<ゼロから12年で年商7700億円 従業員10万人の企業を創った起業家の書――>。
日本経済新聞(11月19日付朝刊)をはじめ全国紙に軒並み掲載された一つの書籍の広告が一部で話題になった。人材派遣大手グッドウィル・グループ(G)の創業者で元会長の折口雅博氏が、自伝『アイアンハート』(昭文社刊、税別定価1500円)を出版。紙面の3分の1を占める「全5段」サイズの広告だったからだ。旧グッドウィルGの総帥の座から追放されて12年あまり。折口氏が復活に意欲を示していることを強く印象付けた。
折口氏といえば、日商岩井時代に「ジュリアナ東京」をプロデュースし、退社後も「六本木ヴェルファーレ」など巨大ディスコをオープンして注目を集めた人物。日本中にディスコブームを巻き起こした。95年、引っ越しやイベント準備などの軽作業を請け負うグッドウィルを立ち上げた。
大化けするのが99年7月。グッドウィルGが店頭公開を果たした。日本証券業協会が株式公開基準の規制緩和策として打ち出した「店頭第2号基準」適用第1号となった。株式を公開前、「赤字会社に値が付くか」と危ぶまれていたが、初値は公募価格の3.3倍の2300万円(額面5万円)となった。設立4年5カ月の赤字会社でも株式が公開でき、しかも株価が予想外の高値を付けることを実証してみせた。上場してから数カ月後にグッドウィルGの株価は5000万円を突破した。ネットバブルの狂乱によって、折口氏は一夜のうちに億万長者となり、ベンチャー起業家のスターとなった。
株式公開に際し保有する株式を売却して約52億円の資金を手にした折口氏は早速、M&A(買収・合併)に乗り出した。在宅介護ビジネスを展開するコムスンを買収し、子会社に組み入れた。介護保険制度がスタートした2000年4月1日、全国紙の見開き両面に巨大な広告が出現した。コムスンが全国1217カ所でケアセンターを開設したという内容である。大宣伝で同業他社を圧倒した。
折口氏は“六本木ヒルズ族”の典型である。東京・田園調布に7億円といわれた豪邸を建て、軽井沢にプール付きの超豪華別荘を購入した。高級外車を何台も乗り回し、プライベート・ジェットを購入。美少女アイドルと浮名を流し、「六本木ヒルズ族の兄貴分」と呼ばれた。
だが栄耀栄華は長く続かなかった。06年、コムスンによる介護保険の不正な水増し請求が発覚。人材派遣事業でも不祥事が相次ぎ、経営が急激に悪化した。折口氏は08年3月、会長を引責辞任した。折口氏はグッドウィルGを去っただけでなく、日本から脱出。家族で米国に移住した。09年9月、折口氏と彼の資産管理会社が破産手続きの開始決定を裁判所から受けた。負債は312億円に達した。
折口氏は米国で何をしていたのか。
あのトランプタワーに超高級和食レストラン「MEGU」を出店
米国でやったことは、自伝『アイアンハート』に成功譚として書かれている。大統領になる前のドナルド・トランプ氏とお近づきになるのだ。ツーショットの写真も本書に載っている。
<ドナルド・トランプ氏と初めて会ったのは、2005年の春だった。五番街にあるトランプタワーの最上階近くのオフィスに入ると、さわやかな笑顔の数名のスタッフたちによって、社長室に案内された>(『アイアンハート』より)
すべての事業を失った折口氏に唯一残ったのが、ニューヨークのダウンタウンにある超高級和食レストラン「MEGU」だった。2年半かけて、細部にわたってこだわり抜いて創った 店で、ニューヨーカーから高い支持を得た。国連本部前にあるトランプタワーにMEGUのニューヨーク2号店(MEGUミッドタウン)をオープンする話になり、トランプ氏を表敬訪問した。トランプ氏の第一印象をこう綴っている。
<彼は私を観察しているような感じで多くを語らなかったが、おそらく組むにふさわしいレベルの人間だと思ってくれたのか、すっと席を立つと、まだ残る真剣な表情のなか、少しの笑みを浮かべ、握手をして立ち去った。私は、果たして気に入られたのか、相手は不機嫌だったのかと不安が湧いてきて、多少後味の悪い形でその場を離れることになった。その3~4カ月後、ダウンタウンのトライベッカにあるMEGUニューヨーク本店で、メラニア夫人を伴ったドナルド・トランプ氏とのディナーとなった>(『アイアンハート』より)
トランプ氏は、かんずり(辛味調味料)と小麦粉で炒めたエビ料理「カンズリ・シェリンプ」が特に好物で、この会食でも食べた。トランプタワーへMEGUミッドタウンの誘致が決まった。以来、トランプ氏は自身の誕生日ディナーを毎年このMEGUミッドタウンで開くようになった。
“理不尽な出来事”に対抗するために自伝を出版
米国で始めた高級レストラン「MEGU」が成功。多国間で事業を展開し、3年で70倍の価値を上乗せして事業を売却。イグジット(株式売却による投資回収)ができた。2018年、日本に戻った。現在、ニューヨークと東京に拠点をもつブロードキャピタル・パートナーズのCEO(最高経営責任者)として、起業家たちをサポートする起業家インキュベーターとして活動している。
折口氏は日本で温かく迎えられたわけではない。「FACTA」(ファクタ出版20年1月号)は「旧グッドウィル総帥・折口が借金取り立て地獄」のタイトルで<踏み倒された大和証券は折口氏に遅延損害金含め約23億円の支払いを求めるレターを送り、遂に提訴に踏み切った>と報じた。
自伝を出版した動機につていて、折口氏は「私が直面した理不尽からいかにして立ち上がってきたかをお伝えしたいと思ったから」と語っている。折口氏は、一時期、メディアの寵児だった。成功者としてもてはやされた。だが、介護保険の不正請求が発覚すると、手のひら返しでバッシングの嵐にさらされた。事情を説明しようとした意見広告は、新聞社7社から掲載を拒否された、という。
メディアの溺れた犬は叩けといった報道姿勢や借金の取り立ては折口にとって、“理不尽な出来事”だったようである。御年59歳。枯れるには若すぎる。コトを起こすとき、新聞に大々的な広告をぶち上げるのが折口氏の流儀だ。
アイアンハート(鋼の心臓)の持ち主である折口氏は、自伝本の大広告を打つことで、「復活に挑む」と宣言したのである。
(文=編集部)