1970年代から80年代にかけて、今では当たり前になったメディアミックスによる大胆な広告戦略で、娯楽映画の一時代を築き上げた革命的プロデューサー、角川春樹。『犬神家の一族』『セーラー服と機関銃』『時をかける少女』といった数々の名作を世に送り出した一方、プライベートもかなりドラマチック。いわゆる“お家騒動”や6度の結婚など「事実は小説より奇なり」を地で行く破天荒な人生は、自由でおおらかだった時代の空気と共に興味をそそられる。
そんな角川が78歳にして、“生涯最後の監督作”として映画『みをつくし料理帖』を完成させたのだ(ストーリーはコラム参照)。過去に2回、テレビドラマ化されている本作は、髙田郁による累計発行部数400万部を突破するベストセラー時代小説シリーズを原作とする。シリーズの1作目がハルキ文庫(角川春樹事務所)から出版された2009年当初から、角川は原作を敬愛する人物のひとりでもある。ゆえに、満を持して挑んだ作品のように思えるが、そう単純な話ではなさそうで……。なぜ、10年ぶりに監督をすることになったのか――。そこには、映画顔負けの予測不能な展開が!
白鳳と天狗を見て監督を決意した
――『みをつくし料理帖』は10年ぶり8作目の監督作だそうですが、なぜこのタイミングで、この作品だったのでしょう?
角川 原作が出たのが11年前で、髙田郁さんはその前年に『出世花』という作品で祥伝社からデビューしていました。1万5000部刷って、売れたのが500部くらいだったそうですが、そのうち200冊を本人が買い、200冊を私が買っていました。つまり書店で買った読者は、実質100人しかいなかった。だけど、私はこの作品が好きで、髙田さんを売り出したいと思ってね。だから、ウチで書いてもらえることになって、『みをつくし料理帖』のゲラを読んだときは本当に感動しましたね。私自身がゲラを持って書店営業に行きましたから。それくらい思いが強かったんです。
同じ頃、NHKエンタープライズのプロデューサーから「角川さん、『おしん』みたいな時代小説はないですか?」と聞かれたので、『みをつくし料理帖』のゲラを送りました。その後にね、不思議なことが起こったんです。
「サイゾー」がオカルト云々もOKと聞いているので話しますけど、あれは吉野山に桜を見に行ったときのこと。奥吉野にある天河神社という有名な神社を、今の妻となった女性と訪れて、拝殿で手を合わせていたんです。そしたら真っ白な鳥が飛んできて、祝詞の最中にずっと動かない。鳩よりもずっと大きくて、見たことのない鳥でしたが、祝詞が終わった瞬間に消えてしまいました。
京都の観音院の尼さんである白石慈恵さんと、ヨーガ行者の成瀬雅春さんにこの話をすると、「角川さんが見たのは白鳳じゃないか」と想像図を見せてくれて。さらに、白い鳥を見た日の晩、電車がなくなった時間帯に、宿泊先ではコトコトコトと枕木を走る音がずっと聞こえていたんです。その話も白石さんにしたところ、「今まで想定していた人物ではない人が、角川さんを助けることになりますよ」と言われました。
それが4月8日のことなのですが、この日は仏生会、つまり仏様の誕生の日でもある。白鳳を見て、汽車の走る音を聞いて、自分を助けてくれる人が現れる、と。そのときイメージしたのが、髙田郁さんでした。そして、まさに4月8日、ゲラを送っていたプロデューサーから電話があって、ぜひドラマ化を企画したいと言われたのです。
ところが二転三転して、ドラマ化の話が出ては流れることが何度かありました。映画化に関しても、初めは自分が監督をするつもりなんて全然なかった。なぜすることになったかというと、その話は2年前の8月にさかのぼります。
京都の伏見稲荷大社がある稲荷山に女房と子どもと登ったのですが、稲荷山は山頂近くに一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰という3つの峰があって、その手前で男坂と女坂に分かれています。私たちが男坂のほうを目指して歩いていると、坂の手前の小さな神社に、白いスニーカー、白いソックス、白いパンツ、白いポロシャツ、白い野球帽をかぶった80代くらいの男性がいました。ウチの子どもを呼んで、「ここに珍しい狛犬がいますよ」と言うのです。でも私は、狛犬よりもむしろ老人のほうに興味があった。この老人は人間ではなく、天狗の化身ではないかと思ったのです。
