宮内庁関係者が芦田氏のつくった少女服を見て気に入り、推薦してくれたのだという。芦田氏は、東京・元赤坂にある東宮御所で皇后さまと初めて面会した時の様子について、『私の履歴書』内で次のように振り返っている。
「東宮御所に入り仮縫い室に案内された。10畳ほどの室内に大ぶりの鏡や応接セットなどが置かれ、静寂に包まれていた。しばらくするとドアがゆっくり開き、美智子さまが入ってこられた。『芦田でございます。このたびは浩宮さまのお洋服を仕立てることになりました。お目にかかれて光栄です』私が深々と頭を下げると、美智子さまは優しい笑みを浮かべながら頷かれた。その瞬間、清楚なバラの花のような気品が漂い、私は目がくらみそうになった。『こちらこそ、よろしくお願いします。どんな洋服が出来るか楽しみですね』」
浩宮さまに仕立てた洋服はダブルのスーツだった。まず採寸し、仮縫いを1、2回してから仕上げた。スーツの出来栄えに、美智子さまも浩宮さまも大変満足されたようだった。
「『芦田さん、今度、私が着るお洋服の仕立てもお願いしてよろしいかしら』やがて、美智子さまからこんなご依頼を頂いたときは、まるで天に舞い上がりそうなくらいの喜びを覚えた。人生で最高の瞬間だった。大学も満足に出ていない私が、皇太子妃の衣装をつくるなんて……。父や母が生きていたらどんなに喜んだことだろう。今までの苦労が報われた気がした」(同)
こうして66年、芦田淳氏は36歳で皇太子妃、美智子さまの衣装デザイナーとなった。
外交の舞台での服装は多くのメディアの目にさらされ、細かな決まりごともたくさんあるので、芦田氏はデザインに当たり相当神経を使ったという。「皇室デザイナーだった10年間で、デザイナーとして大きな自信と信頼を与えて頂いた」と回想している。
その芦田氏は、自身が大きく成長させたジュン アシダの経営の第一線から退き、その舵取りを次女夫婦に委ねた。デザイナーとしても経営者としてもその才能を如何なく発揮した創業者の決断を受け、ジュン アシダはどのように変わるのか? そしてファッション業界の中で確立された地位とブランド力を、これまで通り維持していくことができるのか? 業界内の注目が集まっている。
(文=編集部)