4月新年度に入り、富士フイルムホールディングス(HD)が快調に株価を伸ばしている。9日の終値は4630円と3日連続で続伸、年初来の高値を付けた。最大の材料は3月末に発表したiPS細胞の開発・製造大手の米セルラー・ダイナミクス・インターナショナル社(CDI)の買収だ。買収額は3億700万ドル(約368億円)で4月下旬に公開買い付けを完了する予定としていた。CDIの買収によって、iPS細胞を分化させてヒトの臓器や心筋細胞を作製し、開発候補物質の薬効や副作用を調べる創薬支援事業にも参入する。
この分野で、その技術が世界のデファクト・スタンダード(事実上の標準)となっているCDIを傘下に収めることは、戦略的にとても意味がある。富士フイルムHDは子会社ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(J‐TEC)などで再生医療事業にすでに取り組んでいるが、CDIからiPS細胞の提供を受けることにより、相乗的な業務の拡大が期待されるのだ。
拡大するセキュリティ市場
実はCDI創業者の一人、米ウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授は、この研究分野で山中伸弥・京都大学教授の最大のライバルだとされており、今回のCDI買収に対して山中氏がどのような立ち位置を取るのか注目されていた。その山中氏はすでに、有力なiPS細胞関連特許についてCDIとの相互利用を検討中であることを明らかにしており、臨床応用が進むとの期待も高まっている。
周到な多角化戦略
医療再生分野での富士フイルムHDの多角化は、実に周到に展開されており、舌を巻くばかりだ。2008年に買収した医薬品中堅、富山化学工業は、当時最終赤字87億円の企業だったが、今ではエボラ出血熱に対する治療薬として期待される「アビガン錠」で世界的に注目を集めている。また昨年10月末に連結子会社化を発表しJ‐TECも赤字が続いていたが、再生医療製品開発という事業分野を有望視して参入した。今回のCDI取得により、両社の相乗効果は計り知れない。
メディカル機器の分野では4月7日に、1回の撮影で複数の断層画像を得ることができるデジタルX線画像診断システム「BENEO-Fx」を発表した。高額な医療機器はGE、シーメンス、フィリップスが世界的に寡占し、いずれも高い利益率を誇っている。これら三大メーカーの金城湯池に割って入ることができれば、その事業価値はとても大きい。そして富士フイルムHDはこの分野で画像処理技術というコア・コンピタンス(中核となる強み)を有している。
今月7日にはまた、2つの新製品の発表をしている。シミや肌のくすみなどの肌悩みを持つ幅広い年齢層の女性に向けたスキンケアシリーズ「ASTALIFT WHITE(アスタリフト ホワイト)」から、美白シート状マスク「アスタリフト ホワイト ブライトニングマスク」(医薬部外品)を5月15日に新発売する。そして傘下の富士ゼロックスが4K映像・音声データとLANデータを同時伝送できる光伝送器を世界で初めて開発、5月15日から発売すると発表した。
転地経営という荒事
これらの一連の発表をみると、富士フイルムHDが一昔前には写真フィルムメーカーだったということが嘘のようだ。
一般的に多角化とは、業態が隣接する分野、つまり連続するドメインに進出していくのが定番である。しかし、同社は基幹業態だった銀塩フィルムが消滅する変革事態に遭遇し、一見すると連続しないような業界セグメントに打って出た。これを「転地経営」と呼ぶ。写真フィルムメーカーとしては世界最大だったコダックが破綻し、富士フイルムは現在の繁栄に至った。その違いについて、筆者は拙著『本当に使える経営戦略・使えない経営戦略』(ぱる出版)で古森重隆会長の戦略的経営を高く評価した。
古森会長の時代の先を見る見識や洞察力は、とても優れている。しかし、経営者としては、それだけでは大成しない。先見力を実際にどのように自社の事業展開へ、戦略として書き下ろせるのか。そしてそれを信念を持って実現していくことができるのか。それらの能力を併せ持つ経営者だけが「転地経営」のような荒事を実現していける。
今回、富士フイルムグループ各社が一連の発表を同日に集めたのも偶然ではないだろう。戦略的経営を続ける同グループは、ますます発展していくに違いない。
(文=山田修/経営コンサルタント、MBA経営代表取締役)