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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラの楽員、なぜコンサート後に打ち上げをしない?聴衆が知らない音楽家の日常

文=篠崎靖男/指揮者
オーケストラの楽員、なぜコンサート後に打ち上げをしない?聴衆が知らない音楽家の日常の画像1
「photo AC」より

「今日のコンサートのあと、みなさんと打ち上げですか?」

 コンサートを聴きに来てくれた友人から、このようによく聞かれます。しかし、残念なことに、打ち上げはありません。僕のコンサートであっても、オーケストラ・メンバーにとっては日々の仕事です。翌日も朝10時から次のコンサートのリハーサルがあったりしますし、少しでも早く、いつも家で待たせている家族のもとに帰りたいし、なかには、明日から始まる難曲の練習をするメンバーもいるのです。

 演奏家は、一般人にとって仕事や用事がない自由時間に働く仕事です。一般の会社員の仕事が終わる平日の夜や、休みとなる週末など「今は仕事がなく時間があるのでコンサートに行ける」という聴衆の方々の前で、“演奏という仕事”をしているわけです。たとえば、僕の友人指揮者などは、「子供が小さいときにも、土日には一緒に遊んだことがなかった」と言いますし、僕の家族も「それが普通なのだ」とあきらめていると思います。

 これはもしかしたら、美容師の仕事に似ているかもしれません。美容師も、会社や学校が終わる平日の夕方以降や、休みの週末は大忙しです。そのため、僕がひょこひょこと平日の昼間に美容室に行くと、「今日はお仕事は休みですか?」と美容師に気楽に尋ねられます。

 実は正直、相手から依頼されて初めて仕事ができる指揮者やソリストにとっては、「お休み」というのは、あまり嬉しい言葉ではありません。これは、芸人が「売れていないとき、1カ月も休みがあったよ」などと、頭をかきかき言うのと同じで、ちょっと不名誉な気分になるのです。

 それでも、一般の方にとっては、お休みは嬉しいでしょう。僕もある時から、美容師から同じ質問をされると説明をするのが面倒なこともあり、「そうです。今日は休みなんですよ」と、会社員の振りをして返したりするようになりました。一生、なることはない会社員になれたような気持ちがして、少し嬉しい気分にもなります。

 音楽家の打ち上げの話に戻すと、時にはコンサート後に、スポンサーからのご招待に呼ばれることもあります。スポンサーのお気遣いで、その土地の最高級の料理と酒を頂くことも多くあります。しかし、指揮者にとっては、食事に舌鼓を打ちながら気持ち良く酔っ払っている場所ではなく、それこそ営業活動の場となります。これまで指揮台と客席という離れた場所にいたスポンサーと、初めて肉声でじっくりと話ができる機会です。オーケストラの状況を説明したりしながら、これからもご援助をお願いしたりするのです。

 冒頭で、オーケストラ楽員との打ち上げはないと述べましたが、リハーサルのあとにソリストと少し食事をしたり、オーケストラ楽員のなかに大学時代や留学時代の同級生がいたりすると、軽く飲みに行ったりすることがあります。しかし、コンサート後に自宅に帰れる場所であれば、その夜のホテルは予約されていませんし、コンサートが終わったあと、そのまま、あっという間に新幹線ホームか空港に直行するのです。

アマチュア・オーケストラでは打ち上げへの参加が不可欠

 話は変わりますが、20世紀後半にベルリン・フィルの芸術監督を務め、「楽壇の帝王」とまで言われたヘルベルト・フォン・カラヤンは、世界中の音楽の重要ポストを総なめにした人物なので、コンサート後の人づき合いも入念かと思いきや、まったく正反対だったそうです。

 コンサートのあと、楽員やファンからの称賛の言葉を聴くのも不愉快で、指揮台から舞台裏に戻り、そのまま楽屋口に待たせてある車に乗って着替えもせずに帰ってしまうと聞いたことがあります。その後は毎回、脂身を取り除いた小さなステーキを食べ、プールで泳いで彼の一日はおしまい。実は、彼がなぜそんな行動をとっていたのか、僕にはわからないこともありません。

 数日間のリハーサル中、大勢の楽員から集中した目で見つめられ、ときには難しいやり取りをし、そしてコンサートとなれば2000名近くの観客の関心を一身に受けます。ものすごい数の目が、自分に集まる時間です。そんな時間を経てコンサートが終わった瞬間には、誰とも会いたくなくなり、ひとりになりたかったのではないかと思うのです。

 さて、打ち上げに関して、アマチュア・オーケストラの場合は話が別です。「篠﨑先生、ホテルを取っておきますので、打ち上げでは存分に飲んでくださいね」と言われながら、打ち上げ会場の大きな居酒屋の宴会場で、指揮者は数時間前に終えたコンサートの感想とお礼を話すことが大事なのです。コンサート終了直後は、楽員は楽屋で着替えたり、楽器を片づけたりと大忙しですし、ステージはすぐにバラシ作業が始まり、次に控えている他団体のための準備をしているので、もうステージには戻ることができません。そこで、すべての楽員の方々に御礼を言える大きな場所は、居酒屋の宴会場となるのです。

 アマチュア・オーケストラにとっては、「あの指揮者は打ち上げに来てくれなかった」とか、「急に怒り出して帰ってしまった」という出来事が、指揮者の音楽よりもインパクトが強いようです。そのため、「今回の指揮者は、なんだか自分たちを気に入らなかったので、打ち上げに来なかったのではないか?」と考え、打ち上げに来てくれない指揮者はもう呼ばないでおこうとなることもあります。したがって、言い訳ができる用事がない限りは、打ち上げに出席することも指揮者の大事な仕事の一環ともいえます。

 そうは言っても、「みなさーん、コンサートか打ち上げかどちらが楽しみですか~?」「篠﨑先生、打ち上げでーす!」と言い合いながら、大笑いしているのが僕なんです。僕の指揮で演奏したアマチュア・オーケストラの皆さんからは、「篠崎先生が一番楽しそうに騒いでいた」と言われることでしょう。結局、僕が打ち上げを楽しみにしているのです。

 現在のコロナ禍では、リハーサルやコンサートを無事に開催するだけでも、感染症対策等でギリギリといえます。これまでオーケストラ・コンサートではクラスターを出していないので、観客の皆様には安心してコンサートに来ていただければと思いますが、その後の打ち上げは、さすがに中止となっています。

 プロ・オーケストラの場合でも、スポンサーから「今回はさすがに……」と言われる状況です。音楽をつくり上げるだけでなく、コンサートをプロデュースする役割も兼ねている指揮者にとって大切な社交ができない苦悩は、ビジネスパーソンの皆様には、よく理解していただけるかと思います。

(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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