鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第41回「新しき国へ」が4日に放送され、平均視聴率は前回から0.1ポイント増の11.8%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だった。
廃藩置県が断行され、島津久光(青木崇高)は鹿児島の空に盛大な花火を打ち上げてうっぷんを晴らしていた。一方、明治政府は欧米に使節団を派遣することを決断。西郷隆盛(鈴木)は大久保利通(瑛太)から留守を預かるようにと頼まれ、有力者不在の間に政府の主導権を握ろうとする旧佐賀藩・旧土佐藩出身者らと激しく対立していた。そんななか、西郷は宮中改革にも着手し、天皇が地方を行脚する「行幸」を提案。明治天皇はさっそく西郷らをお供として西日本の巡幸に旅立つ。その頃、鹿児島の西郷家は、隆盛が天皇のお供として帰京するとの知らせに騒然となっていた――という展開だった。
明治編になってからの『西郷どん』は、それまでとは見違えるようなしっかりとした脚本になっており、今回も視聴者からの反響はおおむね好意的だ。グタグダ感満載の明治政府の中で、留守を預かる身として苦悩しながら役割を果たしていく西郷の姿がわかりやすくクローズアップされていたからだ。
何よりも今回は、青木崇高演じる島津久光が抜群に良かった。明治編はこれまで以上に大久保と西郷との関係性に焦点を当てた脚本になっているが、今回は大久保が途中で旅立ってしまう展開だったため、この構図は成立しない。代わりに描かれたのが、西郷と久光の関係性だった。久光は、偉大な兄・斉彬(渡辺謙)の死後もずっとその後を追ってきたが、自らの技量が兄には到底及ばないことも十分理解しており、複雑なコンプレックスを抱いている。一方、西郷は斉彬を信奉するあまり、久光を心の底で軽んじていた部分があり、それが久光の劣等感を刺激してしまう。こうして不幸な対立が起き、西郷は2度にわたって久光から島流しを命じられることになった――というのが、かつての出来事だ。
その後、久光は必要に迫られて渋々西郷を薩摩に呼び戻して重職に就けるが、微妙な関係は続いていた。軍人や政治家としての西郷の技量は大いに認めるものの、個人的には好きではない、というのが久光の態度であった。西郷も表向きは久光を立てていたが、その本心は「大義を成すために、薩摩の最高権力者をどう利用するか」にあったように思われる。
結局、久光は「新政府で主導権を握れるから」と、西郷にそそのかされて戊辰戦争に多くの軍事力を割くが、その見返りは何もなく、ただ廃藩置県で藩主の座を追われただけだった。これで久光がおもしろいはずもない。家臣に利用されたあげく、時代が変わったらお役御免にされる久光がかわいそうでならないし、どう考えても中立的な視点から見れば西郷のほうが悪役である。政府に表立って反抗するわけでもなく、花火を打ち上げるくらいでモヤモヤ感を発散しようとする久光の、なんとけなげなことか。
第40回の終盤で久光は、明治天皇のお供として帰郷した西郷に、「これがお前が斉彬と共につくりたかった新しい国か?」と尋ねた。明らかに非難のニュアンスがこもっている。これに対して西郷は、「それとはかけ離れている。このままでは国父様(久光)にも、死んでいった者たちにも申しわけが立たない」と弱音を吐く。その時、「こんやっせんぼが!」という斉彬の口癖が辺りに響き渡った。発したのは、久光。懐かしいフレーズに驚く西郷に、志を持ってやり始めたからには最後までやり抜け、それでも倒れたら若い者に後を任せて薩摩に帰ってこい、と激励の言葉を贈ったのだった。
久光と西郷の和解を描く重要な場面に、斉彬の台詞を持ってくるとは心憎い。この一言だけで、久光が斉彬と同じ志を持っており、亡き斉彬の代わりに西郷を見守るつもりであることがひしひしと伝わってくる。弱気になっていた西郷も、亡き殿が久光の口を通して叱咤してくれたように感じたのではないだろうか。
放送後にドラマ公式サイトに掲載された青木崇高のメッセージによれば、「こんやっせんぼが!」の台詞は、本番だけ青木が発したアドリブだったという。なんと素晴らしい判断だろうか。「こんやっせんぼが!」の一言がなければ、この場面での久光の真意はおそらく視聴者には伝わらなかったことだろう。屈折した部分を持ちながら、自分なりに必死に薩摩と日本の行く末を案じた島津久光という人物を、全身全霊で演じてくれた青木崇高に賛辞を贈りたい。
本当ならここで、「逆に役者にアドリブを入れてもらわなければ真意の伝わらない脚本ってどうなんだ」と文句を言いたいところではあるが、もう撮影も全編終了していることだし、今さら言っても仕方がない。次回からはいよいよ、明治編になってからのオープニング映像で暗示されている西郷と大久保の対立が描かれるようだ。
基本的に中園ミホ氏の脚本は、多くの人間や出来事が互いに影響を及ぼし合って物事が動いていく「歴史の流れ」は全然描けていないが、ごく少数の人々をクローズアップした時の人間関係の描き方は非常におもしろい。この法則によれば、ここから終盤にかけての『西郷どん』は大いに期待できそうだ。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)