鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第22回が10日に放送され、平均視聴率は前回より1.4ポイント増の13.4%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。
4回続いた奄美大島編は前回で終わり、第22回ではいよいよ西郷吉之助(鈴木)が薩摩に帰ってきた。大久保一蔵(瑛太)はさっそく吉之助を藩の実質的なトップである島津久光(青木崇高)に会わせるが、吉之助は久光の上洛計画を無謀だと批判し、怒りを買ってしまう。
一方、世の中では倒幕の機運が広がりつつあった。薩摩でも一部の藩士たちが影響を受けて武力倒幕を志すようになり、その実現のために京に上った。下関にいた吉之助はこれを知って直ちに京に駆け付け、彼らを命がけで説得して武力蜂起を辞めさせることに成功する。だが、吉之助が勝手に持ち場を離れたことを知った久光は怒り狂い、彼を捕らえて切腹させよと命じた――という展開だった。
この回のサブタイトルは、「偉大な兄 地ごろな弟」。偉大な兄とは、西郷吉之助と島津斉彬(渡辺謙)。『地ごろ(いなか者)』とは、西郷信吾(錦戸亮)と久光のことである。この2組の兄弟を通して、偉大な兄を持つ弟の苦悩を描き出す構成はとても良かった。久光も信吾もひたすら兄の影を追い、兄に負けてはならぬと自分を大きく見せることに心を砕く。だが、ひとりの人間として自分を見てくれる人はおらず、常に「~の弟」と呼ばれ、兄の話ばかりをされる。これでは精神が鬱屈してしまい、変な方向に走るのも不思議ではない。
信吾は吉之助と和解できたようだが、久光はすでに兄の斉彬がこの世を去ってしまっている以上、助言を受けることも愚痴を聞いてもらうこともできず、誰も軌道修正してくれない。偉大な兄を持った久光ならではの悲劇がよく描写されており、味わい深かった。ほぼ初登場といえる錦戸亮も、心に複雑な思いを抱えながら、表面上は調子よく生きてきた弟役を好演しており、藩士たちのなかでも存在感を放っている。キリリと締まった目元は鈴木亮平と対照的だが、ツーショットで画面に映る場面は違和感なく兄弟に見える。今後楽しみなキャラクターである。
これまであまり描かれてこなかった世の中の情勢が、少しずつ明らかになってきたのも評価したい。各藩の脱藩浪士たちが武力討幕を目指して暗躍している一方、久光はあくまでも朝廷の権力を利用した幕政改革を目指して動いていることが描かれた。だが、武力討幕派の志士たちは、久光の上洛を武力蜂起のきっかけにしようと考えて歓迎しており、双方の思惑に大きなズレが生じている。
幕末はさまざまな勢力が思想や立場をころころと変えながら登場してくるだけに、まずここをしっかり描いたことは今後にもつながるのではないだろうか。全体的なストーリー構成もよく、今後につながる伏線もあり、「つまらない」「描き方が浅い」と酷評された以前とは見違えるように良くなった。
とはいえ、ひとつ疑問に思った部分もある。武力討幕を主張する有馬新七(増田修一朗)を吉之助が止めようとする場面だ。吉之助は、「血を流せばいいと思っているのか。日本を強くしたいと思うなら、日本の中で血を流してどうするのか。異国はそれを待っているかもしれない」と新七を諭す。非常にもっともな理屈でその通りなのだが、後になってから日本人同士でさんざん血を流すことに加担する吉之助に、こういう台詞を言わせてよいものだろうか。
もちろん、現時点では理想を掲げる人として吉之助を描くのもいいだろう。だが、西郷のこの先の人生には、きれいごとでは済まされない出来事がいくつも待っている。それを正面から描いてくれればいいが、今までのように、不本意ながら周囲の人々や状況に流されるままに非道なことをしてしまい、終わってから後悔する……というような展開だけはやめてほしい。現時点で西郷に「日本人同士で血を流すのはよくない」と言わせたのなら、どこかの時点で前言を撤回し、「ダーク西郷」になる描写が必要だ。脚本家にその覚悟があって書いた台詞なのか、今後も注視していきたい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)