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『西郷どん』西郷隆盛が「まだ何もしていない」…今後も何もしない男のままなのか

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
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 鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第26回「西郷、京へ」が15日に放送された。この回で西郷吉之助(鈴木)はいよいよ幕末・明治維新の立役者の一人としての一歩を踏み出し、島津久光(青木崇高)もその功績を認めて彼を軍事と外交の責任者に任命した。

 前週の特別編で紹介された新キャラのうち、勝海舟(遠藤憲一)・坂本龍馬(小栗旬)・岩倉具視(笑福亭鶴瓶)の3人についてもオープニングでちらりと顔見せシーンがあり、今後の盛り上がりを期待させるつくりになっていた。顔は映らなかったものの、汚い身なりで徳川慶喜の屋敷の周りをうろついていた浮浪者として桂小五郎(玉山鉄二)も出演していたと思われる。

 薩長同盟や江戸無血開城など歴史の転換点に深く関わった人物たちが画面に登場してくるだけで、やはりワクワク感が高まる。それだけでなく、本作の意図を伝える重要な台詞も龍馬の口から飛び出した。「西郷に会ってみたい」という龍馬に対し、勝が「何をやった男だ?」と尋ねた場面だ。これに対し、龍馬は「いや、まだ何ちゃあしちゃあせん。5年も島に流されちょったき」と答えた。島に流されていたから、まだ何にもしていないというのだ。

 まさにその通りで、このドラマにおいて西郷吉之助という男は実績らしい実績をまだ何も持っていない。強いて言えば、前藩主の近くに仕えていたというだけだが、大久保一蔵(瑛太)はそんな西郷を常に過大評価し、島流しになっている間もずっと「西郷がいなければ」と言い続けてきた。一蔵だけではなく他の薩摩藩士たちも、さらには他藩の人間ですら、とにかく「西郷、西郷」と持ち上げ、半ば神格化してきた。まだ何もしていない男があたかも「すごい男」のように祭り上げられるのは、明らかに矛盾している。だが、これまではこれが脚本の穴なのか、意図的なものなのかが不明だった。

 筆者はずっと、脚本の穴なのではないかと疑ってきた。いや、今もその疑いを捨てきったわけではないが、今回龍馬が「西郷はまだ何もしていない」と核心を突く台詞を言ったことで、本作が「虚像として祭り上げられた西郷」を描いてきたことが一応は確定した。その解釈からすれば、一蔵が西郷の赦免にこだわったのは、自分には人が付いてこないが、西郷なら勝手にみんなが担ぎたくなる「神輿」になると読んでいたからなのだろう。西郷は一蔵の友情に深く感謝しただろうが、一蔵の本心は道具として有用だから呼び戻したい、と思っていただけだった――という展開もあり得る。

 そして、虚像の大物をつくり上げるために、意図的に「西郷がいてくれさえすれば」と吹聴していたとすれば、さらにおもしろい。果たしてそこまで一蔵を黒く描くかどうかはわからないが、そんなすれ違いがあったほうが人間ドラマとして深みが生まれそうだ。後々の、西郷と大久保の対立にもつながるのではないだろうか。

 話を戻すが、本作がここまで描いてきたのが「虚像として祭り上げられた西郷」であったとすれば、この後もその路線で進む可能性は大いにあり得る。つまり、多くの人々に神輿として担がれ、それらの人々の考えに流されるままに行動していく西郷を描く路線だ。「西郷が何を考えていたのかわからない=流されていただけで、何も考えていなかったのではないか」という説は昔からあるし、本作の西郷は当初から一貫して「ひたすら優しいお人好し」であっただけに、最後までその姿勢を捨てきれなかったというストーリーにしたほうがしっくりくる。

 ただ、前週の特別編での予告や、公式サイトに掲載されている鈴木亮平のコメントから判断すると、島から帰った西郷は今回の26話で「革命家」として覚醒したらしい。確かに目付きが鋭くなったのを含めて見た目は変化していたが、過程をすっ飛ばしていきなり大物ぶられても、見ているこちらが戸惑う。とはいえ、これも意図的な演出で、「薩摩の大物・西郷吉之助」という虚像に自らを近付けるために無理して大物ぶっていることを表現しているのかもしれない。今後しばらくは、西郷が本当はどんな人物に成長したのか、あるはしていないのかに注目していきたい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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