その後、老人と別れて男坂を登ったのですが、男坂は急峻だけど距離が短くて、女坂は緩やかで登りやすい代わりに長い。そして、なんとなく予感はあったのですが、我々が頂上にたどり着いたとき、後ろで別れたはずの老人が先に到着していて、お茶屋の女将さんと話をしていた。つまり、テレポートしていたんですね。
それから山頂でお参りして、今度は女坂を下りようとしました。そのときにまだ老人は女将さんと話をしていたのですが、案の定、下りたところで私たちを待っていて、別れ際に「この神社のことを調べてね」と女房に言ったんです。女房は「わかりました」と返事をしたものの、さして興味はなさそうで、「さっきの老人は天狗か猿田彦の神だから」と私が言っても「へぇ」という感じでした。
翌日、東京に帰る新幹線の中で、私が老人と会った小さな神社についてスマホで調べてみると、御祭神が青木大神というものだと。すなわち、それは猿田彦で、天狗とイコールでもありました。そしたら女房が急に、「『みをつくし料理帖』はあなたが撮るべきだ」と言いだしたんです。そんなことは正直、考えてもいなかったけれど、「あなたが監督でなければ、映画を作る意味がない」とまで言う。突然の変貌ですよね。結局、髙田郁さんの作家10周年をお祝いする会が大阪で行われたとき、「『みをつくし料理帖』を映画化します。そして、私が監督をやります」となんの目算もない状態で決意表明をしました。
“白狐”の入った役者が本来以上の力を発揮
――そんな壮大な背景があったのですね。
角川 ご覧になったらわかるのですが、この作品は白狐がモチーフになっています。あのとき伏見稲荷で女房がおみくじを引いたら、陶器の小さな白狐が付いてきたんですね。映画の撮影中、それをずっとそばに置いていたんですけど、日光江戸村で撮影をしていたとき、急にせきが出てきて心臓が苦しくなり、風邪をひいたなと思いました。撮影期間が限られているから休むわけにはいかないけれども、プロデューサーたちは明日、私を病院に連れて行こうとしている。ホテルに戻って女房に電話をしたら、「あなた、白狐さんにお水をあげてないでしょう」と言われました。「あげてない」と答えたら、「すぐにあげて!」と。普段そんなことを言う女性ではないので、神がかりの状態でしゃべっているなと思いました。とにかく慌ててコップに水を入れ、モニターの前に置いていた白狐にお供えをしました。その瞬間、体の具合がよくなったのです。それ以来、小さな器に水を入れて白狐にお供えするようになりました。
だからこの映画は、伏見稲荷の白狐の神によって作らされたという感覚で、自分で作った意識があまりないんです。最後の監督作品ということもあって、角川映画に憧れていた世代の人たちが、スタッフとして手を挙げて参加してくれたのも大きかった。よく「スタッフとキャストが一丸となって映画を作りました」みたいに言う人がいるけど、あれは嘘ですから。73本の映画を作ってきたのでわかりますが、そんなことあるわけない! だけど今回は、初めてそれを感じたんです。薬師丸(ひろ子)も言っていました。「監督の一挙手一投足を全員が感じ取ろうとして、こんなにひとつになっている現場は初めてかもしれない」って。出演者も、本来持っている力が10だとしたら、12ぐらいの力が出ている人がたくさんいた。そういう役者たちには、白狐が入ったんだなと思いましたよ。
――今までの作品では、そのように感じたことは一度もなかったのでしょうか?
角川 なかったね。反対に力が入ってしまって、自分の演出通りにならないとイライラしたり、スタッフがヘマすると怒鳴ったり。ミスがあまりにもひどいと手が出ることも昔はあったけど、今回そういうことは一度もなかった。いや、でも2度ほどあったかな。あり得ないようなミスだったので、周りのみんなも「それは怒って当然です」って言っていたけど。
――作品への思い入れも違ってくるものでしょうか?
