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再建の三菱自動車、次は日産との合併?長い業績低迷脱出で、業界再編勃発か

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再建の三菱自動車、次は日産との合併?長い業績低迷脱出で、業界再編勃発かの画像1三菱自動車工業本社(「Wikipedia」より/Aimaimyi)
「もう一度、技術とデザインで三菱自動車ブランドを構築したい。他社がやれないことをやれと育てられた。この気持ちを復活させたい」。6月25日の株主総会後に社長へ昇格が決まった三菱自動車工業の相川哲郎常務取締役は、技術屋の心意気を示した。

 相川氏は根っからの“自動車野郎”として知られている。1954年4月生まれの59歳で、東京大学工学部を卒業後、1978年に三菱自に入社した。相川氏は「大学3年生のとき、三菱から初代ギャラン・シグマ、ギャラン・ラムダが発売された。当時としては画期的なデザインで感銘を受けた。三菱は他社よりも格好よいクルマを出すメーカーだと思ったことが(入社の)きっかけになった」と入社の動機を語った。

 軽四輪事業本部プロジェクトマネージャー(2000年4月~)、乗用車開発本部プロジェクトマネージャー(01年6月~)を歴任し、車両開発の責任者として第一線で活躍した。軽自動車では初代eKワゴンの開発を手掛けたことで知られる。相川氏は「若い技術陣の力を引き出していく」と宣言し、「デザインは会社の規模に関係なく勝負できる(分野)」と言い切る。三菱自が得意とするスポーツ用多目的車(SUV)と、業界内で先頭を走ると自負する電気自動車(EV)で勝負を挑む。

 今回、相川氏の社長昇格で注目されたのは、相川氏が、三菱自の大株主である三菱重工業元社長で現相談役の相川賢太郎氏の長男だったからだ。社長、会長の任期はそれぞれ4年と決まっているが、賢太郎氏は社長・会長を合計で10年務め「三菱重工の帝王」として君臨した。三菱自は三菱重工から分離した会社であり、相川氏は三菱自生え抜きのプリンスとして大切に育てられてきた。

●再生に一定の区切り

 三菱自は00年と04年に大規模リコール(無料回収・修理)隠しが発覚。資本・業務提携先だったダイムラー・クライスラー(現ダイムラー)が支援を打ち切り、深刻な経営危機に陥った。05年1月、三菱自は「三菱自動車再生計画」を発表し、会長に三菱重工出身の西岡喬氏、社長に三菱商事出身の益子修氏が就任した。三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行の三菱御三家を中心とした三菱グループ各社に4000億円に上る優先株を引き受けてもらうなど、物心両面の支援を受け、再建を進めてきた。

 そんな三菱自は14年3月期、コスト削減と円安の追い風を受けて当期純利益は過去最高の1000億円となる見込み。今年1月に2400億円の公募増資が完了して、長年の悩みの種だった優先株を処理し、復配のメドも立った。昨年11月には中期経営計画を発表し、今後の経営の方向性を示した。そして、再生に一定の区切りをつけたことから新体制へ移行することになった。

 益子社長の後任候補には、3人の名前が挙がった。相川氏のほかに、コルトの開発に携わった中尾龍吾常務(商品戦略・事業化統括部門長兼開発統括部門長)、三菱商事からきた一寸木(ちょっき)守一常務執行役員(第二海外営業統括部門長)である。

 一寸木氏は三菱商事で「もっと出世してもおかしくない人材」と評されてきた。13年4月に三菱自動車に転じたとき、社長含みの人事とささやかれたが、三菱自では執行役員からいきなり社長というサプライズ人事はない。まず、今年の株主総会で取締役に昇格するのが先決ということになり、一寸木氏の線は消えた。

BusinessJournal編集部

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