4月14日以降に発生した熊本地震。避難者の数は一時3万人を超え、被災地では水や食料などの物資が届かずに悲痛な声が上がった。
なんとか被災地に物資を届けようとする人も多かったが、その手段が見つからなかったのも事実だ。同月17日の時点で、日本郵便のゆうパックは熊本県あての引き受けを一時停止、ヤマト運輸と佐川急便も熊本県行きの荷物取り扱いが停止状態になった。
そんななか、カンガルー便で知られる西濃運輸は、遅延はあるものの被災地への配達を継続した。従来のような各家庭への配送こそできないが、営業所止めであれば対応したのだ。
東日本大震災で得た教訓
西濃運輸が地震に負けず配送を行ったのは、これが初めてではない。2011年の東日本大震災の時も、地震発生から3日後の3月14日には被災地に仮設トイレと発電機の輸送を開始。翌日には、業界の先陣を切るかたちで一部被災地への荷受を再開している。
当時は道路が寸断されており、直接配達できないことはわかっていたが、それでも「行けるところまで」と、最寄りの支店や営業所までは荷物を届けることにしたのだ。
また、西濃運輸は、輸送を通じた人命救助も行っていた。しかも、営業停止処分になるリスクを抱えながら。
セイノーホールディングスのグループ企業である東海西濃運輸代表取締役社長の田口利壽氏は、国土交通省の緊急物資輸送に関する委員会に名前を連ねており、東日本大震災の2日後には現地入りしていた。専門家として、効率的な物資輸送体制の状況調査を行うためだ。
田口氏は、テレビなどで現地の状況をわかっていたつもりだったが、実際に現地に降り立ち、想像以上の恐ろしさを感じたという。子供たちにお菓子を配ろうと避難所に行くが、そこで焚き火をしている人たちの姿を見て、なんと言葉をかけていいかわからない。その事実に、あらためて状況の恐ろしさを感じたそうだ。
しかし、被災者が田口氏の姿に気付くと、「おはようございます!」と元気な声であいさつをしてくれたという。これが、「被災していない自分が、こんなにおびえてどうするのだ」と田口氏の勇気に火をつけた。
そして、被災者の子供たちから「お菓子をありがとう。西濃さんも元気にならなきゃダメだよ」という言葉をもらい、それまでにないほど感謝の気持ちを受け止めたという。
災害時、ライフラインは3日ほどたてば、少しずつ復旧していくといわれる。しかし、田口氏は、現地を見て、その3日間の命を守るために、すぐに物流体制が必要と感じたという。
その時点で、国土交通省は自衛隊がトラックで物資を運ぶプランを予定していた。しかし、田口氏は、自衛隊は橋や道路を直すことに専念、警察は人命救助に専念して、物流はプロである我々に任せてほしい、と国土交通省に願い出た。
結果的には、法的に一般車両を受け入れられないということで、その願いは突っぱねられてしまう。それでも、各自治体から緊急物資を提供してもらい、田口氏はトラックでその物資を載せて現地に入るように息子に指示、独自に物資提供を始めた。
運送業の許可取り消しも覚悟の人命救助
避難所に物資を届けて回るなかで福島県の病院に立ち寄った際、田口氏の息子は危篤状態の病人がいることを知らされ、「仙台市の病院に運べば助かるから、運んでほしい」と頼まれた。
しかし、運送業には、その願いを受け入れられない大きな壁がある。荷物以外のものを運んではならない、つまり人を乗せてはいけないという決まりがあるからだ。
もし違反すれば、運送業の許可取り消しになる可能性もある。相談してきた息子に、田口氏は「よし、行け! 許可取り消しになろうが、会社がどうなろうが、そんなことを言っている時じゃない。命を守るために行け」と叫んだという。
そのかいあって、病人の命は救われた。そして、後に田口氏は国土交通省に呼ばれるが、予想に反して「勇気ある行動を取ってくれた」とほめられたそうだ。しかし、緊急時の法律のあり方には大きな疑問を感じたという。
これを機会に、田口氏は災害時の行動や法整備などの必要性を強く感じ、国土交通省に進言している。熊本地震発生から数日後、西濃運輸のホームページには、被災地への配送の制限の告知とともに「災害地図」や「避難所別の必要物資一覧」が掲載されていた。機動力と行動力に加え、ハートの面でも災害に強い、男気あふれる運輸会社であることが証明されたといえるだろう。
(文=星野憲由)