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松岡久蔵「ANA105便の真実―CAはなぜ帰らぬ人となったのか」(3)

勤務中のCA死亡、ANAが葬式で隠蔽行為か、遺族が告白…報告書で事実を歪曲か

文=松岡久蔵/ジャーナリスト

ANA105便でCAのTさんが乗務中に記したメモ 2019年1月10日、全日本空輸(ANA)の米国ロサンゼルス発羽田行き105便で50代の客室乗務員(CA)のTさんが乗務中に脳出血を発症し昏睡、帰らぬ人となった。上の2枚の写真はT さんが105便に乗務中、同じ紙の別の場所にそれぞれ記したメモである。右は正常だが、左はまともに書けておらず「脳出血患者に特有のブレ」(医療関係者)が見られる。 

 105便の真相に迫る本連載3回目では、このメモなどの物証により、ANAが遺族で夫のAさんへの説明責任を果たしておらず、Tさんの労災認定獲得への協力も不十分である可能性について検討していく。

葬式でANA社員が受付名簿を管理、同乗したCAの連絡先を隠す

「ANAの遺族対応には不信感しかありません」

 Aさんがこう考えるように至るきっかけは、Tさんの葬式での出来事だった。1月10日午前4時ごろ、AさんはANAから、105便でTさんが昏睡状態に陥り羽田空港近くの病院に緊急搬送されたとの連絡を受けた。病院にすぐに駆けつけたが、到着した時にはTさんはすでに心肺停止状態で、そのまま帰らぬ人となった。

 失意のどん底にいたAさんにANAから「お葬式の受付をしたい」と申し入れがあったが、Aさんは断った。その後も再度の申し入れがあり、Aさんはそこまで言うならと受け入れた。ただ、Aさんはここで受付を任せてしまったことについて「あまりに私が世間知らずだった」と後悔することになったという。以下はAさんの証言。

「葬式に105便に同乗した同僚が来たら会わせてほしいとお願いし、CA数人と会うことはできましたが、緘口令が敷かれており、何も話さなかった。妻が亡くなった状況や、『妻が亡くなる前に何か私への伝言を頼まなかったか』としつこく質問すると、『体が熱い』『頭が痛い』と言っていたとだけ答えましたが、詳しいことは何もわからなかったんです。

 葬式が終わって驚いたのですが、参列者名簿をチェックしたところ、なんと彼女たちの名前や住所など個人情報だけがすっぽり抜けていた。受付には常にANAの社員が張り付いており、私は自分の個人の連絡先を書いた名刺を受付に置いていたのですが、それも受け取れる状況ではなかったと思います。会社の隠蔽工作が働いたのだと直感しました」

 ANAが、Aさんと同乗したCAとが個人的に接点をつくり情報漏洩が起きるのを防ぐように事前に示し合わせていたと考えられる。

夫「妻の死の真相を知りたい」とANA来訪、セクハラまがいの言動に失望

 105便に関するANAのAさんへの説明は、本連載1回目で紹介した状況報告書など書類に書かれてある内容だけだった。葬式での不信感もあり、Aさんは真相を知りたいと考えた。当日の詳しい状況について説明してもらおうと、Tさんが受けたハラスメントについての質問状も携えて1月末に羽田の客室センターを訪れた。その際、対応したのは当時、客室業務を所管する客室センターの副センター長だったK氏だった。そこでの対応にAさんは非常なショックを受けたという。

「K氏は105便で起きたことについて内容をろくに把握しておらず、まるで国会答弁での大臣のように、若手社員のサポートがないと私の質問にほとんどまともに答えることができませんでした。その時点で遺族に対する不誠実さに憤りを感じたのですが、本当の問題はその後です。

 K氏が『せっかくだからフロアを案内する』と言うので私はそれに従いました。そのフロアには航空機のドアの開閉の訓練設備があり、現役CAに私に実際に訓練を見せるよう指示しました。ドアを開閉する際にはスカート姿の制服のCAが少し屈むのですが、K氏も同じように屈んで、足をガバガバ広げて『あんまり広げるなよ』と揶揄したのです。このCAに対するセクハラなのはいうまでもないのですが、遺族と初対面で会っているのにこの軽薄さには呆れ返りました。