角川 違うね。73本も作っていたら、打ち上げの写真とか、いちいち大切にしないですよ。ところが、撮影が終わってからも2カ月くらいは現場にいる夢を見たりして、ずっと尾を引きました。
霊感がある息子の間違いない予言
――往年の角川映画ファンにはたまらない豪華なキャスティングについては、どんな意図が?
角川 最後の監督作と言ったものだから、みなさんスケジュールを空けて出てくれたんですよね。基本的には史実や原作に忠実であることにこだわっていますが、薬師丸や渡辺典子など出演が急きょ決まった役者のために、髙田さんと相談して原作にはないキャラクターも登場させています。松山ケンイチも新たに作った役なんだけど、彼に至ってはワンシーンどころかワンカットしか出ていないからね。「どこに出てました?」って結構聞かれる(笑)。
――かなり贅沢ですね。一方で、初めての顔ぶれもいます。例えば窪塚洋介さんはあまり見たことのない雰囲気の役どころで、新鮮な印象を受けました。
角川 窪塚とは撮影の前に食事をして、ジャブを出し合ってね(笑)。最初の頃は結構NGを出していたけど、やっぱり彼にも途中から白狐が入ってきた。それは本人も言っていましたよ。
――なるほど。角川さんはご自身でどんなタイプの監督だと思っているのでしょう?
角川 一番大事なのは直感だと思っています。演出っていうのは直感の連続で、やったことのない人には理解しがたいところがあってね。今回、あるシーンでなかなかOKが出せなくて、役者にも「説明がつかない」って言ったんです。「何かが違うんだけど、それは演技じゃないから、そのままやってくれ」と。結局、7テイク撮ったけれど、OKとNGの差なんかほとんどない。それでも直感に従うしかないんです。ただ、基本的に、私は撮るのがものすごく速いですよ。ほかの監督よりも倍以上に速いです。だから、夕食の弁当やケータリングを用意してもらっても、一度も現場で食べたことがない。毎回、持って帰るだけです(笑)。
――今回が最後の監督作と明言したものの、また監督をやりたいという気持ちにはなっていませんか?
角川 それはやっぱり思います。この間、テリー伊藤さんと対談をしたときに、「角川さんの本質が出ている」と感想を言われました。肩の力が抜けてるってことなんでしょうね。「もう今日から『今回が最後』とは言わないように」とも。髙田さんからも、「続編をぜひ作ってほしい」と言われました。あとね、ウチの息子が今7歳なんですけど、めちゃくちゃ霊感があるんです。で、撮影が終わって一緒に風呂に入っていたとき、「パパ、みをつくし当たるよ」っていきなり言うわけ。これは間違いないなと思いました(笑)。
――では、次も期待できそうですね。
角川 今年、大林宣彦さんが亡くなったときに、こんな句を詠みました。「龍天に昇る映画という麻薬」。映画っていうのは麻薬なんだなぁと、改めて思いましたよ。
(取材・文=兵藤育子/写真=西村満)
【プロフィール】
角川春樹(かどかわ・はるき)
1942年、富山県生まれ。角川春樹事務所代表取締役社長。出版業の傍ら、76年に『犬神家の一族』で映画界に進出し、話題作・ヒット作を連発する。『人間の証明』(77年)、『復活の日』(80年)、『Wの悲劇』(84年)、『ぼくらの七日間戦争』(88年)、『男たちの大和/YAMATO』(05年)など多数の作品を製作。監督作に『汚れた英雄』(82年)、『天と地と』(90年)、『REX 恐竜物語』(93年)などがある。
【映画情報】
享和2年(1802年)の大坂、8歳の澪と野江は姉妹のように仲の良い幼なじみだった。しかし、大坂の町を大洪水が襲う。両親を亡くした澪は天満一兆庵の女将である芳に引き取られるが、野江の消息は不明。それから10年後、澪は江戸・神田の蕎麦処「つる家」で女料理人として働く一方、野江は吉原の遊郭で幻の花魁「あさひ太夫」と名乗っていた。やがて、澪が苦心して生み出した料理によって2人は再び引き寄せられていくのだった。澪を松本穂香、野江を奈緒が演じる。角川春樹は製作・監督を務めた。全国公開中。
配給:東映 ©2020映画「みをつくし料理帖」製作委員会