1月29日、今年の春の甲子園「選抜高等学校野球大会(センバツ)」出場校の選考が行われ、出場32校が出揃った。その出場校もほぼ順当で、実に楽しみな顔触れが揃った感じだ。とはいえ、過去には「なぜここが落ちて、ここが選ばれたの?」というような、まさかの逆転選考例が多数ある。なかでも”文武両道の伝統的な公立進学校”が当落線上にある場合、そんな現象が目立っているのだ。
そこで今回は、文武両道の伝統的な進学校や名門校をめぐる、センバツまさかの”逆転選考劇”を、甲子園のお膝元の「近畿地区編」と「その他の地区編」の2回に分けて振り返ってみたい。
まずは近畿地区から見てみよう。
【ケース1】最初は7点差で負けたものの、次に同じ相手と試合したら3点差に詰めたから逆転選考
まず紹介するのは、日本高等学校野球連盟(高野連)がお好みの伝統的な進学校を選ぶために、”なりふり構わない”選考を行ったケースである。
1990年秋の近畿大会は天理(奈良)が優勝、神戸弘陵(兵庫)が準優勝、ベスト4には大阪桐蔭(大阪)と箕島(和歌山)が残った。当時の近畿地区の出場枠は7枠だったが、注目の準々決勝の結果は報徳学園(兵庫)0-7大阪桐蔭、浪速(大阪)0-4天理、三田学園(兵庫)0-3箕島、鳥羽(京都)0-2神戸弘陵というように、大差のついた試合は1試合のみ。となれば、大敗した報徳学園が圏外で、残りの7校が順当に当選というのが事前の下馬評であった。
ただ、この7校のなかで鳥羽だけが準々決勝からの登場で、結果的には初戦敗退のため、1回戦で神戸弘陵に2-3で惜敗した市和歌山商と、同じく1回戦で三田学園に1-2で競り負けた近大付(大阪)の2校にも、わずかながら逆転選出の可能性が残されていたのである。
とはいえ、地域性が考慮されれば、鳥羽が有利なハズで、これなら近畿7枠のうち、大阪2、兵庫2、京都1、奈良1、和歌山1とバランスが良く、至極妥当なところ。ところが、注目の選考結果は……。
天理、神戸弘陵、大阪桐蔭、箕島、三田学園、浪速、そして奈良だった。なんと初戦敗退組からの、まさに前代未聞の大逆転選考であった。
実は奈良は県内トップの進学率を誇るだけでなく、旧制奈良中の流れを汲む伝統の公立高校。”文武両道”が大好きな、まさに高野連好みのチームだったのである。
この年の秋の県大会では、クジ運の良さもあって奇跡的に決勝戦にまで進出。しかし、最後は全国に名だたる強豪・天理の前にあえなく0-7で大敗を喫したのだが、それでも県2位での近畿大会出場が決まった。ところが、近畿大会初戦で天理との再戦が決定。当然のように1-4で返り討ちされてしまった。しかも、延長戦での激闘のすえの敗戦でもない、実にあっさりとした負け方である。
これでは、いくら伝統的な公立進学校がお好みな高野連でも、”これはない”ハズ。地域性でも救えないハズだ。気になる選出理由は、「頭脳的な投球をするエースの好投で県、地区大会で食い下がった点が考慮された」というもの。1-4の地区大会はともかく、0-7の県大会の、どこをどう見たら”食い下がった”と言えるのか、まさに意味不明。それなら準V校に準々決勝で0-2の鳥羽(しかも地域性でも有利)と同じく、準V校に初戦で2-3の市和歌山商こそ”食い下がった”とは言えないのか。
ちなみに、この選考に関して、あるスポーツ新聞では「短期間で7点差を3点差まで詰めたことが評価された」と報じられているのだが、かなり強引な論理に思える。
【ケース2】名門私立が当落線上なら”枠広がる”
次の例は、違った意味で大逆転が起こったケースである。基本的に高野連は、文武両道のチームや品位やマナーの点で申し分ない高校がお好みである。それが公立校なら、なお良しだろう。
逆に、野球留学生の多い私立校や、偏差値低めのヤンチャな私立校などには見る目が厳しくなる傾向がある。ただ、同じ私立でも戦前からの流れを汲むような名門私立となると、話は別だ。たとえば、それは東なら早稲田や慶応、西なら兵庫県が誇る名門・関西学院が筆頭だ。関西学院は、1920年夏&1928年春と、戦前に2回の全国優勝を誇っていたが、戦後は”文武両道”の”文”が勝り、1度も甲子園出場がなかった。
