厚労省リーフレット配布を理由に…河合塾、24年勤務の講師を突如「雇い止め」、国が復職命令
大手予備校の河合塾から雇い止めされた男性講師について、厚生労働省の外局である中央労働委員会は「速やかに就労させなければならない」と河合塾に復職を命じた。命令書は5月27日に講師と河合塾双方に送付された。
講師側が雇い止めについて、不当労働行為の救済を労働委員会に申し立てたのは2014年1月。愛知県労働委員会で2016年に救済命令が出て、さらに中央労働委員会で再審査が行われたことで、7年以上が経過しての決着だった。労働委員会の処理目標が1年6カ月程度であることを考えると異様な長さだ。
驚くのは、講師が雇い止めされた理由だ。非正規労働者が無期雇用に転換できる権利を定めた、改正労働契約法を解説したリーフレットを同僚に手渡したからだという。しかも、そのリーフレットは厚生労働省が作成したものだった。労働委員会が不当労働行為と認定した、講師の雇い止めの経緯を取材した。
「雇い止めされるとは思わなかった」
中央労働委員会の復職命令を勝ち取ったのは、河合塾数学科講師の佐々木信吾氏(59)。中央労働委員会の命令を受けて、2021年6月に厚生労働記者会で会見した。
佐々木氏は2013年11月、河合塾から翌年度の業務委託契約を結ばないと告げられた。それまでは毎年契約を更新して、24年間勤務してきたので、事実上の解雇である。その主な原因となったのが、下の写真のリーフレットを配ったことだった。
リーフレットは4ページあり、1ページ目の一番下には、厚生労働省の名前が入っている。その年に施行された改正労働契約法のポイントを、厚生労働省がまとめたものだ。佐々木氏は何も手を加えていない。このリーフレットを封筒に入れた状態で、河合塾町田校や横浜校GA館の職員3人に休憩時間中に手渡しただけだった。
ところが、施設内で許可なく文書を配布し、施設管理権を侵害したとして、河合塾から厳重注意を受ける。組合が厳重注意の撤回を求めると、非を認めないことなどを理由に、翌年度の契約が結ばれなかったのだ。佐々木氏は当時をこう振り返る。
「正直言って、厚生労働省が作成したリーフレットを配ったことで、雇い止めされるとは思いませんでした。河合塾の批判が書かれたものではありません。契約を解除された時には、河合塾は一体何を考えているのだろうと思いました」
佐々木氏は労働組合である河合塾ユニオンの書記長を務めている。河合塾ユニオンはもともと別の組合員の雇い止めについて、2012年に河合塾が法人本部を置く愛知県労働委員会に不当労働行為の救済を申し立てていた。その係争中に佐々木氏が契約解除されたことで、ユニオンはそれまでの申立に追加する形で、佐々木氏に対する不当労働行為の救済を2014年1月に申し立てた。
愛知県労働委員会は、リーフレットは組合の主義主張が記載されたビラではないことや、配布によって法人の業務に具体的な支障をきたした事情はないなどの理由から、2016年8月に佐々木氏の解雇を不当労働行為と認定。河合塾に対して佐々木氏の職場復帰と、2014年以降の報酬に5分の利息を付して支払うよう命じた。
労働委員会の命令は行政処分であり、労組法27条15項に基づき、再審査を申し立てても効力は維持され、履行されなければならない。ところが、河合塾は命令を拒否。上部機関である中央労働委員会で再審査が行われ、2021年5月、最終的に佐々木氏の復職と報酬の支払い、それに河合塾の河合英樹理事長による謝罪文の交付を命じる書面が発行された。
改正労働契約法を無視して大量解雇
改正労働契約法は、パート、アルバイト、派遣社員、契約社員、嘱託など、有期契約で働く人が、2013年以降に5年以上勤務すると、無期雇用に転換できる権利が得られることを定めた。つまり、非正規労働者の雇用の安定を図るための法改正だった。
しかし、河合塾では2013年度に佐々木氏だけでなく、それまで長年河合塾を支えていた有期雇用職員らが大量に契約解除された。その多くは女性だった。退職に応じると正社員登用の試験で優遇すると校舎長らに言われたものの、実際には大半が落とされたという。河合塾ユニオンはその人数が180人以上にのぼると指摘する。佐々木氏は相談に来た有期雇用職員らにこのリーフレットを手渡していたのだ。
