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田代まさしの“兄貴”クールス・佐藤秀光インタビュー【前編】

田代まさしの“最も近くにいた男”が語る、田代が笑顔で童心に帰った日、そして薬物の怖さ

取材・構成=編集部
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COOLSのライブにゲスト出演して歌う田代まさし氏。(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

「まだ、薬物をやっていたのかどうかはわからない。俺はやっていないと信じている。俺は信じているよ」

11月6日、覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで宮城県警によって逮捕(通算8回目、薬物関連では5回目)された田代まさし容疑者(63)に対しこう語る男の名は、佐藤秀光(68)。そう、今回の田代の逮捕直前までYouTube上で配信されていた番組『田代まさし ブラックマーシー半生と反省を語る』で、いつも田代の左隣に座っていたロマンスグレーのイケメンダンディである。

 このYouTubeチャンネル『田代まさし ブラックマーシー半生と反省を語る』は、田代とこの佐藤の2人が毎回雑談を繰り広げるという内容で、2019年6月10日の配信開始から、「あの田代まさしがYouTube番組に!?」と一部では話題となっていたもの。田代はこの番組で薬物体験、刑務所での生活のみならず、芸能界の裏話も赤裸々に語り、コメディアンとして芸能界のど真ん中で活躍していた頃のトークスキルの片鱗を垣間見せていた。そうしたことも話題を集めていた同番組は、田代の逮捕直前の11月5日まで全69回が配信され、一度の配信で100万PVを記録する回さえもあったのだ(田代の逮捕後の数字も含む)。

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YouTubeチャンネル『田代まさし ブラック マーシー半生と反省を語る』の収録風景。(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

 では、同番組で田代の左隣にいつもいたこの佐藤秀光というイケメンのおじさまとは誰なのか。実はこの男こそ、ある意味においては田代よりもよほどの有名人。日本の芸能史において欠くべからざるロックンロールバンド「COOLS」(クールス)のリーダーにして現役ドラマー、そして東京・亀戸にある知る人ぞ知るバイクショップ「CHOPPER」のオーナーとして現在も現役のバイク乗り……というイカしたおじさまなのである。

 本サイトは、今回の逮捕劇にいたるまでの1年半、“田代まさしを最も近くで見ていた男”である佐藤へのインタビューを、前後編の2回にわたって掲載していきたい。

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佐藤秀光(さとう・ひでみつ)
1951年、東京都生まれ。1974年、大学の同級生であった岩城滉一や舘ひろしらと共にモーターサイクルチーム「COOLS」を結成。同チームが発展した同名のロックンロールバンドのリーダー、ドラムスを長年にわたって務め、東京都江東区のバイクショップ「CHOPPER」のオーナーも務める。日本最大規模のハーレー&ツーリングイベント「WANTED BIKER TOURING」の主催者としても知られる。(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

アイドルを前に「覚醒剤の薬物依存の怖さ」を語る

 本題に入る前に、近年の田代まさしの活動を簡単に振り返っておこう。

 田代は、2011年より服役していた府中刑務所から2014年に仮釈放されて以降、民間の薬物依存リハビリ施設「日本ダルク」のプログラムを受け、さらに同施設のスタッフとして働いていたとことが報道されている。 薬物依存からの脱却を目指していた田代に対し、2016年以降は動画サイトやインターネットテレビなどへの出演依頼が舞い込むようになった。ただし、それらは散発的なものに過ぎなかった。

 田代の芸能活動が活発になったのは、この1年ほど。AbemaTV配信の番組『スピードワゴンの月曜The NIGHT』に2018年10月29日に出演。さらに2019年7月にはNHK Eテレで放送の『バリバラ〜障害者情報バラエティー〜』に出演し、現役アイドルたちを前に「薬物依存症」の怖さについて語ってみせた。また、本稿の主人公である佐藤秀光と共に「HEY BROTHER」なるユニットを結成し、音楽活動を展開。さらに、前述のYouTubeチャンネル『田代まさし ブラックマーシー半生と反省を語る』に出演し、徐々にではあるが“復活”を印象づけていたのである。

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1975年にキングレコードより発売されたCOOLSのデビューアルバム『クールスの世界』(画像はのちに再発されたCD版ジャケット)

