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中小企業復興の夢を抱いた元エリート日銀マンも、融資の実務には疎かったのか…

金融界の救世主・木村剛、銀行破綻と逮捕の深層を関係者が告白

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日銀エリートの「挫折と転落」
ー木村剛「天、我に味方せず」
(講談社/有森隆)
 2010年に経営破たんしていた日本振興銀行(以下、振興銀)が、9月10日に解散した。

 銀行法違反で逮捕された木村剛元会長は、85年に日本銀行へ入行し、企画局や国際局などのエリートコースを歩むも、98年に同行を退職し、金融コンサルティング会社を設立した。

 また、小泉政権では、経済財政政策担当大臣だった竹中平蔵氏から、わずか5名の有識者から成る「金融分野緊急対応戦略プロジェクトチーム」に大抜擢され、金融再生プログラムをまとめ上げた。りそな銀行の実質国有化を筆頭に、銀行の不良債権処理を劇的に進行させるなど、多大な成果を残して名声を手にした。

 そして03年、「中小企業振興」を旗印とする日本振興銀行を設立するが、赤字決算や取締役の相次ぐ解任をはじめとする内部のゴタゴタが続き、10年、ついに金融庁が検査忌避を告発。木村氏も逮捕・起訴され、今年3月に有罪が確定している。

 木村氏をめぐっては、怪しい人脈を指摘されたり、毀誉褒貶は激しく、なかなか素顔が見えないが、実際はどんな人物なのか? 

 振興銀開業当時からの取引先に勤めるA氏に、木村氏の素顔を聞いた。

――木村氏の印象について、一言で言うと、どのような人物でしょうか?

A氏 銀行マンというよりビジネスマン。仕事の鬼ですね。

――具体的には、何かエピソードはありますか?

A氏 振興銀の社員が、その日どうしても木村さんに見てもらわなければいけない、200ページ以上の書類があった時の話です。社員が夜12時くらいまで木村さんを待っていると、木村さんは飲み会から酔っぱらって戻ってきました。その社員は翌日までに決裁が必要であることを説明すると「わかった、わかった」と受け取りました。彼は大丈夫かなあと思って翌朝7時に出社すると、その書類はすべて手直しも入った状態で置いてあったといいます。木村さんは、いつも移動中の車の中ではずっと黙って資料を読み込んでいる人だったそうです。

――Aさんは、木村氏とお酒の席を共にしたこともあるとか……。

A氏 木村さんはお酒飲んでカラオケにも行くし、そういう時はフレンドリーですね。元日銀マンという金融の第一線で仕事をしていたわりには、インテリ臭がなかった。六本木に事務所を構えている外資系ビジネスマンのような嫌みはなく、気さくな人でしたよ。

――あるノンフィクションには、「一等地にオフィスを構え、内装にお金をかけたのは木村氏のものすごい希望」と書いてありましたが、お金の使い方はいかがですか?

A氏 確かに、オフィスや内装など仕事に何かしらつながるところはお金をかけるんだけど、必要じゃないものにはお金をかけない主義みたいです。ファッションにはさほど気を使わないし、食事にお金をかけているふうでもなかった。飲みに行くのも、仕事につながりそうだからじゃないでしょうか。

●起業後、間もなく訪れた試練

――仕事に関する話を木村氏とされたことはありますか?

A氏 「中小企業を相手にしているし、お金を貸すのは甘くないんだよ」と、しみじみ話していたのを覚えています。わかりやすい例え話として、3人に年利30%で100万円ずつ貸したとして、年間90万円の儲けです。しかし、このうち1社がデフォルトしたら、100万円が消えてしまう。リスクは低くないと言っていました。