 私はANAのCAの平均勤続年数が6年半と短いことは知っていましたから、『そういうふうに女性を見下しているから、CAが定着しないんじゃないか』とただすと、K氏は『どうせまた入社してきますから。今年もたくさん入ってくるんじゃないかな』とうそぶいたのです。CAの妻を亡くした人間の前で『CAは使い捨てだ』と宣告したに等しい発言で、到底許せません」

 このような言動をする人物がCAを統括する部署のナンバー2に相応しいとは思えない。なお、このK氏はこの直後の19年4月に米州室統括部長総務担当兼ロサンゼルス支店長に栄転しているが、女性差別的な言動や遺族に不快感を与える対応をする人間に、これらの重要な役職に就く資格があるのか、筆者には甚だ疑問である。

労災申請でANA資料に新千歳へ着陸中断の事実が不記載、不都合な事実を隠蔽か、労基署職員も冷淡対応

 妻が亡くなった真相を明らかにするには労災申請しかないと判断したAさんは、ANA側にその旨を連絡した。2月6日にANA社員2人と大田労働基準監督署を訪れ、労基署側の意見を聞くことになったが、そこでAさんはANAと労基署の対応に落胆することになる。

 ANA側が労基署に提出した報告資料には、Tさんが昏睡状態になった後、105便で新千歳空港への着陸寸前で羽田空港に針路変更した事実が以下のように欠落していた。

「・22:20頃〜  1食目サービス終了後休憩 (機内) 休憩終了後、 業務に戻る

・ 23:50 頃〜  休憩終了後、業務に戻る

・02:10頃〜  ギャレーにて2回目サービス準備中 「頭が痛い」と訴え、自身で簡易薬品ケースの鎮痛剤(バファリン) 服用。 直後 に立ったままのギャレー台に突っ伏した。

・02:14〜   ギャレーに座らせ、 横たわらせ刺激、 呼びかけを繰返す が次第に反応がなくなる。 いびきをかいて寝始めた。

・02:48         乗客の看護師の方の指示により問診。

・03:00   客席に移動させ、 横たわらせた。

・04:49   羽田到着」

 本連載(1)で公開したANAのAさんへの報告書では、着陸をめぐる事実関係が記載されていただけに、Aさんは「労基署に都合の悪い事実を隠蔽して報告したとしか思えない」と不信感を募らせた。ANA社員にその場でこの件を指摘すると、当惑した様子を見せていたという。

 労基署の担当職員の対応も冷淡だった。「とにかく労災認定は時間がすべて」と主張し、Aさんが「脳疾患の認定を決める不規則勤務など7つの負荷要因(当時)のうち、労働時間以外 の6つが妻に当てはまっている」とただすと、「時間以外は『絵に描いた餅』だ」と切り捨てたという。Aさんは「ANAがこの面談に協力的だったのは、労基署の非協力的な姿勢を見せるとともに、ANAに有利な内容で申請させて労災不支給をさっさと決めたい意図があったと感じた」と話す。

 ANAにお膳立てされたかたちでの申請では労災が認定されないと考えたAさんは、自分で弁護士を立てて申請することを決めた。ところが、その旨をANAに連絡した途端、関連書類を出さなくなった。親身に接してくれた担当社員も異動になり、後任は一度引き継ぎの挨拶に来た後、一切連絡して来なかった。ANA労働組合もまったく協力しようとしなかったという。

 Tさんの労災申請は21年6月7日付で不支給が決定した。この過程で大田労基署が一度もAさんや105便に同乗した乗員に聞き取り調査を行っていなかったなど不誠実な対応があったことは、別稿で詳しく報じる。

搬送先病院のカルテとANA報告書で大きな差異

 労災申請は、1回目の申請が不支給になった場合、審査請求、再審査請求、裁判という手続きを取ることができる。Aさんはすぐに審査請求し、22年3月現在も労災の獲得に向け情報収集などに取り組んでいる。その過程でANAがAさんに提示した105便の「状況報告書」に不審な点があることが発覚した。