舘ひろし、岩城滉一とハーレーを走らせ、矢沢永吉の“親衛隊”に

 では、同番組内で田代まさしから「兄貴」と親しげに呼びかけられていた佐藤秀光とは、どのような人物なのか。

 1970年代初頭、現在は俳優として活躍する岩城滉一と佐藤とは、同じ帝京大学に通うオートバイ仲間だった。2人が他の大学に通う舘ひろしと出会うことで、「COOLS」というモーターサイクルチームが結成される。原宿を拠点とし、リーゼントに革ジャンというスタイルでハーレーを走らせていた。そのスタイリッシュさは、いわゆる“暴走族”とは文脈が異なるものであった。

 彼らの存在は結成当初から、マスコミや芸能関係者に注目されていた。そして、その認知度が一気に上がるきっかけを作ったのが、当時、ロックバンド「キャロル」のメンバーだった矢沢永吉だ。矢沢は、1975年4月のキャロル解散コンサートの際に、クールスに“ガード役”を依頼。これは、ローリング・ストーンズがアメリカのアウトローバイカー集団「ヘルズ・エンジェルス」をガード役に起用したのをトレースしたものだといわれている。

 また、これと前後して岩城は、東映にスカウトされ俳優デビュー。さらにレコード会社は、舘や佐藤などの音楽経験者をバンドとしてデビューさせるべく働きかけ、ロックンロールバンド「COOLS」が誕生する。当初はボーカルが3名(センターは舘)、ギター3名、ベース、ドラムス(佐藤)という8名編成だった。俳優デビューが決まっていた岩城は、このバンドとしてのCOOLSには参加していない。

 1975年9月にリリースされたデビュー曲『紫のハイウェイ』は、“五大洋光”のペンネームで矢沢永吉が彼らにプレゼントした曲だった。この曲のヒットもあり、全国区の人気者になったCOOLSは、東映の『暴力教室』(松田優作が主演)、『男組 少年刑務所』といった映画に出演も果たす。しかし、それを期に俳優業に意欲を見せるようになった舘が脱退。残ったメンバーは、以後も音楽性やファッションを変えることなく現在まで45年近く活動を続けている。なお、舘の脱退後、現・クレイジーケンバンドの横山剣がメインボーカルを務めていた時期もある。そういう意味でもCOOLSは、“伝説のバンド”なのだ。

 そのCOOLSにあって佐藤は、舘の脱退後から長きにわたってリーダーとしてバンドを牽引してきた男。また、以前は原宿で「CHOPPER」というアパレルやCOOLSグッズを販売する店を成功させ、現在は東京の亀戸で、同じ屋号のハーレー&トライクカスタムショップを経営。さらに、日本最大規模のハーレー&ツーリングイベント「WANTED BIKER TOURING」の主催者としても知られている。

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佐藤秀光氏が主催するハーレー&ツーリングイベント「WANTED BIKER TOURING」(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)
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佐藤秀光氏らとツーリングを楽しむ田代まさし氏(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

2018年5月4日、大黒PAに現れた田代まさし

 本サイトが佐藤秀光を取材した11月中旬の段階では、田代の逮捕容疑はまだ「覚せい剤取締法違反(所持)」のみであり、起訴も送検もされていなかった。冒頭の「俺は信じている」というコメントは、そうした状況を踏まえたものであることを補足しておこう。

「俺たちのデビューが1975年で、シャネルズ(のちにラッツ&スター)がその4~5年後だろ。そりゃあミュージシャン同士だから、いろんな現場で何度か顔を合わせることがあった。田代はCOOLSのファンでいてくれたみたいだし、俺も彼らの曲は好きでよく聴いていた。だけど、その当時はただの“知り合い”。特に親しいわけではなかったんだよ」

 YouTube番組での彼らの間には、付き合いの長い先輩と後輩……といった雰囲気がある。しかし、佐藤が田代と親密な関係になったのは、意外にも最近のことなのだ。

「2017年に、COOLSがあるステージに出た時に、田代がMCをやっていたんだ。そのとき、“俺がやっているイベントに遊びにこないか”って冗談半分に誘ったのがきっかけなんだよ」

 そのイベントとは、ハーレーに乗ったバイカーたちが首都高神奈川線・大黒パーキングエリア(神奈川県横浜市)に集結後、千葉県匝瑳(そうさ)市までツーリングをし、同市内にあるCOOLS専用のライブハウス「HUNGRY」でCOOLSのライブを鑑賞するというものだ。

「2018年の5月4日だった。『5月5日はこどもの日だけど、前日は大人が子どもになれる日だ』って誘ったのをよく覚えてるよ。田代が本当に来るかどうかは半信半疑だったけど、あいつは朝11時に、ちゃんと待ち合わせ場所にやって来た。その日田代は、バイクの後部座席やオープンカーに乗って、本当に楽しそうにしてた。童心に帰ったようだった」

