マック社員、パワハラで入院&自殺未遂、訴訟へ「去年も一人自殺。労災認められない」
日本マクドナルド(以下、マクドナルド)本社の社員が上司からパワハラを受けたとして、東京地裁で係争中の事件がある。
訴状や証拠書類によると、原告のA氏(仮名/40代)は、1991年に新卒でマクドナルドに正社員として入社。以後、本社社長室などを経て、11年7月1日から人事本部店舗人材開発部に異動した。異動先の上司にあたる部長は、B氏(仮名)だった。
異動から1カ月後の同年8月、A氏はB部長に、「高校生新卒と障害者の採用を担当できない?」と言われた。そのときA氏は、新しい業務を覚えている真っ最中だったので、「今は無理です」と断った。するとB部長は「あっそう」と言って立ち上がり、背中を向けて立ち去った。
それ以降、B部長の態度は一変した。同月下旬、社内システムがダウンすると、B部長が、A氏に向かって、「なんでそんなことになっちゃうの」「ったく、ちゃんとしてよ!」「何とかなるんでしょうね!」と、周囲に聞こえる大声で叱責。
翌9月には、前任者が出席していたグランドオープン会議、マックデリバリーサービス会議といった会議にA氏が出席することを禁じた。そして同11月には、人事本部全体の会議でC本部長(仮名)が、マクドナルド社内で長く店長などを務め年齢が高い社員のことを「ブロッカー」と称して、「ブロッカーは後進の道を妨げている。こういった人はモチベーションが低い」と発言。
それから数日後、B部長がいきなりA氏に「ところでAさんの旦那さんって、何している人?」と聞いてきた。
A氏の夫は、マクドナルドの社員でAMD(エリア・マーケット・ディベロッパー)から、店長の下の役職であるマネージャーに降格していた。そのことを説明すると、B部長は「えー、そうなの、それじゃ『ブロッカー』みたいじゃない」「私なら、『あなたの輝けるところは、ここではなくて、他にあるんじゃないかなあ』とか、別の言い方をするわ」と、夫を侮辱した。
その頃から、A氏の精神状態は悪化し、手がたまに震えたり、意味もなく涙が流れ止まらないことが多くなる、といった症状が現れた。
さらに同年12年1月には、「PDS(パフォーマンス・ディベロップメント・システム)」という、社内の評価システムが実施された。これは、従業員と会社の間で目標を合意し、中間面談などを経て、毎年4段階で評価されることになっていた。B部長はA氏に「4段階で2(機会点【編註:問題点、課題点】あり)の評価」と告げた。そして、一方的に「どうして、そんなに他責なの。人のせいにしないで!」とA氏を叱責し始め、それは1時間以上にも及んだ。
翌2月には、A氏がある仕事でミスをすると、B部長は「ったく、何やってんのよ」「4時間でできるでしょ」と命じた。A氏は愕然とし、「無理です。プロである業者がやって2週間の納期の見積もりが出ている作業を、私一人でそんなに短い時間でするのは、無理です。そんな能力はありません」と必死に訴えたが、B部長は「何キレてんのよ」と責めた。
「キレてません」、そうA氏が言った途端、突然A氏の目から涙がぼろぼろこぼれ出し、そのまま声を上げて泣き崩れ、しばらく立ち上がることができなかった。A氏はその時、これまで必死に我慢して耐えてきたものが、一気に押し寄せてきたように感じ、自分の心が壊れたような感じがした。
●入院、自殺未遂に発展
その後、A氏は精神科で「適応障害、抑うつ不安状態」と診断され、12年7月から休職を余儀なくされた。同月下旬、クリニックの勧めで埼玉県内の病院に入院。
8月中旬、一時外泊して自宅に戻った。そこで夫と子どもが暮らしているのを見て、A氏は安心した。その日の夜、A氏は眠らずに一人でリビングにいたが、安心と同時に「やっと楽になれる」と感じ、スマートフォンで「首つり自殺」を検索し、自殺を決意した。そして、白い便せんに遺書を書いた。
遺書には、これまでのパワハラの経緯を記した上で、こうつづられていた。
「パワハラはみとめられず、おとがめなし、私は病院おくり、コンプラは意味なし、去年も一人自殺しているし、労災も、死なないと認められない」
さらに、次の一文だけ下線入りで「Bさん うらみます、許さない」と記載。
そして、「戦いたかったけど、もう気力がありません。大好きなマック、もう戻れない……マクドナルドをうらみます ■■■(※A氏の知人や子どもの愛称) ごめんね。お父さん お母さん 本当にごめん。でも、あなたが産まれた日 最高に幸せだった。 A」と記した。その後、麻ヒモを何重にもしてドアにかけ、イスに上り麻ヒモを首にかけ、首つり自殺を図った。その時、夫が気づき、間一髪でA氏の体を持ち上げて救命した。その後、A氏は病院に戻され、13年1月にA氏は復職し、他部署に異動した。