NEW
江上隆夫「ブランド戦略ディレクターのぷらっと未来散歩」

年収78億円、なぜDJに高額報酬が払われる?今も未来も「編集の時代」である

【この記事のキーワード】

, ,

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

糸居五郎(「宝島」<宝島社/1981年12月号>より)

糸居五郎のDJ時代


 唐突な質問ですが、世界トップクラスのDJの年収をご存じでしょうか? そう、ディージェイ、ディスクジョッキーの年収です。「知ってるよ」とおっしゃる方は、前半は飛ばして後半からお読みくださっても結構です。知らないという方は、彼らの年収を知る前にここ数十年のDJの歴史をたどることにしましょう。DJの年収と歴史を考えることで、ちょっとした未来のヒントが見えてきます。

 DJとは、専用の機材を使ってさまざまな楽曲や音源を組み合わせ、客層や雰囲気に合わせて選んだ曲を流しながら来場客を楽しませる職業です。東京なら渋谷近辺、地方なら中核都市にあるクラブや屋外レイブ(DJによる屋外でのダンスイベント)に行けば、彼らのプレイに接することができます。

『無印良品の「あれ」は決して安くないのに なぜ飛ぶように売れるのか?』(江上隆夫/SBクリエイティブ)
 50代以上であれば、DJというと1960~70年代にかけて深夜のラジオ番組で最新の楽曲を紹介していた糸居五郎さんや亀渕昭信さん(お二人ともニッポン放送の番組『オールナイトニッポン』のアナウンサーでした)、あるいは当時いたる所にあった「ロック喫茶」のレコード用ブースで選曲をする人を思い出すかもしれません。

 音楽系出版社ロッキング・オン創業者、渋谷陽一さんも売れない評論家時代に、新宿でDJのアルバイトをやっていました。筆者の印象では、この時代のDJとは「選曲者」にほかなりません。

選曲者からプレイヤーへ

 しかし、80~90年代にかけて「DJ=選曲者」の印象が大きく変わっていきます。70年代にヒップホップDJが出現し、スクラッチ(アナログレコードの特定部分を反復したり、回転を変えたりする技法)や2台のターンテーブルを使って観客を楽しませる音楽手法が生まれたからです。

 彼らはほかのアーティストが創った音楽をただの音素材とし、ターンテーブルの使い方を変えることで別の音楽を奏でたのです。「音楽を再生するデバイスを楽器にしてしまい」さらに「他人が創った音楽から別の音楽を引き出す」というコペルニクス的転回を起こしたのです。いま思えば、現代美術のマルセル・デュシャンに負けず劣らずの、ポピュラーミュージックの革命でした。

 これ以降、裏方だったはずのDJが、さまざまなコンサートに「プレイヤー」としてメインの出演者とともに出てくるようになります。彼らのDJプレイは音楽としても新しく、今までにない新鮮な響きを持っていました。

 今の20~30代の方には当たり前かもしれませんが、12歳くらいから洋楽(今はこんな言葉もあまり使わなくなりました)を聴き続けてきた筆者にとって、「他人がつくった音源や曲を流して」「そこに変化を加える」ことが「オリジナルの音楽行為」として認知されていくことは本当に衝撃でした。他人の曲にタダ乗りじゃないか、オリジナル性はどこにあるんだ、と。ただ、いろいろな音楽をプレイと称して「編集」しているだけではないかと。しかし、時代は彼らにGOサインを出します。