有期雇用で働く人の雇い止めは、2013年以降に大学や企業でも問題になった。長年働いてきた人を雇い止めしようとするケースや、2013年以降に採用した人の契約を5年未満にするケースが相次いでいる。いずれも無期雇用を避けるためと考えられる。
河合塾も、結果的に改正法の趣旨を無視した形だ。しかも、大量雇い止めによって、講師は担当している塾生に進路指導ができなくなり、業務が混乱したという。河合塾ユニオンの関係者は今回の中央労働委員会の命令によって、「改めて改正労働契約法の趣旨が徹底され、現場で働く人、窓口で学生に接する人たちが安心して働けることにつながれば」と期待する。
「無期転換を避けるために5年未満で解雇するのは、ある意味では非正規労働者へのいじめと言えます。今後河合塾に対して無期雇用を認めるように交渉することに加えて、同じ問題を抱えている大学や企業などの違法な状況が改善されるように、文部科学省や厚生労働省にも働きかけていきたいと考えています」
業務委託契約の「労働者性」を認める
もう1点、中央労働委員会の命令では画期的と言える判断があった。それは、業務委託契約の講師全員を労働者として認めたことだ。
河合塾では、雇用契約と業務委託契約のいずれかを、講師が選べるようになっている。佐々木氏は雇用契約の場合には授業の前後に無報酬の業務を行うことを条件とされたため、労働組合の役員としてどうしても受け入れられず、業務委託契約を選択したという。河合塾は、業務委託契約の佐々木氏はあくまで事業者であり、労働組合法上の労働者ではないとして、契約解除は不当労働行為ではないと主張していた。
しかし、中央労働委員会は、業務委託契約の講師の勤務実態を審査して、次のように判断する。
「法人の事業遂行に不可欠かつ恒常的な労務供給者として事業組織に組み入れられており、業務委託基本契約や個別契約の内容は、一部を除き、会社が一方的、定型的に決定しており、委託契約講師の報酬は、法人に対する労務供給に対する対価であると認められる。
(中略)
広い意味での指揮監督下の労務提供と一定の時間的場所的拘束が認められる。他方、委託契約講師について、顕著な事業者性は認められない」
以上の判断から、佐々木氏を事業者ではなく、法人との関係で労働組合法上の労働者であると認定した。
しかもこの命令では、河合塾で勤務する佐々木氏以外の業務委託契約の講師についても、労働者として認めている。さらに言えば、河合塾と同じような条件の業務委託契約で働く非正規労働者に関しても、労働者として認められる可能性を示したことになる。
現在、河合塾ユニオンの上部団体である橫浜地区労働組合協議会で議長を務め、非正規労働者の相談に応じている佐々木氏は、7年以上かけて得られた結論の意義をこう説明する。
「業務委託で働く人が解雇された際に、経営側の弁護士からあなたは労働者ではないと言われて、1年も2年も埒が明かない状態が続き、そのまま泣き寝入りしたケースは多いはずです。しかもそうした手法はコロナ禍で激増しています。
しかし、今回の中央労働委員会の命令で、業務委託であっても指揮監督下で賃金を得ていれば、労働者として認められることがはっきりしました。非正規労働者にとって大きな一歩になったのではないでしょうか」
命令に対して河合塾は「不服」
最初の審査が行われた愛知県労働委員会も、今回の中央労働委員会と同様に佐々木氏の復職を河合塾に命じていた。ところが河合塾は、愛知県労働委員会の命令に「法人における出講契約の手続きを無視したものであって(労働委員会の)裁量権を逸脱するもの」と反発していた。
河合塾のこの主張を、中央労働委員会は命令書で「労働委員会の救済命令は、不当労働行為を事実上是正するために行う行政処分であり、広範な裁量権を有する」と退けた。命令書には「復職させることを命じるのも適当であって、裁量の範囲内の救済方法として当然認められる」と明確に書かれている。
中央労働委員会の命令をどのように受け止めているのかを河合塾に質問すると、「命令は不服であると考えている。これに対して詳細なコメントは差し控えたい」と回答が返ってきた。河合塾ユニオンによると、河合塾は「この命令を不服として、国に対し命令の取り消しを求める訴訟を提起しました」と塾内に掲示しているという。
しかし、今後河合塾が国と訴訟で争うにしても、行政処分の効力は維持されている。佐々木氏の復職は、速やかに行われるべきではないだろうか。
(文=田中圭太郎/ジャーナリスト)