エキセントリックな演出が話題を呼んでいるテレビドラマ『M 愛すべき人がいて』(テレビ朝日系)が、7月4日夜の放送でいよいよ最終回を迎える。
この作品は、浜崎あゆみをモデルとした「アユ」がスターの座を掴むまでの過程と、彼女とエイベックス株式会社代表取締役会長の松浦勝人(当時・専務)をモデルとした「マサ」との恋愛が、ストーリーの軸になっている。
現実世界でも、売れないアイドルだった浜崎は松浦に見いだされ、1998年4月にエイベックスから19歳で歌手デビューしている。稼ぎ頭だった安室奈美恵が産休に入っていたこともあり、そのプロモーションには、莫大な予算が用意された。また、ハイペースなシングルCDのリリース、周到なタイアップ戦略など、短期間に大量のメディア露出を果たすことで、浜崎は多くのファンを獲得。以後、長年にわたり、エイベックスに莫大な収益をもたらすことになる。
このように、エイベックスがイチ推しの新人に多額のプロモーション費をかけて大プッシュした例はいくつかある。ただし、それは必ずしも成功していない……いや、失敗例のほうが多いのでは? ここでは、そうしたエイベックスの、強引な大プロモーションが失敗に終わったアーティストを3組、クローズアップしたい。
ポストSPEEDを狙ったグループ「dream」の長い迷走
1990年代の終わり、一時代を築いたSPEEDの人気がピークを過ぎた頃から、“ポストSPEED”を狙ったアイドルグループがいくつもデビューしている。1999年8月に行われたオーディション「avex dream 2000」でグランプリを受賞した松室麻衣、橘佳奈、長谷部優の3人で結成された「dream」もそのひとつだった。
新しい1000年の最初の日、2000年1月1日にシングル「Movin’ on」でデビュー。それは、“彼女たちは新時代をリードするアイドルである”というアピールのようにも感じられた。
バラエティ番組やCMとのタイアップもあったこの曲は、ウイークリーチャート(オリコン:以下同)で最高15位。デビューからいきなりブレイク──というほどの結果は出なかった。
2000年1月といえば、モーニング娘。が前年秋の「LOVEマシーン」のミリオンヒットで、SPEEDに変わる国民的アイドルの座に君臨しかけていた時期だ。これは、dreamにとって不利な材料だといえた。
dreamは、浜崎あゆみの売り出し方と同様に、以後もハイペースでタイアップ付きシングルをリリースしていくが、どれも爆発的ヒットとはならなかった。
そして、2002年7月にメンバーの松室が脱退。これをきっかけに、dreamはデビュー時とまったく異なるグループへと変容を遂げる。モーニング娘。のノウハウを拝借するかのように、追加メンバーオーディションを実施し、阿井莉沙、阿部絵里恵、高本彩、中島麻未、西田静香、山本紗也加と一気に6人を加入させ、8人組グループとなるのだ(のちに阿井が脱退で7人に)。
ところが、増員も人気ブレイクには結びつかず。事務所移籍、「DRM」に改称などを経て、2008年7月に、デビュー以来センターだった長谷部が脱退。エイベックスはここで彼女たちを見限ったという。
そんな6人に救いの手を差し伸べたのが、EXILEのリーダーで、芸能プロダクション「LDH」の社長であるHIROだった。LDHに移籍したDRMは、「Dream」と再改称して再出発を図る。だが、なかなか目立つ結果を出せないまま、Kana(橘佳奈)が2011年2月に脱退。これをもって、2000年の元日にデビューしたオリジナルメンバーはゼロになるのだった。
その後、Dreamの残された5人(全員が追加メンバー)の苦労が報われたのは、同年の11月、LDHに所属するHappiness、Flowerのメンバーとともに、「E-Girls(のちにE-girls)」としてデビューしてからである。
ボーカルmisonoが売れたのは、歌ではなくバラエティ番組
2002年8月にエイベックスが大型新人として大プッシュしたのが「day after tomorrow」だ。過去の成功例であるEvery Little Thingのデビュー時をトレースし、女性ボーカル(misono)とギター(北野正人)&キーボード(鈴木大輔)という3人編成だった。
このグループは、デビューからシングルを短期集中リリースの形式はとられなかった。その代わり、オリジナルのミニアルバムでデビューを果たした。収録されている全6曲には、すべてなんらかのタイアップが付いていた。
このアルバムから「faraway」という曲がシングルカットされるが、これはなんと、オリジナルとインスト、さらに8曲のリミックスが入った全10曲入りで、定価は1100円。この採算度外視的シングルも、プロモーションの一貫だったのだろう。
