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どうしたんだ『西郷どん』!急激に面白くなった!序盤の薄っぺらい脚本が嘘のよう

文=吉川織部/ドラマウォッチャー
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 鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第24回「地の果てにて」が24日に放送される。西郷吉之助(鈴木)の生涯2度目の島流しが描かれることになっており、視聴者の間では、この「島編パート2」で西郷の人物像が大きく変わるのではないかとの予想もある。二階堂ふみが島の娘を好演した奄美大島編(島編パート1)が好評だっただけに、期待が高まる。

 放送を前に、そもそも吉之助がなぜ島流しにされることになったのかを含め、第23回の内容を振り返ってみたい。当初、吉之助は島流しでなく切腹を命じられることになっていた。主君である島津久光(青木崇高)の「下関で到着を待て」との命令に逆らったからというのがその理由であるが、必ずしも吉之助を責めることはできない。吉之助は薩摩藩の過激派を抑えるために京に赴いてそれを成功させ、久光の上洛計画を成功に導いたという側面があるからだ。

 だが、久光の怒りの炎に油を注ぐような報告があった。京に上った吉之助のもとに、諸藩の志士たちがこぞって詰め掛けているとの話が久光に届いたのだ。吉之助自身は、武力討幕を目指す急進的な勢力と線を引き、むしろそれを止めている立場だったのに、志士たちは勝手に西郷を慕い、尊敬のまなざしを向けてくる。だが、そんな事情など知らない久光が、「西郷吉之助は不逞の輩と親しく交わる危険人物だ」と誤解したとしても無理もない。結局、久光の側近たちのとりなしによって切腹だけは免れたが、第24話からは島での過酷な生活が待っている。

 この一連の流れは、吉之助という人物の描写として非常に興味深かった。なかでも注目すべきだったのは、京に上った途端に志士たちが次々に面会に訪れたことだ。本作における吉之助は、いまだ「何かを成し遂げた」といえるほどの実績は何もない。島津斉彬(渡辺健)の存命中に手足として奔走していたにすぎない。

 それなのに、大久保一蔵(瑛太)は以前からずっと吉之助が薩摩と日本にとって特別な存在であるかのように言い続け、今や諸藩の志士たちまでもが同じように吉之助を持ち上げる。これはつまり、本人の実力や実績以上に西郷吉之助の名声がひとり歩きし、期待を一身に集める存在となっていることを表している。利用して祭り上げるという意味でなく、そのもとに集いたくなるという意味で、「西郷隆盛は人々が神輿として担ぎたくなる人物だ」という描写なのだろう。西郷の生涯を踏まえれば、ここでそれを一度しっかりと描いたことは後の展開の伏線につながることだろう。

 第23話ではこのほか、武力での蜂起を目指す薩摩藩の過激派と、久光が遣わした主流派との間で斬り合いになった事件「寺田屋騒動」が描かれたが、これも良い切り口だった。久光は天皇を奉じて過激派の取り締まりに乗り出すが、一方の過激派も同じように天皇を奉じていたのだ。国を憂い、現状をなんとか変えたいとの思いは共通し、同じく天皇をあがめているのに、親しく過ごしてきた者同士が斬り合い、多くの命が失われた。

 その場にいた西郷信吾(錦戸亮)が必死に訴えた「何が正しくて何が間違っているか、わからない。だが、兄がいたら『無駄な血を流してはいけない』と言うはず」との言葉が悲劇性を増す。そう、この時点では誰もどの道が正しいかを知らないのだ。ドラマを観ている我々は歴史の流れを知っているが、当時の武士たちは自分が正しいと信じた道に命を懸けるほかなかった。何日か前にはみんなで川に入って昔のようにウナギを取って食べたのに、その同じ仲間たちと数日後には殺し合わなければならない。つくづく、何がどう動くかわからない幕末という時代の不確定さと残酷さを感じる。

 脚本も奄美大島編以降は大いに筆が乗っているようで、淡々と出来事を追うばかりで人間をまったく掘り下げなかった序盤がうそのようにおもしろさを増している。第24話から描かれる2度目の島流しでは、基本的に吉之助はずっと牢の中にいるはずだが、今の勢いならきっとおもしろい脚本に仕上がっているはず。閉じられた舞台の中で、どんなドラマが展開されるのか、大いに期待しよう。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)

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