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かんぽ不正から1年、変われない日本郵政の病巣…土光敏夫“社長”なら、こう再建する

文=有森隆/ジャーナリスト
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JPタワー(「Wikipedia」より)

「週刊ポスト」(小学館/8月14・21合併特大号)で「窮地のニッポン企業を任せたい 昭和の名経営者」という企画で「日本郵政社長が土光敏夫だったら」を書いた。スペースの都合で、半分以上、削られてしまった。とても面白い企画なので、当サイトの読者にもぜひ、お読みいただきたいと思う。

土光敏夫とはどんな人物か

「メザシの土光さん」が、一躍有名になったのは、1982年の夏に放映された『NHK特集 85歳の執念 行革の顔 土光敏夫』というテレビ番組だった。行政改革を推進する宣伝として企画されたが、番組を観た人々が驚いたのは、土光の私生活の見事なまでの「つつましさ」にあった。横浜市鶴見区の古びた小さな家に住んで、散髪は自宅で息子が行う。つぎはぎだらけの帽子。戦前から使用しているクシ。使い古された歯磨き用コップ。農作業用のズボンのベルト代わりに古びたネクタイ。そして、妻と二人きりでメザシと麦飯の夕食。これが「メザシの土光さん」のイメージを定着させた。

 5000万円近い年収のうち、1カ月の生活費に使われるのは10万円程度しかない。収入のほとんどは、母親が創立した橘学苑(現・橘学苑中学・高校)という女子中学校のためになげうった。「財界総理」と呼ばれた経団連会長まで務めた土光のあまりに清貧な生き方は、国民に感動を与えた。

 土光は1950年6月、石川島重工業(社長時代の60年に播磨造船所を電撃的に合併。石川島播磨重工業となる。現・IHI)の社長に就任。進水量で世界一の造船会社にした。「財界総理」の異名をとる経団連会長の石坂泰三が、その手腕を買って、土光に東芝の再建を頼んだ。土光は1965年5月、東芝社長に就任した。

 74年5月から80年5月まで第4代経団連会長を2期6年にわたって務め、81年第二次臨時行政調査会長に就任。三公社(国鉄、専売公社、電電公社)の民営化路線を打ち出した。土光は「増税なき財政再建」を基本理念とした最終報告書をまとめた。82年に首相に就任した中曽根康弘が「臨調の答申を必ず実行する」と約束したことから、土光は行革に邁進した。

 こうした経歴から見ると、正統派財界人にみえるが、財界本流とは距離を置いた異端児。実直な人柄と余人の追随を許さない抜群の行動力、そして質素な生活から「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」「行革の鬼」「メザシの土光さん」の異名がついた。

 土光が日本郵政グループを経営したら、どうなるか。石川島播磨と東芝でとった行動を見ればわかる。

土光の行動原理:機先を制する

 山本五十六連合艦隊司令長官の「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉を好む土光の打った手は、徹底した合理化の率先垂範だった。石川島重工の社長に就任するとすぐに、役員だけでなく、一般社員が持っていた伝票や領収書の類をことごとく社長室に運び込ませた。伝票の山をバックに社員の1人1人を順番に呼び入れた。脛にキズもつ社員は多い。社内はパニック状態となった。

 効果はてきめんだった。翌月から経費は、半分から3分の1に減った。社長が自ら伝票をチェックしたという伝説が生まれたが、土光氏は後日、「伝票や領収書をただ集めただけのこと。目を通していない」と打ち明けている。相手の機先を制する威嚇戦術で人心を掌握した。

 東芝でも機先を制した。土光を迎える東芝の役員室の雰囲気は冷ややかなものだった。誰も口をきかない。それでも一度やると引き受けた以上、とことんやり抜くのが、土光の真骨頂だ。社長就任して初の取締役会で、役員たちを一喝した言葉は、今では語り草になっている。

「社員諸君には、これまでの3倍働いてもらう。役員は10倍働け。私はそれ以上働く」

 当時の重役クラスは朝10時ごろ出勤し、夜は銀座で接待を受けるのが当たり前だった。そんなだらけた雰囲気を一掃し、先陣を切って働くと土光は宣言したのである。

 東芝改革では一切の遠慮と妥協を断ち切った。それを象徴するのが“岩下御殿”と呼ばれる前社長の岩下文雄の社長室の打ちこわし作業だった。「ガーン、ガーン、バリバリ……」と、耳をつんざく社長室解体工事の大騒音がぬるま湯体質の東芝の風土を粉砕した。公約通り、土光は率先垂範して10倍以上働いた。午前4時に起床、仏間で30分、読経(土光は日蓮宗の熱心な信者だった)。それから散歩して庭で木刀の素振り、野菜ジュースとヨーグルトの朝食をとって7時半に出社。ゴルフもやらず、料亭も大嫌い。朝早くから夜遅くまで働きづめで、無駄な時間を過ごすことはなかった。

