新型コロナウイルスの感染拡大を踏まえ、安倍晋三首相は富士フイルム富山化学の抗インフルエンザ薬「アビガン」を新型コロナ治療薬として強く推し、税金投入に踏み切った。安倍首相は4月7日、緊急事態宣言後に表明した緊急経済対策に「アビガン200万人分備蓄に向けた増産支援」を盛り込んだ。2020年度第一次補正予算に139億円を計上した。政府は緊急事態宣言の期限とされた5月末までの承認にこだわった。臨床試験(治験)の結果が出る前の承認を前提とし、別の臨床研究などのデータを使って承認することを認める異例の措置を取った。
アビガンは安倍政権のコロナ対策の切り札だったが、政府は5月中にアビガンを新型コロナウイルス感染症の治療薬として承認する計画を断念した。6月も新薬の承認が見送られ、アビガンの治験は7月も継続される。感染者が急減し、治験の参加者が目標に届かないのが理由だそうだ。治験の進捗次第では、承認手続きがさらに遅れる可能性がある。
厚生労働省は治験の成績がなくても、富士フイルムホールディングス(HD)が有効性を示せれば、アビガンを新型コロナ治療薬として承認する考えを示しているが、その有効性を確認できるデータが少ないのだ。160兆円のコロナ対策のバラマキが政治問題化しつつある。
「アビガンの設備整備に約47億円割り当てられた。世界各国にアビガンを無償提供する予算が約1億円。つまりアビガン関連に(139億円を含め)約187億円が拠出されている」(「週刊文春」<文藝春秋/2020年6月11日号>より)
アビガンは富士フイルムHD傘下の富士フイルム富山化学が開発した。細胞内のウイルス増殖を妨げる働きをもつ。中国で新型コロナに治療効果があると報告されたのを機に期待が高まった。その後、中国でのリポートは撤回された。
富士フイルムは治験への有効性と安全性を示すために、96人の参加を目標に3月末に治験を始めた。しかし、治験に参加する大病院のベッドは4月は重症患者で埋まり、治験の対象となる軽症・中等症の患者が少なかったことで、参加者を集められなかった。投薬後に28日間の観察期間が必要なため、目標人員を集められたとしても治験が完了するのは7月以降になる。安全性や有効性の評価について、日本医師会なども懸念を表明した。承認はさらに遅れるとの見方が出ている。
富士ゼロックスが営業利益の56%を稼ぐ
富士フイルムHDの2020年3月期の連結決算(米国会計基準)の売上高は前期比4.8%減の2兆3151億円、営業利益は11.1%減の1865億円、純利益は9.5%減の1249億円だった。コロナは260億円の営業減益の要因となった。オンラインの決算説明会で助野健児社長は「新型コロナの影響がなければ過去最高の営業利益を更新していた」と述べた。
事業は大きく3つに分類されている。事務機器のドキュメント事業は富士ゼロックスが業績を牽引する。売上高は4.7%減の9583億円と減収だったが、営業利益は9.0%増の1050億円。18年3月期から人員削減や拠点の統廃合などの構造改革を進めてきた成果が出た。19年11月、富士ゼロックスを完全子会社化したことも寄与した。
古森重隆会長兼CEOが「第2の創業」と位置付けているのが、ヘルスケア&マテリアルズ(医薬品&医療機器)事業。売上高は1.4%減の1兆242億円、営業利益は5.3%減の924億円と減収・減益となった。コロナの影響で診療に使うX線撮影装置や超音波診断装置の受注は伸びた。半面、病院への営業活動の自粛や商談の遅延が発生した。
19年12月、日立製作所からコンピューター断層撮影装置(CT)や磁気共鳴画像装置(MRI)事業を1790億円で買収。今年7月に買収手続きを完了する見込みだったが、コロナ感染拡大の影響で、各国の規制当局の承認手続きが遅れるため、買収の完了時期は見通せなくなった。大きな誤算である。
3本目の柱であるデジタルカメラなどのイメージング事業はスマートフォンとの競合に加えて、コロナ禍で卒業式などのイベントが開かれず失速した。売上高は14.0%減の3326億円、営業利益は51.0%減の251億円と大きく落ち込んだ。本社経費(359億円)を補い、ドキュメント事業の営業利益が全社の56.3%を占めた。富士ゼロックスが大黒柱なのである。
「ゼロックス」ブランドを使えなくなるダメージは甚大
富士ゼロックスは米事務機器大手、ゼロックスと結んでいる技術契約を21年3月末で打ち切る。富士ゼロックスが主にアジア市場、米ゼロックスが欧米市場での販売を担う「棲み分け」を解消。富士ゼロックスは欧米市場に進出する。
米ゼロックスとの合弁を解消した富士ゼロックスは21年4月1日付で社名を富士フイルムビジネスイノベーションに変更し、新たなブランドを導入する。富士ゼロックスから米ゼロックスに年100億円程度支払っていたブランド使用料はなくなるが、世界に通用するブランドを使えなくなる。富士ゼロックスは、富士フイルムと米ゼロックスの合弁会社として1962年に設立。技術提携は新会社設立前の60年に結んでいた。
2018年1月、富士フイルムHDは米ゼロックスの買収を発表した。ゼロックスの大株主がこれに反対し、法廷闘争にまで発展した。19年11月、富士フイルムHDはゼロックスが保有していた25%の富士ゼロックス株を買い取り、合弁を解消した。富士フイルムHDの古森会長が買収発表の記者会見で「ゼロ円買収」を前面に打ち出したことが破談の原因となった。富士ゼロックスを使って米ゼロックスを「現金支出ゼロ」で買収しようとしていると受け止めた米ゼロックスの大株主たちは「詐欺的スキーム」だと猛反発した。「買収するなら身銭を切れ」というわけだ。
米ゼロックスの買収に失敗した代償は大きい。最大の懸念は稼ぎ頭の富士ゼロックスが「ゼロックス」ブランドを使えなくなることだ。欧米ではコピーすることを「ゼロックスする」というほど「ゼロックス」ブランドは浸透している。成熟市場の欧米で、無名の新ブランドで参入して成功を収めるのは難しい、とされる。
「新ブランドへの変更が、古森流のビジネスイノベーションの躓(つまず)きの始まりにならなければいいのだが」(アナリスト)
古森会長はデンマーク工場に1000億円を投下し、バイオ医薬品の製造受託事業を、一気に拡大する。デンマーク工場は19年8月、米バイオジェンから940億円で買収したものだ。コロナ禍で「キャッシュ・イズ・キング(現金は王様)」がトップ経営者の合言葉となった。大型の設備投資やM&A(合併・買収)を見送る企業が相次いでいる。古森会長の決断は吉と出るのか。
アビガンは株価的には一時、効いたが、業績への貢献は限定的である。株価も4月6日には6420円の年初来高値をつけたが、直近では5000円を割り込んでいる。
(文=編集部)