創業家である松下家がパナソニック(旧松下電器産業)の経営から退く。創業者・松下幸之助氏の孫で副会長の松下正幸氏が6月27日開催の定時株主総会で取締役を退任し、特別顧問となる。
2018年3月にパナソニックは創業100周年の節目を迎えた。これを期に「正幸氏は退任を自ら申し出た」とされる。正幸氏の退任はパナソニック改革の象徴でもある。取締役から創業家出身者がいなくなるのは初めてとなる。
正幸氏は二代目社長・松下正治氏の長男で1945年生まれ。灘高校、慶應義塾大学経済学部を卒業後、68年に松下電器に入社。洗濯機事業部長などを経て86年、40歳の若さで取締役に就任。常務、専務を経て96年に副社長となった。
89年に幸之助氏が亡くなると、松下家の人々は一族の総領となった正治氏を先頭に立て、正幸氏を社長に擁立しようとした。正治氏というより、幸之助氏の長女・幸子さんが正治氏の社長就任に執念を燃やしていたのだ。ここでいう「松下家」は、幸之助氏の妻のむめのさんと、その一人娘で正治氏を婿に迎えた幸子さんの母娘、そして正治氏の3人を指す。
山下俊彦氏など歴代社長の、“隠された”最重要な仕事は「正幸氏を社長にしないこと」。しかし、正幸氏を副社長にした五代目社長の森下洋一氏は違った。
「傍流の特機営業出身で元バレーボール選手だった彼は、正治氏に社長にしてもらった恩義があったからだろう。正幸氏が“ポスト森下”の有力候補となった」(松下電器の元役員)
これに山下相談役(当時)が怒り、「創業者の孫というだけの理由で(正幸氏が)副社長になっているのはおかしい。(松下家への大政奉還を阻止するために)しかるべき行動に出る」と、パーティーの席上で爆弾発言をする一幕もあった。
正治氏は「松下家だから社長になれないのはおかしな理屈」と反論し、森下社長も同調したが、山下発言が導火線となり、世襲批判が社内外から巻き起こった。
パナソニックには、企業の自律性が残っていた。正幸氏が社長になることはなかった。2000年の社長人事で森下氏は中村邦夫氏を六代目社長に指名し、世襲問題は決着。正幸氏は副会長に祭り上げられた。これ以降、正幸氏は関西経済同友会代表幹事、関西経済連合会(関経連)副会長を務めるなど財界活動に軸足を移したが、正幸氏がパナソニックの内紛の渦の中心にいたことは間違いない。「経営の神様」の御曹司だったからで、いつの時代にも、彼を担ごうとする野心家の幹部がいたからだ。