空の脱炭素革命「SAF」の正体…2030年、日本企業が挑む廃食油を巡る新たな競争

●この記事のポイント
2030年に日本政府が掲げる「航空燃料の10%をSAFへ」という目標を軸に、廃食油争奪戦の実態、コスモ・ENEOSら国内元売りの量産計画、コスト2〜5倍のグリーン・プレミアム問題、e-fuelへの技術移行まで、航空脱炭素の全構造を解説する。
廃食油が「新たな戦略資源」へと変わる。政府が掲げる2030年の野心的目標に向け、エネルギー大手から外食チェーンまで異業種が入り乱れる「SAF狂騒曲」の全貌を解き明かす。
●目次
- 航空業界が抱える「構造的な矛盾」
- 廃食油争奪戦が始まった——UCOは「新たな原油」
- 政府・自治体が描く「グランドデザイン」
- 異業種が入り乱れる構図と「グリーン・プレミアム」の行方
- 技術の第2フェーズ——「e-fuel」が変える競争構図
航空業界が抱える「構造的な矛盾」
電気自動車(EV)の普及が急速に進む自動車業界と異なり、航空業界の脱炭素化には根深いジレンマがある。リチウムイオン電池のエネルギー密度は現在のジェット燃料の約50分の1にすぎず、長距離・重量輸送を担う旅客機の電動化は技術的にほぼ不可能とされている。
そこで国際的なコンセンサスとして浮上したのが「SAF(Sustainable Aviation Fuel=持続可能な航空燃料)」だ。廃食油(UCO)、農業残渣、都市ごみ、さらには再生可能エネルギーと大気中のCO2を組み合わせた合成燃料など、多様なバイオマス資源から製造される次世代航空燃料である。
SAFの最大の利点は「ドロップイン燃料」であることだ。既存の航空機エンジンや給油インフラをそのまま使用できる「互換性の高さ」が、電動化とは比較にならないスピードで導入を可能にする。ライフサイクル全体のCO2排出量は従来のジェット燃料比で最大80%削減できるとされ、国際航空運送協会(IATA)は2050年ネットゼロ達成に必要なCO2削減の約65%をSAFが担うと試算している。
廃食油争奪戦が始まった——UCOは「新たな原油」
現在、SAFの主流製造技術は「HEFA(水素化エステルと脂肪酸)法」であり、その原料の中核を担うのが使用済み食用油(UCO)だ。かつて廃棄コストをかけて処理していた「ゴミ」が、今や地政学的な争奪戦の対象となっている。
2024年のジェトロのレポートによれば、世界のSAF生産量はこの年に約19億リットル(航空燃料需要の約0.53%相当)に達したとIATAは発表した。数字だけ見れば微量だが、前年比3倍という急拡大が原料市場に大きな圧力をかけている。
日本企業の対応は迅速だ。コスモエネルギーホールディングスは2025年春、大阪・堺製油所に国内初のSAF量産設備を稼働させた。年産3万キロリットルを計画し、廃食油調達のため都内ガソリンスタンドでの家庭系廃油回収も2024年から始めた。ENEOSホールディングスは和歌山製造所に年産40万キロリットル規模の大型プラントを構え、2026年の稼働を目指す。出光興産、富士石油、太陽石油といった元売り各社も相次いで計画を公表しており、国内供給見込み量の積み上げは2024年時点で約192万キロリットルに達したとされる。
エネルギー政策研究家の佐伯俊也氏はこう指摘する。
「UCOの争奪は、かつての石油産出国への依存構造と本質的に同じ問題を内包している。欧州や中国が大量の廃食油を輸出禁止・輸出規制の方向に動いた場合、日本の原料調達は一夜にして危機的状況に陥り得る。廃食油の国内回収体制を今のうちに整備することは、純然たるエネルギー安全保障の問題だ」
政府・自治体が描く「グランドデザイン」
日本政府は「GX(グリーントランスフォーメーション)基本方針」の中で、2030年に本邦エアラインの燃料使用量の10%(約170万キロリットル)をSAFに置き換えるという目標を設定。これを法的根拠とするため、「エネルギー供給構造高度化法」の改正によって石油元売り大手へのSAF供給義務付けが進む。
東京都は2023年から廃食油の広域回収キャンペーンを展開し、コスモ石油との協定に基づいて都内ガソリンスタンドでの回収網を拡充している。羽田・成田という二大国際空港を抱える首都圏にとって、SAFは環境政策であると同時に「国際競争力の維持」という至上命題でもある。
