開発7年遅延の三菱スペースジェット(旧MRJ)、絶望の先には、米国市場独占の可能性も
三菱航空機のスペースジェット(2019年にMRJより名称変更)の産みの苦しみが続いている。納入延期は6度にわたり、2年で終わるはずだった型式証明取得のための飛行テストは、いまや6年目に入っている。
そこへ降って湧いた新型コロナウイルスの感染拡大である。これまで約8000億円の開発資金を拠出しこのプロジェクトを支えてきた三菱重工業も、本体の事業がコロナ危機で悪化し2019年度決算で20年ぶりの赤字となるにおよび、一転してスペースジェットに大ナタを振るい、今年度予算を600億円まで半減した。
6月15日、三菱重工はスペースジェットを開発する三菱航空機の人材も段階的に半減させること、またボンバルディア出身のアレックス・ベラミーCDO(最高開発責任者)が退任することを発表した。さらに、北米の3つの拠点の内2つを閉鎖し、試験飛行を行うモーゼスレイク空港に拠点を集約し、加えて最大市場の北米向けに開発予定だったM100(76席)の構想も凍結することにした。いわば最低限の生命維持だけを残して冬眠状態に入るようなもので、スペースジェットの命運は尽き、風前の灯のようにも見える。
ところが、コロナ危機はスペースジェットにピンチをもたらした一方で、実は将来的に大きなチャンスをもたらす可能性があるのだ。
コロナ後に活躍の場が広がるリージョナル・ジェット
9.11米国同時多発テロのような大事件、経済危機、天変地異などは世界経済と航空需要に多大な悪影響を与え、その急落を招く。航空業界では、これらをイベントリスクと呼んでいる。そして、イベントリスクによって減少した航空需要に柔軟に対応するため、大手航空会社は一便当たりの座席数をダウンサイズすべく、リージョナル航空への委託運航を大幅に拡大する。下の図は、2000年の同時多発テロの直後からリージョナル航空が活用され、その旅客数がうなぎ上りに増えていった推移を示している。
その後、2008年のリーマン・ショックでも同じように活用の場が増え、2000年から2010年のピークにかけて、リージョナル航空の旅客数は倍増したのである。今回のコロナ危機でも同様に、大手航空によるリージョナル航空とリージョナル・ジェットの活用が増大すると米国で予測されていて、三菱航空機のホームページでもそれが紹介されている。
リージョナル・ジェットの活躍の場が広がれば、当然その機材の新規需要や将来の代替需要も増える。ただし、注意が必要なのは、現在、型式証明取得を目指しているスペースジェットM90(88席)は米国では飛行できないという点だ。これは、米国の大手航空会社がパイロット組合と結ぶ「スコープ・クローズ」と呼ばれる労使協定のなかで、機材の席数、重量などが制限されていて、M90は重量制限を数トン超えているためである。このため、三菱航空機は、M90の次に米国向けに小型のM100(76席)を開発しようとしていた。
コロナ危機でスペースジェットM100が米国市場を独占できる可能性も
全世界のリージョナル・ジェットの航空機需要の約7割が、北米の需要である。スコープ・クローズは、大手航空のパイロット組合が、委託運航するリージョナル・ジェットの大型化が自分たちの職域を侵すと考えたためにつくられた。コロナ危機によって米国大手航空会社の人員整理がパイロットに及ぶのは必至であり、スコープ・クローズが緩和される可能性は遠のいた。
スペースジェットのライバルであるエンブラエルの新型機E175-E2は、この協定の重量制限を大幅に超えており、米国市場には適合しない。従ってこの協定が現状のまま続く限り、使用可能性のある新型機材としてはM100しかない。競合するエンブラエルの旧型機E170やE175は、燃費性能も大きく劣り魅力は薄い。もしM100が完成すれば、米国という最大の市場を席捲できる可能性を秘めているといっても過言ではない。
コロナ危機が招いたライバル エンブラエル社の挫折
エンブラエルはボーイングと「ボーイング・ブラジル-コマーシャル」という名称の商用機部門の合弁会社を設立する予定であった。これが実現すれば、エンブラエルのリージョナル・ジェットが強大なボ-イングの販売網に乗ることになり、大きな競争力を得て、三菱にとっての脅威になると見られていた。
ところが、折からのコロナ危機によりボーイングが自らの存続のための資金確保を優先せざるを得なくなり、結果としてこの新会社への42億ドルの出資計画を撤回してしまった。合弁が破談となったエンブラエルは新たなパートナーを模索中であるが、いまだ展望がみえていない。コロナ危機が三菱のライバルの勢いを削いだ格好だ。
スペースジェットがガラパゴス・ジェットにならないように
M90の確定発注機数の167機には米国スカイウエストの100機も含まれるが、前述の通りM90は米国では飛行できないため、実態は67機にしかすぎない。このままでは、戦後初の国産航空機YS11の生産数の182機にも遠くおよばない。つまり、全日本空輸(ANA)や日本航空(JAL)を中心に日本で100機程度しか運航しないガラパゴス・ジェットとなりかねない。
三菱がなすべきことは、コロナ危機下の航空業界を模様眺めしているのではなく、とにかくM90の型式証明を1日も早く取得することだ。そして、米国スカイウエストからM100への切り換え製造の要請を取り付け、可能な限り早くM100をローンチすることである。ピンチは、チャンスである。