吉田氏は東京大学法学部を卒業後の1974年に朝日新聞社入社、主に政治部に籍を置き、ワシントン特派員なども務めた同社を代表するスーパーエリートとしてキャリアを積んできた。日本新聞協会賞を2回も受賞しており、朝日新聞社の社長になってもおかしくない経歴の持ち主である。
「取材先に食い込んで特ダネをすっぱ抜くタイプではないが、連載の企画能力が抜群に優れている」(朝日新聞OB)といわれ、朝日新聞幹部は「データの分析と活用が巧みな学者肌の記者」と評価する。
ところが、この吉田氏、第一線の記者としては優れていたかもしれないが、マネジメント能力が低いと、現役の朝日新聞記者は次のように解説する。
「上昇志向が強く、手柄はすべて自分、責任はすべて部下に押し付けるタイプで、部下からの信頼はゼロに近い。下に付いた部下は、その人間性を見抜いて、ほとんどが『反吉田』になってしまうほど。取締役就任後の一時期、キャリアパスのため、常務取締役として営業や広告を担当したが、業績が厳しいと見るや、火中の栗は拾いたくないと言わんばかりに、そそくさと逃げ出して編集に戻ってきた」
編集に戻った後は、会社法上の取締役と違って経営責任が問われない、お気楽な役員待遇や上席執行役員という処遇で編集局を牛耳ってきた。その一方で、吉田氏は朝日新聞の社長ポストを望んでいたとされる。しかし、同じ政治部の後輩で、1976年入社の木村伊量氏が2年前に社長に就任したことで、その「野望」は消えうせた。
木村氏は今年の社内向け年頭挨拶で「経営と編集は原則として分離すべきだが、編集部門のトップである編集担当は、デジタル事業の推進などによってビジネスの部門との連携を担う役割が増えており、経営に与える責任が大きくなっている。こうした点から考えても、編集担当は取締役であることがふさわしい」などと語った。
この挨拶を聞いた朝日新聞のあるデスクは、「お気楽に勝手気ままに振る舞っている吉田編集担当への当てつけだ」と受け取った。木村氏も、編集担当で居座っている先輩が煙たくなってきたのであろう。