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江川紹子の「事件ウオッチ」第12回

【池上コラム掲載問題】朝日だけじゃない!“正義”のために「事実軽視」「謝罪拒否」するマスコミの不遜

文=江川紹子/ジャーナリスト
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【池上コラム掲載問題】朝日だけじゃない!“正義”のために「事実軽視」「謝罪拒否」するマスコミの不遜の画像19月4日付の朝刊で池上氏のコラムと共にお詫びを掲載した朝日新聞。その後、改めて経緯を説明する記事を掲載したものの、読者からは「まだ内容が不十分」との批判がーー。(写真は朝日新聞東京本社)

 辛辣な批判に加え、悪意や敵意のこもったバッシングを四方八方から受けていると、理性的な判断ができなくなり、善意の忠告にも耳をふさぎたくなってしまったのだろうか。

 朝日新聞が、池上彰さんのコラムを掲載拒否したのは、そうとでも考えなければ理解しがたい。その後、社内からの批判もあって、池上さんと読者に謝罪のうえ掲載に至ったのだが、拒否した理由や誰の判断だったのか、という点は明らかになっておらず、新たな批判や非難のタネになっている。

●「正義」が「事実」を歪めさせた?

 池上コラムは、慰安婦問題についての朝日の誤報検証について、訂正を行ったことは評価しつつ、1)なぜ訂正がこれほど遅くなったのかを書いていないのは検証として不十分、2)他紙も同じような過ちをしていたと書くのは潔くない、3)過ちを報告するなら謝罪もすべき――としている。そのうえで、誤報があったからといって、「慰安婦」の存在まで消すことはできないとも述べ、記者は事実の前に謙虚であるべきと結んでいる。

 率直にして穏当。朝日新聞に対して悪意も敵意も持っていない市民が読んで、「その通り!」と膝を打ちたくなる内容だった。

 池上さんのコラム「新聞ななめ読み」は、2007年4月に始まり、当初は夕刊で週に1回、その後朝刊で毎月掲載されてきた新聞批評。第1回では「朝日の記事をやり玉に挙げることもありますので、よろしく」と宣言しており、実際に同紙の記事に辛口な論評をすることもあった。通常の同紙の対応なら、今回の原稿を拒否する、という愚挙には出なかっただろう。

 慰安婦問題に加え、東電福島第一原発の事故当時の所長、吉田昌郎氏(故人)が政府事故調の事情聴取で語った内容を記録した、いわゆる「吉田調書」を巡る報道でも、朝日は批判にさらされている。同調書を入手したとみられる産経新聞や読売新聞の記事によれば、朝日の調書内容の紹介には、かなりバイアスがかかっていたのではないか、という疑念が生じる(もっとも、産経や読売の記事も、朝日を批判することに主眼が置かれているようで、これも別のバイアスがかかっている可能性はあるが)。

 両方とも、根っこに共通した問題が横たわっているように思える。それは、「正義」がもたらす影響だ。慰安婦問題に関しては「日本の戦争・戦後責任の追及」、吉田調書に関しては「反原発」という、朝日新聞が大きな価値を置いている「正義」が背景にある。その「正義」に見合う事実は重んじ、そうでない事実を軽んじたり、無視したり、置き去りにしたりということがあったのではないか。「正義」の眼鏡をかけて事実を見るために、それが歪められて伝えられる風土が、朝日新聞の中になかっただろうか。

 そんなことを思うのは、私がよく取材の対象にする司法の分野でも、司法改革に関する朝日新聞の取材を受けた弁護士が、発言が記事の趣旨に合うよう歪められたと嘆いているのを複数回聞いたことがあるからだ。ただ、その弁護士たちがいずれも、司法改革などについての「正義」を朝日と共有していたので、激しく抗議をしたり大きな問題にすることなく終わった。こういうことは、他の分野でもありはしないか。

●異常な“朝日叩き”の末路は

江川紹子/ジャーナリスト

江川紹子/ジャーナリスト

東京都出身。神奈川新聞社会部記者を経て、フリーランスに。著書に『魂の虜囚 オウム事件はなぜ起きたか』『人を助ける仕事』『勇気ってなんだろう』ほか。『「歴史認識」とは何か - 対立の構図を超えて』(著者・大沼保昭)では聞き手を務めている。クラシック音楽への造詣も深い。


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