1919年(大正8年)に小倉康臣がトラック4台で運送業を創業。29年に大和運輸設立、東京~横浜間に日本初の路線事業をスタート。48年に入社して71年に社長に就任した二代目の小倉昌男が同社の発展を導く。旧運輸省(現国土交通省)の規制と闘いながら76年に関東一円で小口貨物の宅配システム事業「宅急便」をスタート。82年にヤマト運輸に社名を変更した。05年に持株会社ヤマトホールディングスの100%出資会社として新会社としてヤマト運輸が設立。小倉は95年に退任して05年に死去したが、以後、綱紀の緩みが目立ち、クール宅急便で「冷凍」を「冷蔵」と誤っておせち料理の配達中止、サービス残業の賃金未払い、4万8000件に及んだ引っ越し費用の過大請求などが発生した。