ビジネスジャーナル > 企業ニュース > 半導体の「黒衣」日本酸素HDとは何者か

半導体の「黒衣」日本酸素HDとは何者か…利益率15%の“空気ビジネス”と、韓国新拠点が映す日韓分業

2026.10.14 05:55 2026.10.14 00:08 企業
文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=堀野剛志/証券アナリスト

半導体の「黒衣」日本酸素HDとは何者か…利益率15%の空気ビジネスと、韓国新拠点が映す日韓分業の画像1

●この記事のポイント
産業ガスで国内首位・世界4位の日本酸素HDは、2026年9月に韓国・牙山市で半導体材料ガス「ジボラン」の新しい製造拠点を稼働させた。2026年3月期はガスの出荷量が減ったが、価格転嫁によってコア営業利益率14.9%を確保した。オンサイト供給の長期契約、寡占市場、超高純度の技術という3つの収益構造と、日韓の半導体分業を決算データから読み解く。

 9月30日、日本酸素ホールディングス(HD)が一本のリリースを出した。韓国・忠清南道牙山(アサン)市で、半導体材料ガスの新しい製造拠点が操業を始めたという内容だ。開所式は9月3日。派手な金額も、聞き慣れた顧客名も書かれていない。

 社名を聞いてピンとくる人は多くないだろう。ただ、魔法瓶の「サーモス」の親会社だと言えば、少しは距離が縮まるかもしれない。本業は産業ガスで、国内首位、世界でも4番手につける。この会社がなぜ安定して稼げるのか。そして、なぜいま韓国なのか。決算資料と公表情報を手がかりに、順に見ていきたい。

●目次

「空気を売る」会社の正体

 源流は1910年創業の日本酸素だ。翌11年、東京・大崎の工場で国内初となる酸素の工業生産に成功している。2020年に持株会社体制へ移行し、国内事業は事業会社(旧・大陽日酸)が担う。筆頭株主は三菱ケミカルグループで、持株比率は50.6%。

 2026年3月期の売上収益は1兆3,596億円。地域別では日本30%、米国27%、欧州26%、アジア・オセアニア15%、サーモス2%と、すでに7割近くを海外で稼ぐ。連結従業員は約2万人にのぼる。

「空気を売る」とは、文字どおりの意味だ。大気を圧縮・冷却して液体にし、沸点の違いを利用して窒素(約マイナス196度)、アルゴン(約マイナス186度)、酸素(約マイナス183度)を取り分ける。業界では「深冷分離」と呼ぶ。原料はタダでも、分離には大型の設備と大量の電力が要る。

 用途は驚くほど広い。製鉄所の高炉に吹き込む酸素、化学プラントの安全確保に使う窒素、食品の酸化を防ぐ充填用の窒素、病院の医療用酸素。そして半導体工場では、ウエハーを汚さないための超高純度窒素や、回路を作り込む工程で使う特殊な材料ガスが欠かせない。普段は目に入らないが、止まれば多くの工場が動かなくなる。インフラと呼ばれるゆえんだ。

出荷が減っても利益が伸びる理由

 まず数字を確認しておく。本業の稼ぐ力を示す「コア営業利益」(IFRSの営業利益から一過性の損益を除いた同社独自の指標)は、この4年で1.6倍になった。

決算期    売上収益(億円) コア営業利益(億円) コア営業利益率
2026年3月期  13,596     2,030        14.9%
2025年3月期  13,080     1,891        14.5%
2024年3月期  12,550     1,659        13.2%
2023年3月期  11,866     1,231        10.4%
出所:同社2026年3月期 通期決算説明会資料より作成。利益率は編集部算出

 目を引くのは、直近期の中身だ。同社の説明では、主要市場の景気停滞でガスの出荷数量はむしろ減っている。それでも増益になったのは、電力費などのコスト上昇分を販売価格に反映させる「価格マネジメント」が効いたためだという。量が落ちても値決めで利益を守れる。ここに、このビジネスの性格がよく表れている。

 背景には三つの構造がある。

 一つ目は供給の形だ。産業ガスの届け方は大きく三つある。顧客の工場の隣に分離装置を建ててパイプで直接送る「オンサイト」、構内に貯槽を置いてタンクローリーで液化ガスを補充する「バルク」、ボンベ(シリンダー)で配送する「パッケージ」。特にオンサイトは10年を超える長期契約が一般的とされ、設備ごと生産ラインに組み込まれるため、途中で他社に切り替えるのは現実的でない。

 二つ目は寡占構造。分離装置には巨額の投資が要り、ガスは重くかさばるため遠くへ運ぶほど不利になる。地域ごとに生産拠点と物流網を持つ企業でなければ戦いにくく、世界市場は独リンデ、仏エア・リキード、米エア・プロダクツ、そして日本酸素HDの上位数社が大半を占めるとされる。シェアの推計は調査会社によって幅があるが、新規参入が極めて難しい市場であることは共通した見方だ。

 三つ目が高付加価値の特殊ガス。半導体製造では「シックスナイン」(99.9999%)級、あるいはそれ以上の純度が求められる場面がある。不純物が数ppb(10億分の1)混じるだけで歩留まりに響くため、精製技術と品質保証体制そのものが商品価値になる。

「産業ガスは景気の影響をまったく受けないわけではありません。ただ、長期契約とコスト転嫁の仕組みがあるため、需要が落ちても利益がぶれにくい。直近の決算は、その特徴がはっきり出た好例だと思います」(証券アナリスト・堀野剛志氏)