 Aさんは、Tさんが搬送された病院の診察カルテを開示請求し、内容を確認したところ、緊急搬送された段階では以下のように救急隊からの報告を病院側は受けていた。

「午前2時ごろに頭痛を訴えたため休憩室で休憩させていたが、その20分後に意識を消失しているところを様子を見にきた同僚に発見された。千歳空港(筆者注・原文ママ)に着陸を打診するも受け入れ態勢が整っていないとのことで、羽田に着陸。救急隊が到着した頃に嘔吐を一回きたした」

 ANAの「状況報告書」では既報の通り、以下のように記載されている。

「02:10 ギャレーにてご本人から2回目のサービス準備中に『頭が痛い』と近くのCAに申し出あり、その後ご本人自身で簡易薬品ケースのバファリン2錠を服用。直後に立った状態のままギャレー台に突っ伏した」

 この2つの資料では、「休憩室で休憩させていたが、20分後に意識を失った」と「立った状態のままギャレー台に突っ伏した」というまったく違う内容が報告されている。筆者が複数の医療関係者に取材したところ、「緊急時で情報が錯綜していた可能性はあるが、これほど内容が違うことは通常はあり得ない」との見解を得ている。

 Aさんは「休憩室で休ませて20分も放置して意識を失ったというと会社側の責任が明確になるので、立った状態から倒れたところを緊急対応したと有利なように報告書で書き換えたのではないか」と疑念を強めている。

Tさんは状況報告書より早く脳出血していた可能性、9つ折のメモの中に脳出血の患者特有のブレた文字

 筆者もANAの現役CAを取材するなかで、「休憩室でいびきをかいていた」という話が社内で広がっていることを把握している。実はTさんは状況報告書に書かれていたよりも早い段階で脳出血の症状が出ていた可能性があることを示す一つの証拠がある。

 Tさんは当日のフライトメンバー表を9つ折にしてメモを取るのが習慣になっていた。105便のフライトでもそうしており、その2つのメモが記事冒頭の2枚だ。右は正常な字だが、左はまともに書けておらず「脳出血の患者特有の文字の書き方」(医療関係者)になっている。

 ANAの状況報告書には2回目の食事サービスを準備している最中に倒れたと書いているが、脳出血している人間が立って何か作業をできるのか。Aさんは「調べていけばいくほど、自分は妻の死に対して何もANAから知らされていないと感じる」と不信感を募らせる。

夫のAさん「労災認定の獲得は妻の尊厳を取り戻すこと」

「妻はね、家で仕事の愚痴を言ったことがないんですよ。我慢強くて責任感が強い人だった」

 筆者がTさんとAさんのご自宅で焼香をあげさせていただいた際、AさんはTさんの人柄をこう話してくれた。AさんはTさんの納骨をまだできていない。「105便のフライトに出かける時、普段通りに『行ってきます』と出かけていった。どうしても二度と帰ってこないとは思えないんです」

 恋愛から結婚も含めて2人の関係は20年以上続くが、TさんとAさんはほとんど毎週、遊びに出かけるほど仲の良い夫婦だった。Tさんはカエルとくまモンが大好きで、Aさんとの旅先で人形などのグッズを買い集めるのが楽しみだった。ご自宅には手先が器用なAさんがつくった木棚にコレクションが飾られている(下写真)。旅先での写真の表情も非常に明るく、TさんにとってAさんとの旅行は職場で受けた差別のストレスを解消し、生きる支えだった。

勤務中のCA死亡、ANAが葬式で隠蔽行為か、遺族が告白…報告書で事実を歪曲かの画像2

 Tさんがあと3年程度で定年を迎えた後は悠々自適、夫婦水入らずで老後を楽しむつもりだった。それが、105便に乗務したことで、すべて叶わぬ夢になってしまった。

「14年4月に国内線と国際線の混合勤務が始まってから、妻が国際線の乗務に向かう時、いつも背中が小さく見えたんです。彼女の異変にもっと早く気づいてやれれば。どうしても自分をこう責めてしまうんです」

