奔走した功労者の退職
何より、常勤医1人という体制では安全面の確保ができず、2月以降は常勤医の補充ができない限り、休診を余儀なくされるとみられている。すでに現時点で、周辺の医療機関からの重粒子線治療を望む患者の受け入れは断っているという。もはや、その存続すら危ぶむ声が出始めているが、なぜそんな事態に陥ったのだろうか。
「人心を掌握しないような人事が繰り返されたからです。そして、その大本をたどっていくと、黒岩知事に行き着く」(前出・元がんセンター医師)
今回の一連の退職劇で真っ先に神奈川県立がんセンターを去ったのは、重粒子線施設を導入した最大の立役者だった放射線治療科のトップを務めていた女性医師N部長だ。放射線医療では定評のある群馬大学医学部出身。東海大学医学部の准教授を経て、08年に同センターに入職した。
「N先生は医師としての技術力に優れているだけでなく、リーダーシップもとれる親分肌。10年には重粒子線治療施設整備室長に就き、先頭に立って同事業の実現に向け奔走してきたのです。そうした人物が、自ら育ててきた事業から“一抜けた”をせざるを得なくなったというのはよほどのこと」(同)
しかも、N医師の兄は神奈川県立がんセンターで副院長に就いているのだ。立場的にも辞めにくかったにもかかわらず、17年、放射線医学総合研究所(千葉市)に出向したのち、そのまま退職に踏み切った。放射線治療科の中堅・若手医師らもN医師に追随するように、次々に退職を表明したというのが今回の流れである。
「方針をめぐって内部対立があったと伝えられていますが、それ以前の問題として、病院幹部たちは放射線治療科のトップに功労者のN先生が就いていたにもかかわらず、重粒子線治療がスタートすると突然、首をすげ替えるように別の医師を登用しているのです」(同)
理事長のリーダーとしての資質に疑問符
その人物とは現在、非常勤ながら重粒子線治療センター長兼放射線治療科部長に就いている辻井博彦医師。放射線医学総合研究所・重粒子医科学センター長を務めるなど、同分野では草分け的な存在だ。
「いくら重鎮とはいえ、辻井先生はすでに70代半ば。そのネームバリューだけがほしくて、お願いしたのでしょうが、組織を破壊するような行為。病院幹部らがこうした愚かなことをした背景には、黒岩知事のスター主義があったというほかない」と、元がんセンター医師は憤る。