山口敬之氏、性被害者の伊藤詩織さんを批判し続ける理由…「復帰への期待」と「特権意識」
ジャーナリストの伊藤詩織さんが、元TBSワシントン支局長の山口敬之氏から性的暴行を受けたとして、山口氏に1100万円の損害賠償を求めた裁判で、東京地裁は18日、「(山口氏が)酩酊状態で意識のない伊藤詩織さんに合意がないまま性行為をした」と認めた。そして山口氏に慰謝料など330万円の支払いを命じた。
これを受け控訴の意向を示した山口氏は、18日と19日に会見を行い、
「明確に性行為に合意はありました」
「私の主張がまったく無視されたかたちで、判決には納得できない」
「伊藤さんは性犯罪被害者ではありません。伊藤さんのように必要のない嘘、本質的な嘘をつく人が性犯罪被害者だと言って嘘の主張で出てきたことによって、私のところにも、性被害を受けたんですという方から連絡があり、お目にかかった方もおります」
「本当に性被害にあった方は、『伊藤さんが本当のことを言っていない。こういう記者会見の場で笑ったり、上を見たり、テレビに出演してあのような表情をすることは絶対にない』と証言しているんですね。今、伊藤さんは世界中で露出をして本当の性被害者として扱われている。本当の性被害にあった方が、嘘つきだと言って出られなくなるのならば、残念だなと思います」
などと語っている。
一連の山口氏の発言は、国内のみならず海外メディアでも大きく報じられているが、なぜ山口氏は裁判所の判決が出た後も、伊藤さんへの批判を続けているのか。精神科医の片田珠美氏に解説してもらった。
「否認」「利得」「心の平安」
裁判で性犯罪の加害者と認められた人物が会見を開いて、被害者を一方的に批判し、判決が不当だと公に主張すれば、バッシングを浴びることは、冷静に考えれば容易に想像できそうなものだ。本人にとっても利するところがなさそうに思われるが、こうした行動を山口氏がとるのはなぜなのか? また、性被害を受けたと主張し、さらに裁判でも被害者だと認められた女性を目の前にして、当の被害者を批判するのはなぜなのか?
主に次の3つの理由によると考えられる。
1) 否認
2) 利得
3) 心の平安
まず何よりも、自分は合意なき性行為なんかしていないと1)否認するためだろう。そのために「明確に性行為に合意はありました」と主張し、「(伊藤さん)ご本人から、そういう(合意の)言葉はあったか」との質問にも「はい」と答えている。
ただ、伊藤さんをタクシーに乗せてホテルに連れていった際、伊藤さんが酩酊していたことは、山口氏自身が認めている。そういう状態で、性行為の合意を得ることができたのか、はなはだ疑問である。また、たとえ「ええ」「うん」などの返事があったとしても、伊藤さんは酩酊状態だったのだから、弱った女性につけ込んだという批判は免れないだろう。
それでも、山口氏があくまでも否認しようとするのは、特権意識が強いからかもしれない。山口氏は、TBSのエース記者として活躍していた。また、2016年に退社してフリージャーナリストに転身した後も、安倍晋三首相について書いた著書『総理』(幻冬舎)を出版し、テレビにたびたび出演していた。だから、「自分は特別な人間だから、普通の人には許されないようなことでも許される」という特権意識を抱いたとしても不思議ではない。こうした特権意識の持ち主が、「自分が言えば、黒いものでも白にできる」と思い込むことは少なくない。
2)利得のためというのも、大きい。山口氏は、伊藤さんとのトラブルが報じられる前は、売れっ子だったが、一連の騒動でマスコミに出る機会が激減した。テレビ局から出禁を言い渡されたという一部報道もあり、失ったものは相当大きいはずだ。だから、自らの罪を否認し、伊藤さんを批判することによって、身の潔白を証明できれば、また表舞台に返り咲けるという思惑もあるのではないか。
同時に、3)心の平安を保つためでもある。裁判で性犯罪の加害者と認められたことは、エリートの山口氏にとって耐えがたい屈辱だろう。当然、不快かつ厄介に違いない。だから、あくまでも否認し、伊藤さんを悪者にすることによって、自らに貼られた負のレッテルをはがそうとしているのかもしれない。それしか心の平安を保つ手段がないのだろう。
いずれも、自己防衛のためにほかならない。だから、客観的に見てどうであろうと、山口氏は自らの罪を否認し、伊藤さんを批判し続けるはずである。
(文=片田珠美/精神科医)