なぜ韓国で「つくる」のか

 新拠点は、韓国事業会社のNippon Sanso Matheson Korea(NSMK)が牙山市の仁州(インジュ)地区に建てたものだ。同じ市内の陰峰(ウムボン)地区にある既存工場と連携して生産し、将来の拡張を見込んだ設備も整えたという。主力品目として挙げられているのはジボラン(B2H6)。半導体にホウ素を加える工程などで使われる材料ガスだ。投資額は公表されていない。

 ここで押さえておきたいのは、この案件が空気を分ける大型のオンサイトプラントではない、という点だ。ジボランは毒性が強く、空気に触れると発火しやすい。こうしたガスは長距離輸送の負担が大きく、使う場所の近くで製造・充填し、品質を管理しながら届けるほうが合理的だ。需要地での「地産地消」は、安全と安定供給の両面から理にかなっている。

 韓国にはサムスン電子とSKハイニックスという世界有数のメモリーメーカーがあり、AI向け需要を背景に増産投資が続く。ガス各社の動きも活発だ。米エア・プロダクツは2026年4月、サムスン電子が平沢(ピョンテク)に建てる新工場向けに産業ガスを供給すると発表し、同社にとって半導体分野で過去最大の投資だと説明した。仏エア・リキードも、SKハイニックス向けに約2億ユーロの窒素製造設備を建設すると報じられている。日本酸素HDの新拠点は、こうした競争のただ中にある。

 日韓の関係で言えば、2019年に日本が半導体材料3品目の対韓輸出管理を厳格化し、韓国側が素材・部品・装置の国産化を急いだ経緯は記憶に新しい。措置は23年に解除されたが、韓国の顧客が供給の近さと確かさを重視する流れは続いている。日本企業が韓国国内で製造まで担う形は、日本の精製・品質管理技術と、韓国の量産力をつなぐ現実的な答えの一つと言える。

 人の流れは逆方向にもある。サムスン電子は今年9月、横浜に構える半導体の研究拠点の本格稼働を記念する式典を開き、日本の材料・装置メーカーとの協力を深めたい考えを示した。日本が材料と装置、韓国がデバイスの量産という分業は、片方向の依存ではなく、相互に近づく関係へと変わりつつある。

「政治の関係には波がありますが、半導体の現場では供給を止めないことが最優先です。材料メーカーが顧客のそばに製造拠点を置くのは、両国にとってリスクを下げる選択でしょう」(半導体アナリスト・岩井裕介氏)

ブームの「次」に向けた計画と課題

 同社は2026年4月から4カ年の中期経営計画「Next Innovation 2030」を始めた。最終年度の30年3月期に売上収益1兆5,000億〜1兆5,750億円、コア営業利益2,500億〜2,750億円、コア営業利益率17%以上を掲げる。4年間で約7,800億円を設備投資・投融資に充て、成長投資の重点領域にエレクトロニクスを据えた。足元の27年3月期第1四半期(4〜6月)は売上収益が前年同期比14.9%増、コア営業利益が19.9%増と好調な滑り出しだ。

 半導体の微細化や、メモリーのセルを縦に積み上げる3次元化が進むほど、成膜やエッチングの工程は増え、使うガスの種類も量も増える傾向にある。この流れが続く限り、材料ガスの需要は構造的に伸びるとみてよいだろう。

 一方で課題もはっきりしている。

電力コスト:深冷分離は電力を大量に使う。同社自身、27年3月期の見通しで中東情勢を背景とした電力代の上昇を懸念材料に挙げている。

脱炭素:温室効果ガス排出量を19年3月期比で31年3月期に9%、36年3月期に21%減らす目標を掲げる。電力の大口需要家として、再生可能エネルギーの調達は避けて通れない。

競争と市況:韓国やアジアでは欧米大手との受注競争が続く。半導体投資には好不況の波もあり、増産計画の延期がガス需要に跳ね返るリスクは残る。

「顧客が新しい材料を採用するとき、ガスメーカーには開発段階から並走することが求められます。拠点を近くに持つことの意味は、供給だけでなく共同開発のしやすさにもあるはずです」(同)

見えない場所にある強さ

 スマートフォンやAIサーバーの性能が話題になるとき、ガスの名前が出ることはまずない。それでも、超高純度の窒素や特殊な材料ガスが一定の品質で届き続けなければ、最先端の工場は1日も動かない。

 日本酸素HDの韓国新拠点は、金額で目を引く案件ではない。ただ、顧客のそばで、扱いの難しいガスをつくり、届ける。その地道な積み重ねこそが長期契約と価格交渉力を支え、15%前後の利益率につながっている。日本の製造業がグローバルな供給網の中で存在感を保つ道筋の一つが、ここに見えている。

(文=BUSINESS JOURNAL編集部、協力=堀野剛志/証券アナリスト)

【主な参照データ・出典】
韓国における半導体材料ガス製造拠点 新設のお知らせ(日本酸素HD、2026年9月30日)
2026年3月期 通期決算説明会資料(同、2026年5月22日):業績推移、地域別構成、株主構成、中期経営計画、供給モデル
2027年3月期 第1四半期決算短信(同)
Air Products to Expand Industrial Gas Supply for Samsung(2026年4月30日)
Air Liquide to supply SK hynix with €200m plant(gasworld)
Samsung opens full-scale semiconductor research base in Japan(IntelliNews、2026年9月10日)
Nippon Sanso(APAC)会社紹介:世界4位

BusinessJournal編集部

Business Journal

ポジティブ視点の考察で企業活動を応援 企業とともに歩む「共創型メディア」

X: @biz_journal

Facebook: @bizjournal.anglecreate

ニュースサイト「Business Journal」

公開:2026.10.14 05:55