「弁護士法人東京ミネルヴァ法律事務所」(以下、東京ミネルヴァ)は50億円を超える負債を抱えて、2020年6月24日に東京地裁から破産手続き開始の決定を受けた。負債のうちの約30億円は消費者金融などから回収済みの過払い金(契約者が利息制限法の上限金利を超えて支払っていた金利)で、本来、依頼者へ引き渡していなければならないものだった。
回収済みの過払い金は、東京ミネルヴァと「非弁提携」(弁護士以外の者が弁護士の名義を利用して利益を得ること。弁護士法違反)の関係にあったと疑われている、元武富士社員らが経営する広告代理店「リーガルビジョン」(以下、LV)へ流出していた。東京ミネルヴァの代表の川島浩弁護士は、「週刊新潮」(新潮社)7月9日号のインタビューで次のように話している。
「テレビやラジオ、新聞、ネットなどで出張相談会を告知して集客します。相談会は全国各都市で2週間から3週間、開くことが多いのですが、会場を訪れた人の過払い金返還請求の訴訟を受任する。LVが整えた会場で、お飾りの弁護士は受任するだけでいいわけです。いずれにせよ、これらの広告費が経営を圧迫しているのは明白でしたが、売り上げを上回る請求が削られることはありませんでした」
しかし、法律事務所がLVと取り引きを始めれば、東京ミネルヴァのような立場へ追い込まれかねないことは、10年前、松永晃弁護士が告発していた。月刊誌「紙の爆弾」(鹿砦社)2010年8月号の「『債務整理業』に横たわる『非弁行為』の不法を告発!」と題する記事で、松永弁護士は次のように話している。
「DSC(筆者注・LVの前身)が要求する広告料は不当に高い金額です。私が了承していない金額については支払う必要はありませんが、仮に支払ったとした場合のシミュレーションをしたところ、当事務所は大幅な赤字となり、まったく経営が成り立たなくなります」
2010年1月末の時点で、DSCが取り引きする弁護士事務所と司法書士事務所は約300だったという。DSCとの取り引きを疑問視する関係者は、松永弁護士以外にいなかったのであろうか。
「考え方が違うようだし、まだ未熟だから、別の法律事務所に行ったほうがいい」
「紙の爆弾」の記事が世に出てから半年後、高木啓成弁護士が松永弁護士へ電話をかけてきた。そのときの事情は2013年3月13日付の高木弁護士の陳述書にまとめられている。これは、後述する訴訟へ提出された。以下、陳述書から引用する(一部中略)。
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当職は、東京都新宿区の東京エスペランサ法律事務所に、立ち上げの時期である平成22年(筆者注・2010年)10月から、平成23年(同・2011年)2月末日まで所属しておりました。
平成23年1月中旬ごろ、東京エスペランサ法律事務所の田村公一弁護士は、同法律事務所の会議室にて、株式会社DSCの関係者と会議を行なっておりました。
話の内容は、債務整理案件について、DSCがもっているノウハウを利用して地方に広告を出すこと、DSCが地方での法律相談会を補助し、そこに東京エスペランサ法律事務所の弁護士が法律相談を行うこと等でした。
当職は、DSCがどのような業者であるかについては一切存じませんが、当時、債務整理に関する業者が高齢の弁護士を食い物にするような事件が報道されていたこと等の事情から、債務整理案件については、広告業者に任せるのではなく、自分たちでやるべきだと思いました。
しかし、田村公一弁護士は、経営が未だ安定しないことを心配してか、DSCと取引をすることに非常に前向きであり、当職との間で意見が対立することになってしまいました。
当職は、すぐにインターネットで「紙の爆弾」の松永弁護士の記事を見つけました。
「紙の爆弾」を入手したため、当職は、その内容を読み、そのうえで、今回、被告となっている松永晃弁護士に電話で連絡を取り、「紙の爆弾」の内容について詳細の説明を聞きました。
そして、同2月7日、当職は、最後通告的に、田村公一弁護士に対して、「紙の爆弾」及び松永弁護士に聞いた内容を引用しながら、DSCとの取引を行わないように、と伝えました。
すると、数日後、田村公一弁護士は、当職に対して、「考え方が違うようだし、高木先生はまだ未熟だから、別の法律事務所に行ったほうがいい。」と伝えました。結局、当職は、2月末にて東京エスペランサ法律事務所を去ることになりました。
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高木弁護士に取材を申し込むと、「当方にも草案が残っていましたので再度読みましたが、事実、その通りの内容です。今頃になって被害が顕在化して非弁提携が問題になっていますが、当職としては、こうなることは明らかだったものと思います」というコメントが返ってきた。
「非弁提携のような違法行為はしていません」
「東京エスペランサ法律事務所」(以下、東京エスペランサ)の代表の田村公一弁護士は、「リクルート事件」などの著名な刑事事件の弁護人として知られ、折に触れてマスコミに登場していた。筆者は、1993年に薬物取り締まりに関する取材で知り合い、2007年まで年賀状のやりとりがあった。
2017年6月、田村弁護士は死去し、東京エスペランサは閉鎖された。高木弁護士の後任の川端啓之弁護士を取材すると、「私は田村弁護士に雇われていたので、経営者を差し置いて発言する立場ではありませんが……」と前置きして次のように話した。
「東京エスペランサ法律事務所はDSCと取り引きしていましたが、非弁提携のような違法行為はしていません。事務所を閉鎖するときも、依頼者とトラブルはありませんでした」
田村弁護士が所属していた第二東京弁護士会に、「田村弁護士の死後、依頼者から苦情が寄せられたか否か」と質問したが、「対外的には公表していない」(副会長の西川研一弁護士)とのことだった。
非弁提携に対する認識が甘すぎた、裁判所と弁護士会
2013年2月、DSCは、『紙の爆弾』の記事で名誉を毀損されたとして、松永弁護士に損害賠償を請求する訴訟を提起した。一方、「鹿砦社には、訴状どころか、抗議すら来ませんでした」(松岡利康社長)という。裁判が始まると、松永弁護士は自分の主張を裏づけるため、高木弁護士の陳述書を証拠として提出した。
同年8月、東京地裁は「DSCは非弁提携を計画していたが、断念した」などとして、松永弁護士に損害賠償を命じる判決を言い渡す。2014年8月、最高裁で松永弁護士の敗訴が確定した。【東京ミネルヴァ“破産問題”で問われる「裁判所と弁護士会の責任」防げたはずの武富士支配】の記事で指摘したとおり、非弁提携に対する認識が裁判所も弁護士会も甘すぎたのである。
裁判所と弁護士会のお墨つきを得て、DSC(LV)は取り引きを拡大する。東京ミネルヴァ以外の法律事務所で何も起きていないはずがない。
(文=寺澤 有/ジャーナリスト)