そんな関学に35年の春以来、実に63年ぶりに甲子園出場のチャンスが巡ってきた。兵庫3位で出場した、1997年秋の近畿大会だ。この大会の優勝校は郡山(奈良)、準優勝校が報徳学園(兵庫)。ベスト4には京都西と京都成章という京都府勢が残った。
問題は、当落線上となる準々決勝の試合結果である。近江(滋賀)が報徳学園に3-5、関大一(大阪)が京都西に0-1、関学が京都成章に7-8、PL学園(大阪)が郡山に3-5と、困ったことに全試合接戦になってしまったのだ。
当時の近畿地区の出場枠は7枠。ベスト4の4校と、準々決勝で優勝校&準優勝校と接戦を演じたPLと近江も、ほぼ当確だろう。つまり、最後の枠を関学、そして関学らと共に”関関同立”を形成する・関大一と争うことになってしまったのだ。
実は京都成章は、準決勝で郡山にコールド負けしている。さらに同じベスト4に同じ京都勢の京都西がいるため、地域性での落選も考えられたが、そうなるとその京都成章に負けている関学の当選は、そもそもありえなくなる。
やはり、最後は関大一VS関学の一騎打ちと見るのが普通だろう。ならば、初戦で奈良1位の智弁学園を11-0の7回コールドで降して、準々決勝では京都西相手に延長11回の投手戦のすえ0-1で惜敗した関大一が有利。しかも関学は兵庫3位である。果たして、注目の結果は……。
郡山、報徳学園、京都西、PL学園、京都成章、関大一の順で当選。そして最後の1枠は近江と関学の争いとなり、なんと「打力を買われた」という理由で、関学になった。ということは近江がまさかの落選……かと思いきや、なんと最後の最後に高野連は超ウルトラC級の奥の手を出してきたのだ。それは、今回は第70回記念大会のため、近畿に1枠”増枠”したのだ。その増枠分を近江が射止めるかたちとなった。
当時は通常の大会でも、近畿の出場枠が多いという批判が一部にはあったにもかかわらず、記念大会にかこつけて、まさかの近畿8枠。こうして、めでたく”関関”のアベック出場が実現したのであった。
【ケース3】 最大の悲劇! ベスト4に残ったのに、まさかの落選
センバツ出場校の選考史上最大の悲劇が、この事例である。まずは1983年秋の近畿大会の結果。優勝したのは、この年の夏の甲子園で1年生ながら主力として活躍し、チームを優勝に導いた桑田真澄&清原和博(ともに元読売ジャイアンツなど)の”KKコンビ”を擁するPL学園(大阪)で、準優勝は京都西。そしてベスト4には近大付(大阪)と和歌山工が残った。
当時の近畿の出場枠は7枠あったので、通常はベスト4の4校と準々決勝敗退組4校のなかから3校が選ばれる。そしてその注目の準々決勝は智弁学園(奈良)4-7PL学園、花園(京都)3-5近大付、高島(滋賀)0-3和歌山工、私神港(兵庫)2-9京都西という結果となった。こうなると、優勝したPLに善戦した智弁学園が、まず浮上する。さらに大差負けだが、ここまで地元・兵庫県代表の選出が0ということもあって、県1位で地区大会に進出した私神港も有力だ。
問題は最後の1枠だが、残った花園と高島はともに京滋地区。となれば、京都西が準優勝している点から花園は地域性で不利となる。選出されれば、初出場という話題性もあり、高島がやや有利か。しかも、これなら大阪2、兵庫1、京都1、滋賀1、奈良1、和歌山1と地域のバランスも取れている。
だが結果は、PL学園、京都西、和歌山工、智弁学園、私神港、高島、そしてまさかの三国丘だった。7枠あるのに、ベスト4の近大付がまさかの落選。そして突如として現れた三国丘。実はこの三国丘、近畿大会では私神港の前に2-4で初戦敗退も、大阪府大会の決勝では難敵のPL相手に0-1で惜敗していた。逆に近大付は同準決勝でPLに1-12で玉砕。さらに続く近畿大会準決勝でも2-11と再び大差で返り討ちにあっており、同じ相手に2連続の大敗が選考委員の印象を悪くしたようなのである。
ちなみに、そんな三国丘の選出の決め手となったのが、PL相手に好投したエースの存在。「PLの桑田に次ぐ好投手」との評価もあがるほどだった。やはり三国丘が伝統公立進学校だから選ばれた可能性もある。
次回は、近畿地方以外の地区について紹介する。