土光の人生哲学:根性と執念の人

「会社で働くなら知恵を出せ。知恵のないものは汗を出せ。汗も出ないものは静かに去って行け」

 元祖モーレツ経営者である土光は、部下に会社人間になることを求めた。部長クラスに対するしごきはすさまじかった。無理難題と思われることでも要求し、できなければ口汚くののしった。今なら、パワハラで問題になりかねないところだ。

「何だ、これしきのことが、まだできないのか。そんなに役立たずなら、もう死んでしまっていい……」

 これには“殿様気風”の強い東芝マンは誰もが落ち込んでしまう。気の弱い管理職が次々とノイローゼにかかったのも無理はない。役員人事に際し土光は役員候補にこう申し渡した。

「君を役員に推薦したいのだが、もし役員になると家庭生活が完全に犠牲になる。その覚悟があるかどうか。奥さんとよく相談して、一週間後に返事をしてくれたまえ」

 もちろん、役員候補は全員、受諾すると報告をした。晴れて名門東芝の取締役になれるからだ。ところが、数カ月もたたず脱落する人が相次いだ。それほど土光の“管理職しごき”はすさまじかった。大きな仕事を示されると、「できない、無理、難しい」と拒否反応を示し、その理由をあれこれ述べるサラリーマンは少なくない。土光は、「個人の能力には大きな差はなく、あるのは根性と持続力の差だ」と言っている。東芝の経営再建を見事にやり遂げた土光ほど「執念」という言葉が似つかわしい経営者はいない。

 有名な言葉を残している。「やるべきことが決まったならば、執念をもってとことんまで押しつめよ。問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である」。けだし名言である。

土光の経営観:インテリ経営者ほど優柔不断で、決断と実行力に欠ける

「私はどのようなポストでも、一度引き受けたからには全知全能を傾けて全うします」

 土光は、根性と執念の人だった。理路整然と卓説を論じるインテリでは、決してなかった。そのため、石坂に推されて経団連会長になった時、インテリを自認する知性派財界人とは肌が合わなかった。モーレツ教教祖の土光の気迫と迫力に圧倒され、息苦しさを覚えたのだろう。「書生っぽ」と批判する土光嫌いの財界人は少なくなかった。

 土光は、そんな口舌の徒のインテリを心底嫌った。「大学卒はろくな奴がいない。とくにエリート大学出の秀才面をしている奴がいけない」というのが本心だった。土光は、インテリ経営者ほど優柔不断で、決断と実行力に欠ける人種はいないと見ていた。日本郵政グループの歴代トップは、まさに決断と実行力が欠如していた。

 現在、高学歴社会になって、土光が嫌ったインテリ経営者ばかりになった。日本経済が長い低迷から浮上できないのは、「メザシの土光さん」の根性と執念を失ったことに根ざしているといっても間違いはないだろう。

日本郵政の宿痾:ガバナンス(企業統治)不全

 かんぽ生命保険の不正発覚から1年が過ぎ、日本郵政グループは保険営業の再開の道を探り始めた。ただ、全容の解明にほど遠い。不正の横行を経営陣はなぜ見過ごしたのか。

 保険料の二重徴収などかんぽの不適切販売問題の原因究明にあたる特別調査委員会は昨年12月、ガバナンス(企業統治)不全を原因の1つとする報告書を公表した。鈴木茂樹総務事務次官(辞任)による日本郵政への行政処分情報の漏洩は、2007年に民営化した日本郵政グループが今なお総務省ともたれ合う構図を浮き彫りにした。監督官庁と企業は適切な距離を保たなければ、ガバナンスは働かない。

 鈴木総務事務次官から、極めて秘匿性の高い内部情報が日本郵政の鈴木康雄上級副社長に伝わっていた。鈴木副社長は1973年に旧郵政省に入省。2009年総務次官に就いた。13年から郵政の副社長を務め、郵政グループの人事を取り仕切るなど実権を握ってきた。実質的に日本郵政グループの“社長”だった。

 10年に退官後も「郵政のドン」と呼ばれる鈴木副社長は現役次官を上回る影響力を持っているといわれていた。郵政がかんぽ問題を報じたNHKに抗議した際の中心人物。NHKの取材手法を「まるで暴力団」と発言し、物議をかもした。

