往時の輝きを失った。

「世の中は10年単位で変わる」が持論の御手洗氏の変節

 新型コロナウイルスの感染拡大がもたらした世界的大不況の強風がキヤノンに吹き付ける。3度目の社長に復帰した御手洗氏は監視カメラや医療機器といった新規事業への転換を、自らの手で成し遂げたいと考えている。

「世の中は10年単位で大きく変わる」。御手洗氏の持論であった。今、通用している経営手法は、次の時代にまったく役に立たなくなる、ということだ。違った人が違った仕組みをつくらなければ企業の発展はないと、自らを戒めてきたはずだ。そのためにも、次の時代を担う、骨太の後継者の育成が最重要課題だった。権力に執着した御手洗氏は、後継者を育てることをおろそかにした。ミニ・御手洗を経営陣に起用し続けた結果、「社長のなり手がいない」(関係者)

 これは悲劇か、それとも喜劇か。社長に寝首を掻かれる心配のない人物を据え、御手洗氏は会長兼CEOとして、死ぬまで君臨することになるのだろう。

社長就任を好感せず株価は下落

 5月7日の東京株式市場。キヤノンの株価は急落し、大型連休前に比べて78円50銭(4%)安の2138.5円まで下落した。3月17日の年初来安値2035円が視野に入ってきた。7日朝に為替相場が1ユーロ=114円35銭と3年半ぶりのユーロ安・円高となり、欧州の売り上げが全体の4分の1を占めるキヤノンの業績悪化の懸念が強まった。

 キヤノンは20年1~3月期の連結決算を発表した4月23日の時点で、20年12月期(本決算)の業績見通しを取り下げた。カメラを含む主力事業の需要の見通しが立たないためだ。御手洗氏の3度目の社長復帰は株式市場では好感されなかったことになる。大物が社長になると、先行きに対する期待から「ご祝儀相場」になることがあるが、“仏の顔も3度”ということにはならなかった、

 前途多難である。思い切って、若手を社長に抜擢するくらいの英断が望まれる。「(御手洗氏の)寝首を搔く」ような力のある若手が出てこない限り、キヤノンの浮上はない。

(文=有森隆/ジャーナリスト)

有森隆/ジャーナリスト

有森隆/ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

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