今回はエビデンスのお話です。“常識君”の解説からです。
「医療や医学でいうエビデンスとは、臨床的な証拠といった意味です。ある薬剤や処置、対処が効果的かどうかを判断するために、その薬剤や処置、対処のある群とない群を設けて、そして比べるのです。そこに差があれば有益ということになります」
“極論君”は、「エビデンスがない治療はまったく信じない」という立ち位置です。一方で、“非常識君”は「エビデンスがなくても良さそうなことは、なんでもやってみる」という考えです。
常識君の解説の続きです。
「薬剤では医者や患者の思い込みが入らないように、医者も患者も実薬か偽薬かがわからないようにして、そして比較試験を行います。これを二重盲検試験と呼びます。この試験がもっとも信頼性が高いといわれます。薬剤が保険適用として認可されるには、しっかりしたエビデンスがないと認めてもらえません」
極論君は言います。
「漢方薬は、西洋薬のような臨床試験を経ずに、歴史的に有効という観点から、保険適用が認められました。僕の理解では、エビデンスに乏しい薬剤ということになります。ですから僕は漢方薬を使用しません」
非常識君は言います。
「漢方薬は、確かに実薬と偽薬を用いた臨床試験を経ずに保険に収載されました。漢方薬には効く人と効かない人がいます。それを『証』といったりしますが、そんな昔の言葉が嫌な人はレスポンダー(反応群)と言い換えればいいのです。レスポンダーを探す技術が現代科学に即していないので、多くの漢方薬では実薬と偽薬を用いた試験を行っても差が判然としません。いずれ、レスポンダーを抽出する現代科学的技術が登場すると、漢方の臨床試験も有意差が出ると思います」
エビデンスがはっきりしないことも大切
そして非常識君がコメントします。
「エビデンスとは野球でいうと、その選手が出場するかしないかで勝率に差が出るようなイメージです。実はそんな選手はなかなかいません。また、その選手が出ても負けることもあれば、出なくても勝つこともあります。しょせんは確率の問題です。そんな有能な選手は、誰が監督でも使います。監督の手腕は、つまり勝率に差が出るのは、次のランクの選手をどう使うかにかかっています。
つまり、病気に対応するには、エビデンスがある薬剤は当然に使用しますが、エビデンスがないようなことも、いろいろと試みることが大切と思っているのです。漢方も有用であれば使用しますし、また当たり前と思える日常生活の管理もしっかりと行います。できれば禁煙、お酒は控えめ、バランスの良い食事、そして適切な運動、過剰なストレスは避けて、適度のストレスには打ち勝つ力をつける、そんなことはエビデンスとしてははっきりしたものはないかもしれませんが、でも大切と思っているのです。エビデンスがある薬剤だけを使用して、ほかはいい加減では、あまり良い結果が出ないと思います」
乳がんの治療
極論君の意見です。
「エビデンスが最優先といわれると、反駁する必要がありません。エビデンスがある治療を行わないことは、馬鹿げています。ですから、明らかに有益な西洋薬があるのに漢方薬だけでがんばろうというのは問題だと思うのです。
しかし、非常識君の主張には賛同します。エビデンスは特に失うものが多いときには必須です。たとえば、乳がんの治療は30年前まではどんな小さな乳がんでも100年以上前の手術を行っていました。定型的乳房切断術と呼ばれていたもので、乳腺を全摘した上に大胸筋という大きな筋肉も切除していました。ところが欧米でくじ引き試験をして、そんな大きな手術と腫瘍だけを切除する手術で予後に差がないと判明したのです。今や数十年前の常識は非常識です。つまり、乳がんには大きな手術が不要という大切なメッセージがエビデンスから導き出されました。
しかし、漢方や日常生活の管理は失うものはほとんどありません。高額な治療でもありません。エビデンスが明らかでなくても、いいと思われるものを積み重ねることは確かに大切ですね。一方で高額な治療はやはりエビデンスを求めるべきでしょう」
そして常識君がコメントします。
「世界最初の抗生物質であるペニシリンや、結核に著効したストレプトマイシンは現在のような臨床試験をやっていません。明らかに効いたからです。つまり医者も患者も騙さないと差が出ないということは、ある意味、当時のペニシリンやストレプトマイシンのように劇的には効かないということかもしれません。抗がん剤も、二重盲検試験で差が出れば素晴らしいといわれるのです。二重盲検試験がいっそ不要といわれるような画期的な抗がん剤の出現が待ち遠しいですね」
今回は、3人とも同じ意見に集約されたようです。
(文=新見正則/医学博士、医師)