しかし、「faraway」はウイークリーチャートで23位にとどまる。その後も、エイベックスのプッシュが続いた成果があって、デビューから1年ほどで、シングルがチャートの10位以内に入るようになった。
だが、ビジネスとしては、当初の想定通りではなかったのだろう。
エイベックスはday after tomorrowに早々と見切りをつけ、デビューから3年持たずに活動休止が決定。しかも、ラストライブの会場は、日本武道館でも横浜アリーナでもなく、六本木にあったディスコ(クラブ)「ヴェルファーレ」だった。このことからも、day after tomorrowが、多くのファンに惜しまれつつ去っていったのではないことがわかる。
なお、ボーカルのmisonoがバラエティ番組で知名度を上げるのは、活動休止後のことである。
“ゴリ押し”とも揶揄されたGIRL NEXT DOOR
2008年6月に、設立20周年を迎えたエイベックスが「社運をかけた大型新人アーティスト」として発表したのが「GIRL NEXT DOOR」だ。このグループには初めて「Produced by avex trax」なるクレジットが付記された。つまり、そのプロモーションは、エイベックスにとって、“絶対に負けられない戦い”だったのだ。
こちらも、day after tomorrow同様、女性のボーカルと、男性のギター&キーボードという3人編成。ボーカルには、エイベックスが秘蔵っ子として育てていた新人の千紗が抜擢され、キーボード担当として、「day after tomorrow」のメンバーだった鈴木大輔がスライド参加した(ギターは井上裕治)。
GIRL NEXT DOORの売出しには、浜崎あゆみやdreamと同じく、シングル連発リリース作戦が採用された。2008年9月にデビュー曲の『偶然の確率』以降、3カ月月連続で発売されたシングルには、すべてなんらかのタイアップが付いており、そのMVはすべてロサンゼルス、ラスベガス、チェコなど海外ロケで撮影された。それは、GIRL NEXT DOORのメジャー感、売れてる感を演出するものだった。
巨額のプロモーション費をかけただけあって、それらのシングルはいずれもウイークリーチャートで上位に入った。また、大晦日にはデビューから3カ月という短期間で『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしている。
エイベックスが用いた、GIRL NEXT DOORが“売れているかのように見せる”というこのプロモーション手法には批判の声も多く、「ゴリ押し」とも揶揄された。インターネットの掲示板やSNSでは、その愛称である「ガルネク」をもじって「ゴリネク」などと呼称される始末。このように、芸能界で一度“痛い存在”の烙印を押されてしまうと、そこからの失地回復はなかなか難しい。
ボーカルの千紗が、競泳メダリストの北島康介と電撃結婚
2009年6月リリースの5枚目のシングル「Infinity」がウイークリーチャート1位を獲得するなど、今日、その順位だけを見れば、明らかに旧dreamやday after tomorrowより成功したようにも見える。しかし、ヒットシングルを連発する人気グループなら、全国アリーナツアーを開催……といった展開もありそうなものだが、このグループは単独で大規模ライブツアーを開催することがなかった。実際には、SNSのプロフィール欄に「好きなミュージシャン:GIRL NEXT DOOR」と書くような熱い支持層は少なかったのである。やがて、表記を「girl next door」と改めるが、それも起爆剤にはならなかった。
そのグループ名が、久々にメディアで大きく取り上げられたのは、2012年12月31日のこと。ボーカルの千紗が、競泳選手で五輪メダリストの北島康介との婚約を発表したのだ。2013年9月に北島と結婚した千紗の妊娠もあり、girl next doorはデビュー5周年の日に解散を発表。だが、解散フィーバーのような盛り上がりはなく、最後にリリースしたベストアルバムは、ウイークリーチャートで48位。12月に行われたラストライブの会場は、キャパ1700人のライブハウス「SHIBUYA-AX」だった。
さて、『M 愛すべき人がいて』の終了のタイミングで、エイベックスは、自社の所属アーティストで、アユ役を演じた安斉かれんを大々的に売り出すことが予想される。浜崎あゆみがデビューした頃とは音楽ビジネスのあり方は大きく変わった。果たしてエイベックスは、ゴリ押し失敗を回避して、安斉をサブスク時代の新歌姫に育てることができるのだろうか?