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スズキ、修会長退任で完全漂流…最大リスクは長男・俊宏社長、命運握るトヨタの決断

文=有森隆/ジャーナリスト
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スズキ本社(「Wikipedia」より)

 スズキは2020年、創立100周年を迎えた。これを機に、「“ドン”の鈴木修会長がリタイアするのではないか」と社内外で取り沙汰されていた。しかし、修会長は辞めなかった。

 2月24日、スズキは「6月の株主総会後に修氏(91)が取締役を退任し、相談役に就く」と発表した。40年以上にわたって社長、会長として経営のカジ取りを担ってきたカリスマが去る。長男の鈴木俊宏社長(61)を中心とする経営体制に移行するが、世界の自動車業界は「100年に1度」といわれる激動・激変期に突入している。

 カリスマなき後のスズキは生き残っていけるのだろうか。資本・業務提携しているトヨタ自動車の豊田章男社長の頭の中に、スズキの三文字があるのかどうか。2月24日に発表したスズキの中期経営計画を見ても、EV(電気自動車)の具体的な投入時期など電動化に向けた道筋がはっきりとは示されなかった。21年からの5年間で計1兆円を投じ、小型車や軽自動車の電動化を推進する。EVはトヨタと共同開発した技術を活用すると、トヨタ頼みの“弱点”が中期経営計画でも露呈した。

「生き残るため、(電動化などの)技術を5年間でしっかり確立する」(俊宏社長)という決意だけではダメで、行動が伴わないと、この難局は乗り切れない。

カリスマ老いたり

 2月24日のオンライン記者会見で修会長は「(20年3月に創立)100周年を越えて、(退任を)決意した。仕事は(私の)生きがいだ。ありがとう、バイバイ」と語り、会見が終わると、右手を挙げ、会見場を後にした。スズキは軽自動車のトップメーカーとして長らく君臨し、「小さな巨人」と評されたが、カリスマが第一線を退いた後も、成長を維持できるかどうかは見通せない。

 振り返ってみると、鈴木修会長の長期政権は綻びが随所に出始めていた。19年5月10日の決算発表で、記者の質問と噛み合わないやりとりがあった。自動車担当記者の間で「修会長、衰えたり」の見方が一気に広がった。

 米中貿易摩擦についての見解をきかれ、鈴木氏は最初「アメリカと中国が喧嘩をすれば世界は不幸になる」と一般論を述べていたが、その後、「10連休の間、4日間は仕事をしていた」など、質問とはまったく関係ない話を脈略なく続けたからだ。20年1月に90歳になるのだから衰えが目立つのは自然の摂理だったが、問題なのは、修氏が自らの衰えを自覚していない点だった。本来なら、長男の鈴木俊宏社長が“引退”を勧告すべきなのだが、絶対的権力者である父親に対して、何も言えない状態がずっと続いていた。

 燃費不正が発覚した際、修会長がCEO職を俊宏社長に譲ったが、その後、CEOそのものを廃止した。修会長は最高経営責任者のままだったといっていい。完成車検査不正により201万台もの大規模リコール(回収・無償修理)を実施し、813億円の特別損失を計上したにもかかわらず、修氏は1年間の役員報酬の返上で、お茶を濁した。責任を明確にしなかった。

 19年6月27日の株主総会で修会長の取締役選任への賛成比率は66%。前年の93%から27ポイントも大幅に下落した。俊宏社長の賛成比率も70%と前年の94%から急落。創業家に対する株主の目は、一段と厳しさを増していた。

 修氏が辞めることには大きなリスクが伴うことも確かだった。しかし、企業の存続を考えるなら、もっと大きなリスクに目を向けるべきだったのに、俊宏社長の「親離れ」は進まなかった。

 修会長は「有給休暇は死んでから嫌というほどとれる」と宣言するほどのワーカホリック(働き蜂)だったが、この時期、スズキを牽引し続けることは体力的にも難しくなっていた。

 スズキの最大の懸念は主力のインド市場の今後だ。インドはスズキの世界販売台数の半分を占め、日本のそれの実に2倍に相当する。修氏は常々、「どんな小さな市場でもいいから、ナンバーワンになって、社員に誇りを持たせたい」と語っており、その目は新興国市場に向けられていた。