 頬に当たる海風、エンジンの音、ガソリンの匂い、不良性感度を持った大人たち、そしてロックンロール。佐藤が提供した時間と空間は、若い頃は“ヤンチャ”であったことを折にふれて語っている田代にとっても、居心地のいいものだったのだろう。

「田代とはウマがあってね。俺は酒を一滴も飲まないんだけど、あいつも飲まないし。それ以来、俺がやっているイベントに出てもらうことになったんだ」

 佐藤は今も、自らが手掛けるハーレーのイベントやライブ、ディナーショーなどで全国を精力的に駆け回り、忙しい毎日を過ごしている。

「俺たちは大したヒット曲もないし、テレビにもあんまり出てこなかったけど、40年以上、音楽、ファッション、オートバイをプロとして極めてやってきたことだけは間違いないからね。それを支持してくれる人ってのは、全国に結構根強くいるんだよな」

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現在もバンド活動を続けるCOOLS。(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

広告収入は全部あいつに渡してた

 これ以降、佐藤がプロデュースする場に田代は居場所を見いだしていったようだ。2人は音楽ユニット「HEY BROTHER」を結成。そして、2019年6月に配信開始されたYouTubeチャンネル『田代まさし ブラックマーシー半生と反省を語る』で共演することになる。同番組は田代を中心に開設されたかのような報道もあったが、実際には佐藤のお膳立てによるものだという。

「YouTubeのコメント欄には『隣のジジイはいらない』なんて書かれるけど(笑)、あれは実際には俺が始めたものなんだよ。タイトルは、刺激的なほうがいいだろうってことでああなったんだけどさ」

 このYouTubeチャンネルの立ち上げには、主に2つの目的があったようだ。

「田代は、ギャグを考えてはおもしろいトークをし続けなきゃいけないっていう芸能界時代の強迫観念から薬物に走ってしまったらしいけど、雑談するだけなら、むしろストレス解消にもなるだろうって考えてね。それから、ダルクの給料だけじゃ食っていけないって言うし、あいつにきちんとした経済基盤を作ってやりたかったんだ。

 それにしても、アクセス数があんなに上がるとは思わなかったね。おかげで田代は、人並みに暮らせる程度の定期的な収入は得られていたと思うよ。たった半年だけど、正直あの番組で得られる広告収入は、全部あいつに渡してたからさ。俺にとっては、気の合うやつとおもしろいことやって、それがそいつの支えになればってくらいのことだったんだよ」

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YouTubeチャンネル『田代まさし ブラックマーシー半生と反省を語る』のいち場面。田代まさし氏は過去の逮捕時の様子などを赤裸々に語ってみせた。
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COOLSのライブにゲスト出演して歌う田代まさし氏。(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

もう戻れないことをわかっていたはず

 佐藤は、田代が薬物に走ることなく、再び生きがいを感じて暮らしていけることを望んでいた。

「メシを食っているときも笑顔でいることが増えた。一緒に沖縄や北海道にも行ったけど、楽しそうにしていた。“今度は2人で、『東京コミックショウ』みたいなコントをやろう”なんて計画もしていたしね。親しくなってからは短いけど、あいつにとっては相当濃密な1年半だったと思うよ」

 取材時に佐藤は、ポケットからスマホを取り出し、田代が逮捕される前日の2人のメッセージのやり取りを見せてくれた。それは、その後予定されていたイベントに対して、田代の前向きな姿勢が伝わってくるものであった。

「田代の逮捕直後に押し寄せたマスコミは俺に、『薬物をやっている兆候はなかったか?』なんて聞いてきたんだけど、俺も別に四六時中あいつと一緒にいたわけじゃないから、田代が普段何をしていたかは正直わからない。ただ、一瞬の快楽のために、やっと築きつつあったもののすべてを失うようなことをするとは、とても思えないんだよ。だって、あいつも63歳だろ。人生の最終コーナーを曲がっているところだよ。もう、ここからは戻れないよ。本人もわかっているはずなんだ……」

 そして、佐藤はこう続けた。

「ただ、それでも手を出してしまうのが、薬物の怖さだとも聞くけどね」

 取材後の11月27日、田代は覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで再逮捕された。報道によれば、本人は容疑を認めているという。

【後編】に続く。

(取材・構成=編集部)

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COOLSのライブでマイクを握る佐藤秀光氏。(写真:CHOPPER F-Pro Hagi)

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