ランキング全国1位は、北海道の定番お土産「じゃがポックル」。じゃがいもを皮つきのままカットしてフライするため、じゃがいも本来の美味しさが楽しめる、というのがセールスポイト。6袋入540円、10袋入864円と手軽な価格も人気を支えているようだ。基本的には北海道の地域限定の商品だが、北海道外では海外からの旅行客を対象に羽田空港国際線でも扱っている。そのため、羽田・成田空港でも5位にランクインした。
「じゃがポックル」は、カルビーが「ポテトファーム」のブランド名で製造しているスナック菓子。2002年「ぴゅあじゃが」の名称で販売され、その後「じゃがポックル」に商品名を変更した。アイヌ語で「ふきの下の人」を意味する伝説の妖精、コロボックルに由来する。大きな宣伝はしていなかったが「非常においしい」と口コミで広がり、たちまち人気商品となった。
【GW期間・空港お土産売り上げランキング】
1位 じゃがポックル(ポテトファーム):新千歳空港、羽田・成田空港
2位 白い恋人(石屋製菓):新千歳空港
3位 博多通りもん(明月堂):福岡空港
4位 マルセイバターサンド(六花亭):新千歳空港
5位 ロイズ生チョコ(ロイズコンフェクト):新千歳空港
6位 開拓おかき(北菓楼):新千歳空港
7位 めんべい(山口油屋福太郎):福岡空港
8位 東京ぼーの(D&Nコンフェクショナリー):羽田・成田空港
9位 真空パックシウマイ(崎陽軒):羽田・成田空港
10位 キットカット(ネスレ日本):全国主要空港
斬新なアイデアで急成長
カルビーの創業者は松尾孝氏。広島一中(現・県立国泰寺高校)卒業後、1937年に父親が亡くなり家業の柿羊羹「松尾巡角堂」を継ぐ。だが45年8月、広島に原爆が投下され、一瞬にして市内中心部が廃墟と化した。被災後、砕けたコメや米ぬかで団子をつくった。食糧難の時代に求められたものは空腹を満たすものだった。49年、松尾糧食工業を設立し、栄養食品の製品化を目指し、55年に社名をカルシウムの「カル」とビタミンB1の「ビー」を組み合わせてカルビーに変更した。
転機は55年。あられといえば米菓だが、米不足から日本初の小麦粉を使った「かっぱあられ」を発売。孝氏が次に考えたのは、瀬戸内海で獲れるがそのまま捨てられていた小さなエビを、かっぱあられに入れることだった。小麦粉に練り込む段階で小エビをボイルしたり、乾燥させたり、粉末にしたりして試作を繰り返した結果、たどり着いたのが生のまま丸ごとエビをミンチにして加えることだった。こうして「かっぱえびせん」が誕生した。発売されたのは、新幹線が開通し第1回東京五輪が開催された1964年。「やめられない、とまらない」というCMソングに乗って爆発的にヒットした。
71年発売の仮面ライダー・カード付きスナック菓子は社会現象になり、75年発売のポテトチップスは藤谷美和子さんのCMでも話題になり大型商品になった。日本のスナック菓子に大きな足跡を残した孝氏はアイデアの人だった。
脱創業家で快進撃
2代目社長は孝氏の長男の聰氏、3代目社長は3男の雅彦氏。2000年以降、防疫検査を受けていない種イモを農家に販売する不祥事が続発。こうした事態を受けて05年に雅彦氏は社長を辞任。同族経営からの脱却が始まった。
そしてカルビーは09年、ペプシコーラで知られる米ペプシコと電撃的に資本提携(出資比率20.99%)。09年6月、雅彦氏は世界有数の企業、ジョンソン・エンド・ジョンソンの日本法人社長を務めた松本晃氏を会長兼CEO(最高経営責任者)に招いた。
松本氏は低い工場稼働率を一気に高めて固定費を下げ、高コスト体質を変えた。営業利益率は1.4%から9.8%(14年3月期)に飛躍的に改善した。脱創業家の総仕上げが株式上場だった。11年3月11日、東日本大震災が発生したが、この日にカルビーは東証1部に上場した。15年3月期の売上高は2130億円、営業利益は225億円と6期連続の増収増益の見込み。国内のスナック菓子市場でカルビーのシェアは5割を超える。
松本氏は個人投資家を安定株主として呼び込むため、昨年10月に1株を4株に株式分割。14年3月末の個人株主数は1万2000人強と1年前の2.4倍に増えた。7月28日の株価は上場来高値の3100円をつけた。
人気お土産品の地位を確立した「じゃがポックル」同様、カルビーの勢いは当分続きそうだ。
(文=編集部)