道路、“歩行者優先”の罠…「交通ルール守れば安全」との妄信が、あなたの命を奪う
「もう黙っていられない! このままでは車が嫌いになりそうだ」――。そんな思いが込み上げてきて一筆したためることにした。
今世間を騒がせている高齢者による自動車運転過失事故。ブレーキとアクセルの踏み間違いによる運転操作ミスが、その原因の多くを占めている。だが本人に尋ねても、「踏み間違えた覚えはない」と答えるという。
それはそうだろう。もし踏み間違えている自覚があるなら、ペダルから足を離しただろう。その時はブレーキペダルを踏んでいると信じてさらに強く力を込めていたに違いない。予測外の挙動に気が動転して身体が硬直し、ペダルから足を離せないことも理解できる。だが、これは高齢者に限った話ではない。それに最近起こり始めた特別な事象でもないはずだ。
自動車が普及し始めた直後から交通事故は起こり、多くの犠牲者がこれまでずっと出続けている。筆者が幼かったころ(半世紀も前だが)、すでに「交通戦争」という言葉が周知され始めていた。「歩行者が道路を渡るときは横断歩道を渡りましょう」「右見て左見て、もう一度右見て」など、特に歩行者の車に対する危険認知を徹底させる教育をしていた。
それはそうだろう。人と車が衝突すれば、どちらに過失があったとしても身体に大きな害を受けるのは歩行者のほうだからだ。「飛び出すな、車は急に止まれない」というような標語が日本全国の横断歩道や通学路などに掲げられていた。
それが今はどうだろう。歩行者は歩道を歩き、横断歩道を渡っていれば絶対に安全が保証されているかのようだ。歩行者と車が衝突したときの優位性は変わっていないのに、まるで歩道や横断歩道を歩き、歩行者がルールを守ってさえいれば安全が担保されているかのように思わされている。担保されるのは法律上の過失割合の優位性だけであって、怪我をしたり命を落とすのは歩行者のほうという事実は変わっていないのに。
道路交通法上は、歩行者は絶対優先であり、赤信号を無視して道路横断していても、車がはねれば運転車の安全運転義務違反になる。歩行者優先ルールが徹底されることは悪いことではないが、それにより危機に対する意識が希薄となってしまってはいないか。信号を守り横断歩道を渡ってさえいれば、事故に遭うことはあり得ないと信じ切ってはいないか。
「車は走る凶器」
交通戦争の時代、「車は走る凶器」などとも形容された。運転を誤り人混みに突っ込んだら、一発の銃弾よりはるかに多くの人を傷つけ、命を奪うだろう。車は使い方次第で拳銃よりも殺傷力の強い凶器となるのに、交通ルールを徹底させるだけで安全な乗り物であるという誤った認識に誰もが陥っていると感じる。