 1982年3月、国民車構想のパートナーを求めて、インド政府の調査団が浜松市を訪れた。修氏は腕まくりして、黒板に現地に建てる工場の図面を描き、熱っぽく説明した後、「カネが要るなら大手にいけばいい。ウチは技術指導をきちんとやる」と結んだ。「田舎者のプレゼンテーション」(修氏本人の弁)がインド進出の決め手となった。翌83年からインドで生産を開始。07年、インド政府は持っていた合弁会社の株式をすべて売却。マルチ・スズキ・インディア社はスズキの子会社となった。

 経済成長を追い風に、本格的なモータリゼーションの波が訪れたマルチ・スズキの業績は急拡大。インド国内の自動車市場におけるマルチ・ススギのシェアは5割を超えた。

 インド市場にしっかり根を下ろし、現地のトップ企業に上りつめたことで、スズキは名実ともにグローバル企業の仲間入りを果たした。インド進出の大成功が、修氏の経営者人生の最大の勲章であることは間違いない。

 それを数字が示している。インド進出前の81年の連結売上高は5000億円だった。直近のピークとなる2019年3月期には3兆8714億円。実に7.7倍になった。マルチ・スズキ様々なのである。

 だが、新型コロナウイルスの感染拡大で、先行きは一段と不透明となった。「小さな市場でNo.1になる」路線は、タイ、インドネシアなどでの都市封鎖に立往生を強いられた。Withコロナに向けてのスズキの喫緊の課題は、主力市場インドをいかに、素早く立て直すかである。

トヨタ頼みで報われるのか?

 トヨタとの関係強化がスズキの今後の成長のカギを握る。19年8月28日、トヨタと資本・業務提携で合意した。トヨタが960億円出資し、スズキの株式を5%程度もつ。スズキもトヨタに480億円程度出資することとなった。この時点で、修氏は次の100年を歩むパートナーとしてトヨタを選んだことになる。

 15年、長男の俊宏氏を社長に指名したが、修氏は「次の100年をどうするか」を常に考えてきた。師匠だった米ゼネラル・モーターズの破綻、後継者として育ててきた娘婿の小野浩孝取締役専務役員の死、独フォルクスワーゲンとの法廷闘争――。苦難の連続だったが、常に頭にあったのはスズキの行く末だ。

 修氏は同じ創業家出身の豊田章一郎・トヨタ名誉会長とは「心が通じ合える」と語っている。トヨタとスズキは静岡県遠州地域で産まれた会社という共通点がある。地縁で結びついている。章一郎氏と修氏は経営者として共通言語を持っている、といわれる。しかし、豊田章男社長とはどうなのか。

「モビリティカンパニー」を標榜する章男社長にとって、スズキは魅力ある存在なのだろうか。「旧態依然とした軽メーカー」と映っているのだとすると、スズキを傘下に組み込むことはないのではないか。トヨタはダイハツという、スズキの永遠のライバルを傘下に持っている。スズキまで抱え込んだら、それこそオーバーキャパシティになる。

「スズキの最大の弱点(ウイークポイント)は、社長の器ではないと言われる俊宏氏が、修氏の長男ということで社長の椅子に座っていることだ」(自動車担当のアナリスト)と言われて久しい。61歳になった俊宏社長に経営者としての決断力が備わったのだろうか。「50歳を過ぎてから欠点を直すことはかなり難しい」(経営評論家)とされる。

「俊宏氏は平時の社長としても物足りない」(スズキの元役員)のに、コロナ禍の未曾有の混乱期に経営のハンドルを握り続けている。彼で、本当に乗り切れるのか。

 鈴木一族の経営を終焉させ、トヨタから生きのいい社長をもらってくること。これが修氏の最後のご奉公かもしれない、と以前書いたが、修氏のリタイアに際して、もう一度書く。

(文=有森隆/ジャーナリスト)

有森隆/ジャーナリスト

有森隆/ジャーナリスト

早稲田大学文学部卒。30年間全国紙で経済記者を務めた。経済・産業界での豊富な人脈を生かし、経済事件などをテーマに精力的な取材・執筆活動を続けている。著書は「企業舎弟闇の抗争」(講談社+α文庫)、「ネットバブル」「日本企業モラルハザード史」(以上、文春新書)、「住友銀行暗黒史」「日産独裁経営と権力抗争の末路」(以上、さくら舎)、「プロ経営者の時代」(千倉書房)など多数。

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