 高市早苗総務相は記者会見で「郵政グループの取締役クラスに旧郵政省採用のOBが入ることはマイナス」と指摘した。日本郵政、日本郵便、かんぽ生命の3社長と、実質的な最高権力者であった鈴木副社長が辞任した。

 2020年1月、元総務大臣の増田寛也が、日本郵政の社長に就任。取締役会は社外取締役で構成される体制に移行した。日本郵政が6月に開いた株主総会では、株主から「社外取締役は経営の監督・チェック機能を果たしているのか」と質問が飛んだ。社長の増田は、「問題を早期に把握し対処できなかった大きな要因に、適時に必要な情報が社外取締役に伝わっていなかったことがある」と強調し、以前からの社外取締役の多くが再任された。そこには、日本郵政グループのガバナンスを回復させるという熱意と迫力が感じられなかった。日本郵政グループの腐敗の一因は社外取締役がまったく機能していないところにあった。

土光敏夫ならどう変える。どう変わる:結論は日本郵政グループの完全民営化

 土光が日本郵政社長だったらどう変えるかだ。どんなポストでも根性と執念でやり遂げるのが土光流だ。彼が日本郵政の社長を引き受けたら、日本郵政グループの完全民営化に「全知全能」を傾ける。日本郵政とかんぽ生命、ゆうちょ銀行の株価は一連のスキャンダルで大幅に下落したままだ。マーケット(投資家)は、日本郵政グループは「成長性が乏しく、投資の対象ではない」とクールに判断している。

 現在、日本郵政への政府の出資比率は57%。本来なら昨年秋に株式の売り出しを行い、民営化法が定める3分の1超まで出資比率を下げるはずだった。日本郵政はかんぽ生命の株式の64%を保有する。ゆうちょ銀行は同88%である。日本郵政の出資比率が過半の現状のままで、新しいことをやろうとすると、「民業圧迫」と非難される。かんぽ生命、ゆうちょ銀行は新商品の認可などに大きな制約がある。だから、同比率を5割未満にすることを目指してきた。しかし、株価が低迷しており、それすらおぼつかない。

 株価低迷はそもそも3社同時上場という、ボタンのかけ違えに起因する。日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険の日本郵政グループ3社は15年11月、東証1部に同時上場した。だが、これに欧米の機関投資家は拒否反応を示した。持ち株会社の日本郵政と、その完全子会社の金融2社の同時上場を目指す“親子上場”に「ノー」を突きつけた。

 東芝出身の社長の西室泰三(当時)が3社同時上場を強行したのは、売却益を東日本大震災の復興財源に充てるとする政府の意向を忖度したからだ。親会社、日本郵政の上場だけでは復興財源を確保できなかった。勲章ハンターの西室は安倍晋三政権に逆らう気は、さらさらなかった。利益相反を防ぐという観点から親子上場は歓迎されない。これが株価低迷の根本的要因であることを知るべきだ。

 東芝は第2代経団連会長の石坂泰三、第4代会長の土光敏夫を輩出したが、その後は新日本製鐵、東京電力、トヨタ自動車の経団連御三家の時代が続いた。西室は東芝から3人目の経団連会長になるという野望を抱く。だが、なれなかった。やむなく、日本郵政の社長に転じた。国鉄、電電公社、専売公社の民営化で、土光は歴史に名を残した。西室は郵政民営化で歴史の一ページを飾るという野心に燃えたが、見事に失敗。ガバナンス不全という負の遺産を残しただけで終わった。

 東芝は2015年4月、粉飾決算(全国紙など経済ジャーナリズムは不正会計問題と書くが、粉飾決算である)が発覚。ガバナンスの不全が明らかになった。同年6月25日、東芝は暫定的な株主総会を開いた。監査法人が決算を承認しなかったからである。株主から「現場を直視した土光さんの時代に戻って欲しい」との声が相次いだ。創業以来最大の危機に陥った東芝が今、必要とするのは土光さんだった。

 土光が日本郵政の再生に乗り出していたら、どう変わっているのだろうか。機先を制する威嚇の術で、取締役会の主導権を握る。「エリート大学出の秀才面した奴」が、大嫌いな土光は、学歴に関係なく、執念のある人物を執行役員に抜擢し、日本郵政グループの完全民営化のスキームを立案させる。総務省ともたれあうことから切り離す完全民営化へ向けて、抜群の行動力を発揮するだろう。石播や東芝、臨調で見せた実行力があればできる。

ラッキーな男

 土光は“日本株式会社”が金融引き締めによる大不況に喘いでいた1950年6月24日に、石川島重工業の再建社長に石坂に請われて就任した。土光、54歳の時である。その翌日の6月25日、朝鮮戦争が勃発した。朝鮮戦争特需が、その後の日本経済復興に大きく貢献した。朝鮮戦争特需で石川島は息を吹き返した。

