この頃、新浪氏はローソンの経営から財界活動に軸足を移していた。政府の産業競争力会議の民間議員を務め、農業の規制緩和でも過激な発言をしていた。情報発信力が官邸の目に留まり、経済財政諮問会議の民間議員に格上げになった。一時は経済同友会の次期代表幹事の有力候補に上ったこともあった。
再び、経営の第一線に立つことを決意したのは、母親の一言だったといわれている。玉塚元一氏をローソン社長にすることを決めて、自身の進路に悩んでいた時のことだ。
「『母が弟と自分を呼んで言ったんだよ。“人生チャレンジして、前に進みなさい”と』まもなく、母は他界した。『そうだよなぁ、おふくろの言うとおりだよなぁ。悩んでないで前に進まないと』。もやもやしていた気持ちが晴れたという」(『プロ経営者 新浪剛史 ローソン再生、そしてサントリーへ』<吉岡秀子/朝日新聞出版>より)
佐治氏からの誘いは以前からあったが、新浪氏の胸にストンと落ちたのはこの頃だったようだ。佐治氏は新浪氏より10歳以上年上だ。しかも伝統のある企業のトップ。そんな佐治氏が「一緒にやろう」と同じ目線で新浪氏に声をかけ、その言葉が心に響いて新浪氏はサントリー入りを決めたという。
そして14年7月1日、新浪氏のサントリーHD社長就任が発表された。創業116年の名門企業が創業家以外からのトップを初めて選んだ。
●一度は頓挫したキリンHD買収
佐治氏は新浪氏を「社外で最も『やってみなはれ』の精神、わが社のDNAを持った人」だと高く評す。一方で佐治氏は冷徹な経営者でもあり、数値目標を常に掲げる。「20年のグループ売上高4兆円、蒸留酒売上高1兆円」が、佐治氏が新浪氏に課したコミットメント(必達目標)である。これを達成するために、国内外での次の大型買収が必要になる。そこで「ターゲットにしているのは、業績低迷中のキリンHD」(業界関係者)とみられている。
佐治氏が以前からキリンHDに対するM&Aに強い意欲を持っていたことは、よく知られている。サントリー社長になってまだ間もない02年当時のインタビューで「5年以内に国内でM&Aを実行する可能性がある。その場合の対象はキリンビールになるだろう」と語っている。しかし当時、この佐治の発言は話題にすらならなかった。キリンHDは三菱系の社長会「金曜会」の有力メンバーであり、いかに大企業サントリーHDといえども三菱系の中核会社を買収できるはずがないと思われていた。