航空分野の国際規制「CORSIA(Carbon Offsetting and Reduction Scheme for International Aviation)」も、日本が無視できない枠組みだ。ICAOが採択したこの制度により、2024年以降の国際線CO2排出量は2019年のベースラインの85%以下に抑えることが求められており、SAFへの移行を怠った航空会社にはカーボンオフセット費用の追加負担が生じる。
航空経営コンサルタントの中村哲也氏はこう述べる。
「日本が今やるべきことは、供給義務化という『強制力のある需要』を設計しつつ、補助金と税制優遇で初期投資リスクを民間が取れる環境を整えることだ。欧州のReFuelEU規制がそれを先行して実践しており、日本はベンチマークとすべきモデルがすでに存在している点では恵まれている」
異業種が入り乱れる構図と「グリーン・プレミアム」の行方
SAFビジネスの特異性は、川上から川下まで異業種が参入する点にある。外食・小売チェーンは「廃食油の排出者」から「SAF原料の供給者」へとビジネスモデルを転換しつつあり、大手外食各社はコスモ石油や地場の廃油回収業者と連携協定を結ぶ動きを加速させている。
荷主・物流企業にとっても他人事ではない。Scope 3排出量(サプライチェーン全体の排出)の削減が機関投資家から強く求められる中、自社製品の輸送に際してSAF使用分のCO2削減価値を帰属させる「SAFc(SAF Certificate)」制度の活用が広まっている。
航空運賃への影響も現実的な問題だ。現時点でSAFの製造コストは従来のジェット燃料(1リットル当たり100円程度)の2〜5倍とされる。10%混合義務化が実現した場合、その差額は航空会社の経営を直撃するか、最終的には旅客が「グリーン・プレミアム」として一部負担することになる可能性が高い。資源エネルギー庁も、この「コスト転嫁の合意形成」を政策上の重要課題として明示している。
技術の第2フェーズ——「e-fuel」が変える競争構図
2030年代以降を見据えれば、SAFをめぐる技術地図は大きく塗り替わる可能性がある。現在主流のHEFA法は廃食油という「生物由来の炭素」に依存しているが、次世代技術「e-fuel(合成燃料)」は再生可能エネルギーの電力と大気中のCO₂から燃料を直接合成する。原料の制約から解放されるこの技術は、理論上は廃食油争奪戦を無効化する。
資源エネルギー庁のロードマップでは、2050年にはSAF全体の原料の約半分がこの合成燃料系に移行する見込みとされる。日本が強みを持つプラントエンジニアリング(日揮ホールディングス、千代田化工建設など)や、水素製造技術がここで直接の競争力になり得る。
「短期的には廃食油の調達力、長期的にはグリーン水素の製造コスト削減力——この二つを国内で確立できた国や企業が、アジアSAF市場で主導権を握る」と前出の佐伯氏は展望する。資源エネルギー庁によれば、アジア圏のSAF市場は約22兆円規模に達すると見込まれる。
SAFは一過性のブームではない。日本の製造業・エネルギー産業にとって、次なるグローバル市場での主導権を確立するための、重要なフロンティアである。廃食油の回収から合成燃料技術の確立まで、「空の脱炭素」という課題は、日本の産業構造を静かに、しかし確実に変えつつある。
<用語解説>
HEFA(水素化エステルと脂肪酸)法:廃食油・動植物油脂を水素と反応させてSAFを製造する現在の主流技術。原料の入手可能性と製造コストのバランスが良い。
ATJ(アルコール・トゥ・ジェット)法:エタノールなどのアルコールを原料とする製造技術。バイオエタノールを活用できる点が特徴。
e-fuel(電子燃料):再生可能エネルギー由来の電力で製造したグリーン水素と回収CO2を合成した次世代燃料。原料制約が少ない反面、製造コストが高い(300〜700円/リットル程度)のが現状の課題。
(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=佐伯俊也/エネルギー政策研究家)