 東京オリンピック特需の反動による「昭和40年不況」の最中に東芝の再建社長に就いた時(これも石坂の推薦だった)も、またまた幸運の女神がほほ笑んだ。まもなく「いざなぎ景気」が到来したからである。無事、再建を果たし、第4代経団連会長に推されたのである(もちろんこれも石坂の指名である)。石坂はこの時、経団連会長就任を固辞する土光にこう言った。「君は大工の棟梁としては一流になったが、このまま終わるつもりかね。樹木と同じで、人生には必ず節目がある。これからは一企業の枠を超えて、国家という巨大なビルづくりをやってみてはどうか」。

 土光は第4代経団連会長に就いた。77歳の遅咲きの「財界総理」であったが、「行動する財界」に変身させる使命を帯びていた。この時もラッキーだった。日本経済は「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれる黄金期を迎えていた。

 土光は自ら持ち株会社、日本郵政の社長兼CEOとなり、かんぽ生命、ゆうちょ銀行、日本郵便(非上場)の各子会社の社長にラッキー(幸運)な星のもとに生まれた経営者を充てるだろう。火中の栗を拾うという気概を持った男を学歴に関係なく起用する。

具体的な処方箋はズバリこうだ

 日本郵便の全国一律サービスの扱いをどうするか。過疎地域では郵便局が唯一の金融機関という現実を無視できない。郵便局員のフットワークを活用して訪問介護、弁当の宅配などの事業への進出。先進的な企業との提携などを検討する。郵便事業の将来展望をきちんと示す。土光なら「やれないことは(民間企業では)やれない」とはっきり言うだろう。あいまいにはしない。国民に過大な期待を抱かせることはない。

 NTTがやったが、東日本、西日本に2分割する案もある。日本郵便東日本、同西日本にして効率化を図る。特に西日本の効率化が必要になる。持ち株会社、日本郵政のガバナンスの強化。役人出身の社長ではダメ。現社長の増田は元総務大臣。自公に担がれ東京都知事選に出て小池百合子・都知事に惨敗した。役人上がりだし、ラッキーな男でもない。民間企業の成功体験を持つ経営者を引っ張ってきて、ゆうちょ銀行、かんぽ生命、日本郵便のトップを刷新する。土光ならできる。

 日本郵政のゆうちょ銀行、かんぽ生命への利益依存度を下げる。ゆうちょ銀行、かんぽ生命はどうやって生き残るのか。日銀がマイナス金利を導入し、厳しい経営環境下にあるが、どう稼ぐかを考える。金融界のトップクラスの人材を土光はスカウトしてくるだろう。日本郵便に関しては全国一律サービスを続ける場合の費用負担について政府・地方自治体と本音で話し合う必要がある。

 日本郵政グループは不動産を多数、保有しているが、効率良く使われているとはいいがたい。都市部の一等地にある大きな郵便局(中央郵便局)の不動産を、早急に有効活用すべきである。この実現のためには、大手不動産会社との業務提携が必要になる。日本郵政、ゆうちょ銀行、かんぽ生命の政府保有株の放出を早める。そのためには株価を上昇させる必要があるのは、これまで書いた通りだ。

 日本郵政の大型M&Aの失敗を生きた教訓とする。豪州の物流大手、トール・ホールディングスを6000億円の巨額資金を投下して子会社にしたのは、西室泰三だった。「日本郵政グループに高い成長を牽引する機関車がいない」という海外の機関投資家の指摘に敏感に反応した結果、M&A市場に棚ざらしになっていたトールに飛びついたのだ。日本郵政グループは2015年11月に株式上場を果たしたが、同年2月にトールの買収を決定している。上場するにあたって企業実態を良く見せるために巨額のM&Aに踏み切ったわけだが、見事にすってんころりんした。時間をM&A、すなわちカネで買う戦略だったが、協業による相乗効果をあげられず、日本郵政は17年3月期に約4000億円の減損損失を計上。300億円弱の最終赤字に転落した。現在、トールの売却話が急浮上している。

 土光だったら、完全民営化が最終ゴールだとしても、日本郵政、かんぽ生命、ゆうちょ銀行の3社同時上場に待ったをかけたかもしれない。少なくとも熟慮したはずだ。そうすれば失敗することがわかっていたトールを常識外の高値で、慌てて買うこともなかった。

(文=有森隆/ジャーナリスト、文中敬称略)

有森隆/ジャーナリスト

有森隆/ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

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