 労災の審査請求はこの春にも山場を迎える。

「夫である私にとって妻の労災認定獲得は、彼女の人間としての尊厳を取り戻すことなんです。ANAは当日の状況や背景などをまともに説明しないし、労基署もろくに調べていない。なぜ妻は105便の乗務中に亡くならなければならなかったんでしょうか。もしこのまま誰も真摯に向き合わないまま、自己責任の私病で片付けられたとしたら、妻があまりにも不憫でならない」。

 労働時間が特に重要視された前回の不支給決定時とは異なり、昨年9月に約20年ぶりに改正された脳・心臓疾患の労災認定基準では「不規則な勤務・交替制勤務・深夜勤務」などの「時間以外の負荷要因の総合評価」が加えられた。死亡したCAの労災申請は初めてで、認定されればTさんが国内第1号となる。 

ANAのCAは01年以降30人以上が死亡

 今回のTさんの事件で明らかになったように、ANA独自の人事評価制度や過酷勤務が、安全対策の基本であるCAのチームワークと健康を蝕んでいる。ANA関係者によると、CAの平均在職年数は6年半で、2001年以降に30人以上のCAが死亡している。特に、14年2月から20年10月までの国際線を急拡大した時期に至っては16人も亡くなっており、平均して1年に2人を上回るペースで死亡していることになる。

 14年と15年に国際線で最も過酷なニューヨーク便で、乗務後に現地で死亡したCAが複数出たことは社内で大きな動揺を起こした。米国現地の捜査当局まで動いたとの情報もある。

 これらの死亡をANAはすべて「私病」扱いで業務と無関係としている。だが、国内線と国際線のマルチ勤務の結果、「時差で眠れないから、マイスリーという睡眠薬を5〜10ミリグラムほどステイ先に持ち歩いたり、アルコールで無理矢理眠ったりするCAがびっくりするほど多い」などといった情報が多くの現役CAから寄せられており、いくら不規則な勤務が前提の職種とはいえ、何か異常なことが起きているのではないかと疑わざるを得ない。

利益優先、競合他社への対抗意識は大事故につながる危険、ANAは安全対策の徹底を

 筆者はTさんが遺したメモや乗客からの感謝カード、遺品をみた時、一人の人間が確かにこの世に存在したのだと実感した。交換可能な部品でもなければコマでもなく、愛する夫がいる自立した女性が懸命に生きていたのである。105便のフライトでも、ANA経営陣が安全対策を徹底していたら、その命は十分に助かる可能性はあった。同じことは二度とあってはならない。

 それに、筆者は自分の家族や友人、知人、読者の皆様を飛行機事故で亡くしたくはない。飛行機の乗客は全員、チケットを買う時、航空会社が安全を保証してくれていると信じている。ANA経営陣はその信頼に十分に応えようとしているだろうか。

 JR西日本の福知山線脱線事故といった深刻な事故は、経営陣の利益優先、競合他社への過剰な対抗意識が根本にあることが多い。もし、ANAグループが乗員乗客に対する安全配慮義務という航空会社の基本をおろそかにしているとしたら、その先にあるのは、惨劇しかない。

 ANA経営陣には、コロナ禍が収束し国際線を本格的に再開する前に、乗員乗客の安全を前提とした運航体制、過重勤務、CAのチームワークを阻害する人事評価制度の見直しをどうか徹底していただきたい。これ以上、誰かが犠牲になってからでは遅い。 

 改めて、Tさんのご冥福を心よりお祈りする。労働当局には厳正な審査をお願いしたい。

(文=松岡久蔵/ジャーナリスト)

【本連載はこちら】

(1)「ANA経営陣の人災で妻を亡くした」CA昏睡で緊急着陸せず死亡、運航部門の指示に疑問

(2)ANA、CAが勤務中に死亡、連続6日の過酷労働…病歴申告も無視、国際線勤務に編入

松岡久蔵/ジャーナリスト

松岡久蔵/ジャーナリスト

 記者クラブ問題や防衛、航空、自動車などを幅広くカバー。特技は相撲の猫じゃらし。現代ビジネスや⽂春オンライン、東洋経済オンラインなどにも寄稿している。
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Twitter:@kyuzo_matsuoka

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